第19回人類学関連学会協議会(CARA)合同シンポジウム

CARAは、日本人類学会、日本生理人類学会、日本文化人類学会、日本民俗学会、日本霊長類学会の5学会によって構成される組織です。年に一度開催される合同シンポジウムは、人類にかかわる主要テーマについて、5学会が分野の壁を越えて対話、討論を行うものです。

今年度は日本文化人類学会が担当学会となりますので、第58回研究大会の開催に合わせ、以下の通り、合同シンポジウムを主催いたします。

学会非会員の方も、本シンポジウムのみであれば、無料で当日参加が可能です。

合同シンポジウムの会場では、直前まで日本文化人類学会の研究大会プログラムが進行中です。

シンポジウムのみにご参加の方は、受付をお済ませいただいた後、シンポジウム開始時刻までロビーでお待ちいただくことになります。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

【日時】

2024年6月15日(土)16:0018:30

【会場】

北海道大学札幌キャンパス クラーク会館講堂

【テーマ】

「死と向き合う」

世界を瞬く間に席巻した新型コロナウイルス感染症は、現在まで累計700万人、あるいはそれ以上ともいわれる死者数を記録しました。さまざまな属性を持つはずの個々人の死が国別、都道府県別に数値化され、その数値が日々更新される日常を過ごしたとき、私たちにとって「死」はどんな存在だったでしょうか。

そのほかにも世界・日本各地で続いている大規模な自然災害や紛争・戦争は、大量の死をもたらします。私たちは日々届くニュースに心を痛め、世界のどこかで生じている死に思いを馳せる一方で、人の顔の見えない数字上の死を自分自身の生活とは無関係な出来事ととらえる感覚にも陥るでしょう。

身近な人の死に対してもまた、これまでとは異なる向き合い方が出てきています。故人とかかわりのあった人々を広く集めて儀式を執り行う慣習が急速に廃れ、ごく限られた近親者のみでひっそりと死を悼む方向に向かいつつあるのは、どんな要因によるのでしょうか。

ヒトを含むすべての生命体は、誕生の時からゆっくりと死に向かっているともいえます。このシンポジウムでは、その死を生理的な現象としてのみとらえるのではなく、死をとりまくより広い事象にも目を向け、異なるアプローチで「死と向き合う」ことについて考えたいと思います。

【プログラム】

◇開会あいさつ:真島一郎(日本文化人類学会代表理事)

◇講演

「骨から読み解く祖先たちの<生と死>」

海部陽介(日本人類学会)

「サルは<死>にどう反応するのかー霊長類死生学が目指すもの」

豊田有(日本霊長類学会)

「ゆらぎから見た生命と死 」

早野順一郎(日本生理人類会)

「弔いにみる死者のゆくえ 」

鈴木岩弓(日本民俗学会)

「日本の死の文化にとって完全埋葬は不可逆的に耐えがたい?—東日本大震災における遺体の仮埋葬をめぐって」

  ボレー セバスチャン(日本文化人類学会)

◇総合討論

司会:中谷文美(日本文化人類学会)

【シンポジウム・スピーカーご紹介】(登壇順)

海部 陽介(かいふ ようすけ)氏(東京大学 教授)

◇略歴

人類進化学者。理学博士。1969年生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程から、国立科学博物館を経て、2020年より現職。化石骨の形態分析などから、約200万年におよぶアジアの人類史を研究している。クラウドファンディングを成功させ、最初の日本列島人の大航海を再現する「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」(国立科学博物館:2016-2019)を実行。著書に『人間らしさとは何か』(河出書房新社)、『サピエンス日本上陸』(講談社)、『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)、『人類がたどってきた道』(NHK出版)など。日本学術振興会賞(2012)、海洋立国推進功労者表彰(2021)、日本人類学会賞(2023)などを受賞。

◇講演タイトル 「骨から読み解く祖先たちの<生と死>」

◇要旨

近しい人が亡くなると、残された者たちはその死と向き合わねばならなくなりますが、そのあり方は時と場所によって実に多様でした。ここでは、先月閉幕した特別展『骨が語る人の「生と死」』(東京大学総合研究博物館 2023.9.30~2024.5.17 企画/構成:海部陽介)に基づいて、日本列島の中ですら死への観念が激変してきた事実を紹介したいと思います。このように生物人類学・考古学・民俗学・歴史学などの知見を合わせて歴史を眺めると、「自分の常識が人類の常識とは言えない」ことが実感されると思います。

縄文人(縄文時代人)の死との向き合い方は、私たち現代人にはとても理解し難いものでした。当時は集落に密接して墓地をつくったり、一度埋葬した故人の骨を取り出し他人のものと混ぜて幾何学的に再配置したりするなど、今の常識では考えられないような行為が行われていました。総じて葬送儀礼は複雑多様で、日常の中で生者と死者の距離が近かったようです。

