『南紀徳川史 第十七冊』には幕末頃の紀州藩田宮流で使用されていた稽古道具が描かれており、その中に居合刀※の仕様も記されています。
※ 居合稽古用の刀のこと。多くの場合刃引刀(刃を引いて切れなくしてある刀)であったようです。
― 南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊, 昭和8
居合刀
縁頭 銅
柄木綿真田平巻
身長三尺前後色々
鞘黒けしたたき
縁頭は銅、柄は木綿で真田紐を平巻に、鞘は黒の芥子タタキに塗るとあります。ここに描かれた図が実際に近いのであれば、鍔は付さないかごく小さいもののように見え、全体的に簡素なつくりであったように思われます。刃長は三尺(≒91cm)前後で色々とあり、決まった寸法があったわけではなさそうですが、現在一般に定寸と言われる刃長二尺三寸(≒70cm)の刀よりは長いものが使用されていたらしいことが分かります。柄の長さの記載はありませんが、上図では柄部分は鞘部分の三分の一程度に見える事から、一尺程度でしょうか。
他地域の田宮流における居合刀の仕様はどのようなものだったのでしょうか。福井藩田宮流師範・鰐淵幸廣の著書『田宮流抜撃剣法』には、同流で使用される刃引刀について以下のように記されています。
一 刃引刀
鍔下二尺三四寸ヨリ三尺マデ
柄長サ八九寸 柄糸真田紐巻
鍔小形
縁頭 真鍮銅ノ内古キ物ヲ用ヒテ可ナリ
鞘堅地塗下地荢巻布巻鞘口ヨリ栗形迄金ニテ包ムヘシ
銅真鍮刃方ハ厚ク拵ユベシ巾二三分マテノ薄キ鉄ヲ入ルゝモヨシ
― 鰐淵幸廣『田宮流抜撃剣法 第一号 第二号 第三号』, 明治16年
こちらは長さについて、鍔下(鎺を含め)二尺三、四寸から三尺までとしており、前述した紀州藩のものよりも短いと言えそうです。柄は八、九寸とあり、刃長に合わせて誂えたものでしょう。鍔は小型、柄糸は真田紐、縁頭は銅や真鍮などの指定は紀州藩のものにも似ています。また鞘の鯉口付近を銅や真鍮の板で巻くという指定があります。これは諸流の居合刀にも見られる特徴で、鞘を割らないための用心であったと考えられます。
窪田清音は、居合刀の長さについて以下のように記しています。
調度といふは釼を手ならすべきに用ゆる品々なり、其品々には先居合を習はすべき刀と合口なり、其刀の長さは三尺三寸を掟とするなり、これぞ神づたへの定寸なり、されどもいとけなきもののならはしには、其身のほどに應じて二尺にも二尺三四寸にもなし、又すぐれてたけ高く並々をこしたるものは、三尺五寸にも七寸にもまた四尺にもして人々の量にまかすべきことならひなり
― 窪田清音 著『剣法略記』(国書刊行会 編『武術叢書 (国書刊行会刊行書)』, 1915)
當傳に在りては先師の定めし所、身長五尺五寸に充つれば三尺二寸の太刀に一寸の鎺を附し、鍔先三尺三寸なれば抜き差しも動作も不便の事なしと為せり。又短小の人と雖も武夫の間に長ぜし者なれば、二尺五寸の太刀を作用するは自由なりとの定めなり。
― 窪田清音 著『剣尺記』(山田次郎吉 著『剣道集義 続』, 大正12)
前述の二系統と異なり、原則的に「鍔下三尺三寸」という長さが規定されていたことが分かります(ただし年少の者や体格の劣った者についてはその限りではない)。鈴鹿家文書『剣法要所図解』には窪田派のものとみられる稽古道具が図示されており、より詳細な仕様が見て取れます。
― 『剣法要所図解』, 日本体育大学附属図書館鈴鹿家文書
居合刀之図 (抜粋)
柄 一尺二寸
反 一寸五分
鍔下 三尺三寸
頭引通シ
粒小形
鞘口ヨリ栗形迄の間二尺五寸
ハバキ太刀ハバキ
ハバキ鉄ハ悪シ
赤金タルヘシ
シノギ身ノ方ニ付ル
ハバキ長サ身ノハバヨリ一分長カルヘシ
打刀ヘモ太刀ハバキを掛ルヘシ当流古傳ナリ荒々シク
強キ働キヲスルニハ刀ハバキ弱シ故打刀ヘモ太刀ハバキヲ掛ルナリ
柄巻や鞘に関する指定は特に見られませんが、太刀鎺を使用するとあるのが特徴的です。太刀鎺とは一重で鎬のある鎺で、通常太刀にかけるものだが、あえて打刀にも太刀鎺をかけるのが古伝であるとあります。この教えは窪田の著書『刀装記』にも言及されています。
