遠いところからの視線
前回お話ししたように、王子は花との暮らしに居たたまれなくなって自分の星を後にし、様々な星で王様やビジネスマンや地理学者などの奇妙な大人たちと出会い、最後に七つ目の星「地球」に辿りついたのでした。その地球の大きさを思い描いてもらうためにと46万人余の点燈夫が時につれて順々に地球の周りをバレエさながらの規則正しさで街灯を灯していく様が語られています。何と壮大なイメージでしょう。そして、また何と綺麗で懐かしいものとして地球が描かれていることでしょう(後でちょっと嘘も混じっていると相対化されてはいるものの…)。大人と子どもの対置という特徴以外に、私がこの作品の中に強く感じるのは、人間社会全体を見下ろすような高いところ、遠いところからの視線です。創成期の飛行機の操縦士、それは現代でいえば宇宙飛行士のようなもの。私たちが乗客として知っている密封容器のような最新機の機内とは違い、直に外気や天候の影響を受けながら、命がけで操縦する双葉機の中は地上とは異次元の世界であったはずで、そこから下界を見下ろしながら、彼はいわば‟天空からの目”とでもいうようなものを手に入れていたのかもしれません。ヒトとは奇妙なものだ!という王子の感想、ヒトは大人が思うほど地球で重要な存在ではないと述べる語り手、懐かしく美しい地球のイメージなど、作者の実体験に深く根差し、人間存在を冷静に客観的にしかも暖かく見つめる視線が物語の随所に埋め込まれているのです。
さて、そうやって地球に辿りついた王子は砂漠に降り立ちます。最初に出会うのは謎めいて哲学的な蛇。今まで出会った大人たちとはちっとも会話がかみ合わなかった王子は、「君を船より遠くに運んでいける、触った人をもとの土に帰す」という蛇の謎を秘めた予言のような言葉には、「よく分かった」と答えるのです。蛇と言えば、イブに禁断のリンゴを差し出して人間を楽園から追放させるきっかけを作った敵役のような動物ですが、一方で自らの尻尾を食む環の形をした蛇は、死と再生の象徴とされ、不老不死を意味することさえあり、西欧では薬屋のマークとして使われていることもあります。「月の色をした輪」として登場するここでの蛇は、きっと‟古い皮を脱ぎ捨てては永遠に新しいものに生まれ変わる”というイメージを体現しているに違いありません。
サン=テグジュペリの中にも何かそうした円環的な再生への微かな希望が常に抱き続けられていた、そんな気もします。大人の飛行士が、命の瀬戸際で王子に出会って自らの中の子どもの心を取り戻し、王子への愛に目覚めていく、一つの旋律としてこの物語をそんな風に読めば、そこにも死と再生のモチーフが読み取れることは確かです。‟大人と子ども”という対立項も円環をなしている、そう言うことも出来ると思います。‟愛の破局と再生の希望”、そういう円環もまた読み取れます。
円環とは、永劫回帰とは、人間の切ない希望です。命のはかなさや、愛のうつろいやすさ、失われた時間や、取り戻せない過去。もっともっと前にいきたかったのに…という悔悟や無念の先に、もう一度やり直せれば…という不可能を知りながらの希望が生まれます。「指よりも小さく、足もないおかしな」生き物であるこの物語の蛇に、そんな小さな切ない希望、少し危険な希望が託されているところが、私にはこの作品の不思議な魅力に思えるのです。
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