大陸からの影響を強く受けた弥生時代になるとその関係性は変化し、次の古墳時代には墓が集落から明確に分離するようになりました。さらにその後の奈良~平安時代は、どの社会階層においても、人骨の出土例が極めてまれな時期となっていきます。それは上流階級の間で薄葬思想(儒教の影響)や火葬(仏教の影響)が広まっただけでなく、庶民は遺体を山野などに放置することが多かったからで、つまり墓や遺体が重要視されない時代風潮がありました。

庶民による遺体遺棄は中世にも行われていましたが、この時期には集落の周縁に共同墓地がつくられるケースが出てきます。墓地をつくる風潮がさらに加速し、寺の境内に墓が造られるようになったのは、檀家制度などのもとに仏教が庶民生活に浸透した江戸時代のことでした。江戸の墓は被葬者の身分を反映していましたが、それでも、若年者や身寄りのない者も含めた大勢の一般大衆が墓地に埋葬されるようになったことは、日本史における大転換といえます。

豊田有(とよだ ある)氏(日本学術振興会・国際競争力強化研究員/日本モンキーセンター・リサーチフェロー/タイ国立霊長類研究センター・アライアンスリサーチャー/京都大学野生動物研究センター・特任研究員)

◇略歴

1990年生まれ。京都大学大学院理学研究科生物科学専攻(京都大学霊長類研究所)博士後期課程修了、博士(理学)。現在、日本学術振興会・特別研究員CPD(国際競争力強化研究員)。2015年に世界で最初となる野生ベニガオザルの長期調査拠点をタイ王国に構築、以後継続的に調査を実施している。研究テーマはマカク属の社会進化、オスの繁殖戦略、社会行動など。一連の研究で2022年度日本霊長類学会高島賞受賞。著書に『白黒つけないベニガオザル:やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(2023年1月・京都大学学術出版会)。

◇講演タイトル 「サルは<死>にどう反応するのかー霊長類死生学が目指すもの」

◇要旨

動物にとって、個体の死は避けることができない現象です。死は、生物学的には、細胞や組織、臓器の機能が停止し、身体がそれ以上生命活動を維持できなくなる状態に陥ることを意味します。それは、個体の老化による寿命、病気等による機能不全、自然界であれば外敵からの受傷や捕食などが原因となる場合もあります。この死に直面した時、動物がどう振る舞い、あるいはどのような影響を受け、それとどう向き合うのかを調べるのが、動物行動学における死生学であり、霊長類学においても近年注目されている研究領域のひとつです。

霊長類死生学における目下の課題は、「霊長類は死を理解しているのか(「死」の概念があるのか)」という点です。群れで生活している霊長類においては、他個体が死ぬ現場を目撃する頻度は、単独生活の種に比べて相対的に高くなります。言い換えれば、潜在的に死が学習可能な現象として存在する状況下で暮らしています。我々霊長類学者は野外観察を通じて、死んだ個体に対して周囲の個体がどういった行動や反応を示すのかを観察・研究することによって、この疑問に答えようとしています。とはいえ、死体に対する反応を観察するためだけに、生きている個体を殺して他個体に提示する研究は、生命倫理上許されません。よって、霊長類死生学における知見は、生きている動物を観察している研究者が、偶然に死体を発見し、その死体と他個体が接触した現場に居合わせることができた場合に得られるものの蓄積によって成り立っています

本発表では、霊長類学における死にまつわる観察事例を紹介しつつ、発表者が2015年から観察を実施しているタイ王国の野生ベニガオザルの調査地で蓄積してきた死体に対する反応の記録を総括し、ベニガオザルや霊長類における死生観を野外研究の見地から考察します。

早野 順一郎(はやの じゅんいちろう)氏((株)ハートビートサイエンスラボ・代表取締役/名古屋市立大学・名誉教授)

◇略歴

1980年、名古屋市立大学医学部卒業、医学博士。1981-1983年、九州大学医学部心療内科国内留学。1990-1991年、米国ノースカロライナ州デューク大学メディカルセンター行動医学研究センター客員研究員。2003-2021年、名古屋市立大学大学院医学研究科教授。2020年、株式会社ハートビートサイエンスラボを設立、代表取締役に就任。業績の中心は、心拍変動解析による自律神経機能評価法の確立と疾患予後予測指標の開発。現在の研究テーマは、生理人類学、生体医工学、健康科学のためのデジタルバイオマーカの開発と生体信号ビッグデータの活用である。著作に”Assessment of autonomic function by long-term heart rate variability: beyond the classical framework of LF and HF measurements”, J Physiol Anthropol 2021;40:21、”Pitfalls of assessment of autonomic function by heart rate variability”, J Physiol Anthropol 2019;38:3、Clinical Assessment of the Autonomic Nervous System, Springer. 2016、『循環器疾患と自律神経機能:心拍変動による自律神経解析』(医学書院, 1996,2001)。

