町内探検隊、ふるさと発見!(その1)




「七辻」ゆずり合いの七差路



 昭和の前の元号、大正年間に、今の、東六郷一丁目、南六郷一丁目、南蒲田二丁目 そして 萩中三丁目などが 接した広い地域の一角に、七辻(七差路)が出来上がった。 それらの地域は、江戸時代は荏原郡六郷村子之神(ねのかみ)と呼ばれ、水田と果樹園が広がっており、収穫された米や果物が、江戸の町へ運ばれ市民の食糧を支えていた。

 大正6年から始まったその地域の耕地整理の際、農民の反対運動により残した旧来のあぜ道に、新たな道を加えた時、七差路になったと言われている。 大阪府河内長野市にも七差路があり、七辻は全国で2ヶ所とされている。珍しいことから、大田区が案内板を設置して区民に知らせている。

 いまだに、信号機が無いが、車は通る時、一時停止また徐行し譲り合うので事故は起きていない。


 七辻から、旧・京急出村駅(現・蒲田消防署付近)へと続く道路は、七辻昭和通り商店街である。最盛期には商店街組合には70店余が加盟していた。夕方になると多くの買い物客で賑わった。年末には、福引き大会が盛大に行われ、豪華な景品が当たった。

 しかし、昭和40~50年代になると、大規模店舗が進出し、個人商店は一軒また一軒と廃業、やがて商店街組合は解散した。

 

 替わって、建売住宅が立ち並び、七辻昭和通り商店街は大きく変化し、静かな街となった。当時から現在まで営業を継続しているのは、次の五店舗である。


 スガヤ電気店、弓田洋服店、三井テント店、平林青果店、大島タバコ店