アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
前回は作者の分身らしき語り手が王子に出会うまでのことをお話ししましたが、今回は作者サン=テグジュペリの人生について少しご紹介しておこうと思います。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年にフランス中部の都市リヨンで生まれました。父も母も貴族の出身で、姉二人に続く三番目の子ども。下には弟と妹が続きますが、父親は、1904年、まだ妹が生まれる前に病気で急死します。若い母親は、祖母や大叔母のシャトーに身を寄せて、五人の子どもたちを育てることになりました。
絵や音楽の才能に恵まれた明るくて気丈な母に豊かな愛情を注がれ、のびのびと暮らしたこの子ども時代は、アントワーヌにとって黄金時代だったようです。けれども彼は、学校とは折り合いが悪く、作文以外の成績はあまり芳しくありませんでした。
絵や音楽の才能に恵まれた明るくて気丈な母に豊かな愛情を注がれ、のびのびと暮らしたこの子ども時代は、アントワーヌにとって黄金時代だったようです。けれども彼は、学校とは折り合いが悪く、作文以外の成績はあまり芳しくありませんでした。
十二歳のとき、まだ創成期(ライト兄弟の世界初飛行が1903年のことです)の飛行機にのせてもらった経験が、彼の未来を決めることになります。海軍兵学校の受験の失敗、兵役、婚約と破局、意に染まぬ会社勤めなどの紆余曲折はありましたが、二十六歳のとき彼は民間の航空会社に就職します。同じ時期に作家としても出発し、飛行士としての体験を元にした処女作を発表しています。以後、郵便機のパイロット、アフリカや南米での中継事務所の責任者などを経験。まだ、危険の多い時代の航空界での仕事を通し、彼は、遭難した同僚を救い出したり、自らの飛行機事故で砂漠に不時着したりと、様々な体験をしますが、それがまた、彼の創作の源泉ともなり、三十一歳のとき出版した"夜間飛行"では、フランスの権威ある文学賞を受賞しました。同じ年に中米出身の芸術家肌の未亡人コンスエロと結婚しますが、愛し合いながらもあまり生活感のない者同士のこの結婚の空気は、"星の王子様"の中にも投影されています。
そして、1939年の第二次世界大戦の勃発。予備大尉として召集されますが、翌年にはフランスがドイツに屈する形の休戦で動員解除。親ナチ的だったペタンのヴィシー政府にも、ドゴールのレジスタンス派にも組することのなかったサン=テグジュペリの姿勢は、両陣営から非難されます。彼は祖国フランスを救うため、作家としてアメリカに参戦を働きかける意思を持って渡米しますが、その時代に生まれたのが、"星の王子様"の物語(1943年)。フランスに戻って再び軍の偵察機のパイロットとなり、撃墜されて地中海に沈むことになる彼の死の前年の作品です。
こうして彼の人生をたどってみると、最晩年の作である"星の王子様"は単なるお子様向けの夢物語などであるはずがなく、私にはむしろ、ある"人生の危機"を語る作品のように思えてきます。語り手の飛行士は、たった一人で砂漠に不時着し、八日分の水しかないというまさに生きるか死ぬかの瀬戸際、人生の危機のさなかに王子様に出会うのです。それがどんな出会いであったのかについてはまた次回に。
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