◇講演タイトル 「ゆらぎから見た生命と死」

◇要旨

生理人類学は、「環境適応能」「テクノ・アダプタビリティー」「生理的多型性」「全身的協関」「機能的潜在性」をキーワードとして、ヒトの生理特性について、時間軸と空間軸の視点をもちながら解明することを目的としている。この観点から、誕生から死への過程としての人生を、生命現象のゆらぎと適応という視点で捉えてみたい。

生命現象はゆらぎに満ちている。分かりやすい例として、心拍数には、季節性変動、時刻による変動(概日リズム)、睡眠段階による変動(超日リズム)、心拍変動と呼ばれる極低周波数(周期>5分)、超低周波数(25秒-5分周期)、低周波数(7-25秒周期)、高周波数(2-7秒周期)変動が存在する。そして、これらの各変動の大きさ(振幅)は人生を通じて変化し、生誕時には小さく20歳頃まで急速に増加し、その後、加齢とともに生誕時のレベルに向かって減少し、死を迎える。さらに、心拍数のゆらぎの振幅は様々な疾患で減少し、その減少の程度は死亡率の予測因子となる。

生体は新しい環境や状況に適応するために、ランダムなゆらぎの力を利用してアトラクター間を移動しながら、最も都合の良い状態を探索する。この概念から、心拍などの生理学的指標に含まれるランダムな成分は、発達段階や退行段階において増加すると考えられる。心拍変動を構成するランダムなゆらぎの大きさは、自己回帰モデルの当てはめによって推定できる。心電図のビッグデータおよび発達障害患者の24時間心電図で、心拍変動を構成するランダムな成分の比率は、出生時に高く、男性では35歳、女性では30歳まで年齢とともに減少し、男性では75歳以降、女性では85歳以降に再び増加する。発達障害例では、ランダム成分の比率が同年齢・同性のビッグデータの値よりも有意に低い。

ゆらぎは生命活動を反映し、その低下は死への過程を反映し、人生における適応の獲得と退行から死への過程の背景には、ランダムなゆらぎが重要な役割を果たしている。

鈴木 岩弓(すずき いわゆみ)氏 (東北大学・名誉教授)

◇略歴

1951年東京生まれ。東北大学文学部宗教学宗教史専攻卒業後、同大学院博士後期課程を満期退学。島根大学教員を経て東北大学に戻り、同大学院文学研究科教授を2017年3月定年退職した後、2022年3月まで東北大学総長特命教授。現在は東北大学名誉教授。専門は宗教民俗学・死生学。近頃は、イエ制度が消滅し、イエ意識が希薄化している時代の死者のゆくえを、自分の問題として考えている。本発表に関連する編著書として、『いま、この日本の家族―絆のゆくえ―』(弘文堂、2010年)『講座東北の歴史 第六巻 生と死』(清文堂、2013年)『変容する死の文化―現代東アジアの葬送と墓制―』(東京大学出版会、2014年)『〈死者/生者〉論 ―傾聴・鎮魂・翻訳―』(ぺりかん社、2018年)『現代日本の葬送と墓制 イエ亡き時代の死者のゆくえ』(吉川弘文館、2018年)などがある。

◇講演タイトル 「弔いにみる死者のゆくえ」

◇要旨

“生者必滅”や“Man is mortal.”の表現に見るように、何処であっても、何時であっても、人はいつかは死を迎えます。身近に死者が生じると、その周りの関係者たちは、さまざまな弔いの習俗を行うことで他者の死に対応してきました。かかる習俗は、地域により時代によりさまざまなバリエーションをもって営まれるのですが、わが国における典型的な弔いの流れは、大筋以下のようになります。

まずは死亡直後、生者Aが亡くなった状況を考えて見ましょう。そうした事態に直面すると、Aの周りの人々の中にはその状況をなかなか理解出来ず、ショックで頭が真っ白な状態に陥る人が出てくることも稀ではありません。とは言え、遺体は時間と共に変化してきますので、そのまま放置するわけには行かず、生者Aに別れを告げて<遺体処理>を行う必要が生じてきます。そこでまずなされるのが通夜や葬式で、生者Aの死を受け入れて別れを告げ、死者Aとして死後世界に送ることになります。葬送儀礼が済むと、次に遺体を埋葬したり荼毘に付したりすることで遺体をまさに処理し、遺体や焼骨を納める墓を作ります。そうした流れの中、初七日・二七日・三七日・・・・と七日毎の儀礼や、百か日、一周忌・三回忌・・・・と、いずれも命日を起点とした時間軸に沿って儀礼が行われ、死者及び残された人々の<魂の救済>も併せてなされていきます。とはいえ、亡くなった直後には時間をおかずに密に行われていた儀礼も、死後時間の経過と共に次第にその間隔は間遠になります。そして最終的には、三十三回忌もしくは五十回忌をもって、死者Aの法事は「弔い上げ」を迎え、それ以後は死者Aのための独立した儀礼は行われなくなります。