近世は打刀の寸を長くして太刀にかへて帯するなれば其働強ければ二枚の鎺はゆるみ安し故に打刀へも太刀鎺の如くして付るかたよろし
― 窪田清音 著『刀装記』(羽皐隠史 著『鑑刀集成 : 諸家秘説』, 大正12)
柄の長さは一尺二寸とあり、三尺三寸の刀身と合せるのであれば妥当な長さでしょう。二尺三寸の刀に八寸の柄を用いるのと割合的には同程度です。また打太刀の用いる鞘巻の刀(短刀)の仕様も決められていたことも分かります。
田宮流では居合刀や鞘木刀の他、稽古によっては鞘竹刀(鞘入りの袋竹刀)が使われていたようです。『南紀徳川史』には紀州藩田宮流で使用されていた鞘竹刀(鞘韜)の図が記載されています。
― 南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊, 昭和8
鞘韜
赤革包
鞘黒塗
『剣法要所図解』にも、鞘竹刀の仕様が記載されています。紀州伝のものとは若干仕様が違っていることが分かります。
立合之形学ヒニ用ヒシ鞘撓之図(抜粋)
鍔袋トモ惣朱塗
長サ二尺五寸ヨリ三尺三寸マテ
鞘撓ヘ真竹不入図(抜粋)
惣体ナメシ革朱塗
トジノ方ムネナリ
鍔樫ノ木径三寸
鞘入竹ヲ二ツニ割節ヲ去合セテ麻荢ニテ巻其上ヲ漆ニテ塗ルナリ
― 『剣法要所図解』, 日本体育大学附属図書館鈴鹿家文書
「立合之形学びに用いし鞘撓」とあるように、これらの鞘竹刀は主に立合形(窪田派の立合七形、紀州藩伝の立合十文字合口および離れもの十文字合口)の稽古時に使用されたものと考えられます。
居合文化研究会新潟支部で再現した鞘竹刀
さらに各資料には、面や籠手といった防具も記載されています。おそらくこれらは試合稽古で使用されたものでしょう。
― 南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊, 昭和8
田宮流稽古道具
面
頭両側
黒革毛入
籤(ヒゴ)鉄
小手白革
袋韜
白革丸木入
鍔一枚革
面之図 (抜粋)
帽子ト云ナメシ革
手袋 (抜粋)
手袋ト云フ古ヘハ小手トハイハズ
― 『剣法要所図解』, 日本体育大学附属図書館鈴鹿家文書
南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊,南紀徳川史刊行会,昭和8, 601-602p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1225521 (参照 2024-06-24), コマ648-650
『田宮流抜撃剣法 第一号, 第二号, 第三号』,熊本県立図書館 富永文庫所蔵, 明治16年.
『剣法要所図解』, 日本体育大学附属図書館鈴鹿家文書.
国書刊行会 編『武術叢書』,国書刊行会,1915, 475p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1764781 (参照 2024-06-24), コマ250
山田次郎吉 著『剣道集義』続,水心社,大正12, 124-125p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/970374 (参照 2024-06-24), コマ74
羽皐隠史 著『鑑刀集成 : 諸家秘説』,嵩山房,大正2, 103-104p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951154 (参照 2024-06-24), コマ62-63
画像
南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊,南紀徳川史刊行会,昭和8, 601-602p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1225521 (参照 2024-06-24), コマ648-650
『剣法要所図解』, 日本体育大学附属図書館鈴鹿家文書