残念ながら、田宮次郎右衛門以降の紀州田宮流の体系が確認できる資料は多いとは言えません。ここでは『南紀徳川史』に収録されている、元禄十一年に田宮次郎右衛門により発給された目録と、安政六年に田宮熊五郎により発給された居合目録を取り上げます。
【目録①】田宮次郎右衛門発給目録
【目録②】田宮熊五郎発給目録
目録②には目録①に見られる「居合十文字合口之事」「立合十文字合口之事」「はなれもの十文字合口之事」の九ヶ條が見られませんが、幕末頃にはそれらの体系が教授されなくなっていたのか、あるいは立合の目録伝書が別にあったためか、今のところ分かっていません。しかしながら、居合の「むこう刀の事(向刀之事)」「左身之事」の八本の名称・体系については全く変化がないことが分かります。また上記の引用で省略した各形の解説の文面は、両資料で全くと言ってよいほど同じです。例えば一本目の追立(おつたて)は以下のように記述されています。
おつたて
場近くしかけ居組也打太刀小脇差にて突を場近き故に頭を抜合する也二の目諸手にて討惣して場を引事悪しつめひらきを好総躰身たゝされは一心みたさる者也身能たては自由にかなふ肩を以て手をつかひ腰を以て足をつかふ事順なり手よりおこり足よりおこる事身よわき故也此心持いつれも同断也
― 『田宮流極意』, (『南紀徳川史 第七冊』,)
ヲツタテ
追立
場近く仕掛居組也打太刀小脇差にて突を場近き故に頭を抜合する也二の目諸手にて打総して場を引事悪しつめひらきを好む総體身立されは一心みたさるもの也身能立は自由かなふ肩を以手を遣ひ腰を以足をつかふ事順なり手より起り足より起る事身よわき故也此心持いつれも同前なり
― 『居合目録』, (『南紀徳川史 第十七冊』,)
つまり田宮熊五郎の時代にあっても、目録伝書は田宮次郎右衛門時代のものにほとんど手を加えずに伝承されていたと考えられます。少なくとも八本の居合形については、幕末にいたるまで田宮次郎右衛門時代の形をある程度保って伝承されていたと考えられるのではないでしょうか。
南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第7冊,南紀徳川史刊行会,昭和7, 5-21p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1225352 (参照 2024-06-24), コマ24-32
南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史』第17冊,南紀徳川史刊行会,昭和8, 599-600p. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1225521 (参照 2024-06-24), コマ647-648