本日の発表では、以上のような弔いの流れの中で取りもたれる死者と生者の関係に注目することで、今回のCARAで設定された「死と向き合う」というテーマに対し、「死者と向き合う」観点からお話し致します。

Boret Sébastien(ぼれー せばすちゃん)氏 (東北大学災害科学国際研究所・准教授)

◇略歴

2005年、オックスフォード大学社会人類学部卒業、2011年、オックスフォード・ブルックス大学博士課程修了(PhD)。社会人類学・宗教学を専攻し、死・災害・脆弱者などについて研究している。主な調査地は日本及びインドネシアで、特に自然災害に対する文化的表象とその社会的役割について調査研究をしている。近年は、東日本大震災の記念化行為に関する調査研究の結果を基に、被災地の社会的復旧における記念化行為の役割や性質の解明をおこなうとともに、災害リスク低減への貢献のため、災害記憶と災害復旧の関係を国際的比較研究として実施したほか、直近では災害時における障害者の脆弱性に関する研究を主なるテーマとしている。論文に“The roles of monuments for the dead during the aftermath of the Great East Japan Earthquake”, International Journal of Disaster Risk Reduction 29(2018):55-62 (Akihiro Shibayamaと共著)、著書にJapanese Tree Burial: Ecology, Kinship and the Culture of Death(Routlede, 2014)」やDeath in the Early Twenty-first Century: Mortuary Rites, Innovation and Authority (Palgrave, 2017)がある。

◇講演タイトル 「日本の死の文化にとって完全埋葬は不可逆的に耐えがたい?—東日本大震災における遺体の仮埋葬をめぐって」

◇要旨

本発表では、東日本大震災の死者の集団埋葬の社会宗教的意味と意義について考察する。2011年3月11日、巨大な波が太平洋沿岸を飲み込み、19,765人の命が奪われ、2,553人が行方不明となった。緊急チームが最初に直面した課題は、遺体の回収であった。警察や自衛隊、消防士、救急隊員等がこれらの作業の大部分を行い、一時的な遺体安置所や、また時には臨時の墓地への搬送も担った。彼らの努力にもかかわらず、今もなお 2,553人の行方不明者がいるといわれている。

この緊急時に際して直面した第二の問題は、遺体を収容する施設の不足である。たとえば、石巻市は3000人以上の死者に対処しなければならなかった。はじめは市役所の施設や地下駐車場に遺体が収容された。1 日に1,200人の遺体が運び込まれる中、すぐに体育館や広場を巨大な遺体安置所に転用することが決定された。何百人もの犠牲者の遺体がこれらの遺体安置所に並べられ、身元が確認され、家族の元に戻っていった。遺体の回収と身元確認の後、地方自治体は遺体を犠牲者の家族に返還した。遺族は慣習的な火葬、葬儀、そして最後に埋葬をおこなうことを期待していた。第三の問題は、慣習的な火葬、葬儀、埋葬を行う能力の欠如であった。多くの火葬場は修復不可能なほどの損傷を受け、燃料など火葬に必要な物資がないところもあった。これを受けて、政府は地方自治体に一時的な集団墓地の建設を許可した。集団埋葬は、地元の建設会社、葬儀社、宗教団体(主に地元の仏教寺院)の支援を受けて即席で行われた。遺体は広い公有地に埋葬され、あるときは間に合わせの棺に、あるときはビニール袋に、またあるときは毛布やありあわせのものに埋葬された。埋葬に問題があった場合、埋葬から数週間から数ヵ月後に遺体を回収することは、遺族にとっても支援スタッフにとってもトラウマになることが多かった。

私たちの調査によれば、集団埋葬は死者の親族、担当者、そして社会全体にとって、依然としてトラウマ的な体験である。私たちは、この完全埋葬のエピソードが、日本に完全埋葬が復活する可能性を一旦、完全に止めたのではないのか、別の言い方をすれば、止めたのではないのか、と疑問を呈している。最後に、埋葬プロセスをよりよく処理したとしても、「全身埋葬」は拒否されたであろうという意見について論じ、全身埋葬が日本の死の文化にとって不可逆的に耐え難いものであることを示唆する。