飛行士と王子の出会い
人と人との出会いはよく考えてみると奇跡のような出来事です。たまたま同じ時代に生まれ、同じときに同じ場所でともに何かをするというのは、宇宙の時間空間の広がりからみれば、不思議以外のなにものでもありません。
そして、その出会いが、ときにはその人の人生を変えてしまうこともあります。相手との出会いの中で始めて、新しい自分を知り、世界を知る。その新しい自分、世界はその出会いを通じてしか知りえないものなのです。
さて、物語の飛行士は、砂漠に不時着。王子も宇宙からの遠い旅の途上です。二人がともにいたのはたった九日間。まるで星と星との軌跡が一瞬交錯しあったかのような出会いです。
飛行機は故障して修理は難しい。飲み水は八日分しかない。人里からは何千里も離れ、全くの孤独。そんな状態を想像してみることが出来るでしょうか。でもこれは、サン=テグジュペリが実際に経験したことでもあるのです。人はそんな時、夜の闇の中でどんなことを考えるのでしょう。
夜明けにふと気づくと耳元で不思議なかわいい声がする。見れば小さな男の子が、途方にくれた迷子の様子などかけらもなく、「羊の絵を描いて」と場にそぐわない無邪気そうな言葉を繰り返している。こんな切羽詰ったときにあまりにも馬鹿馬鹿しいと思いながらも絵を描いてみる飛行士。まずは、どんな大人に見せても理解されなかった象を呑み込んだ大蛇の絵。ところが、王子はそれを一目見て、「象を呑み込んだ大蛇じゃないよ」と答えます。つまり、王子には、説明なしに絵=イメージをそのまま理解する能力、語り手が物語の冒頭で子どもを大人の優位に立たせる理由としたあの能力があるのです。
あれこれ描いても違うと言われ、飛行機の修理のことが気になった飛行士は面倒になり、箱の絵だけを描いて無造作に渡します。すると、僕のほしかったのはこれだと王子の顔は輝きます。「あれっ、寝ちゃったよ、この羊!」やはり王子は見えないものを見通す想像力の持ち主なのです。
ところで、この出会いの場面、私にはちょっと不思議に思えます。飛行士は、大人は役に立つことや社交上の軽い話題にしか興味を示さず、人生にとって真に大事な想像力は失ってしまっていると嘆いているけれど、出会いの場面では、案外大人の側に立っている。もちろん、飛行機の遭難とそれによる生命の危機は重大な問題ではあるのだけれど、王子の願いを子どもっぽい遊び事のように思って軽んじ、飛行機の修理が断然大事と考えている。この時点ではまだ、飛行士には王子の願いの本質を見通す能力=想像力が欠けているのです。本当に王子は子どもじみた呑気な気持ちから羊をほしがっていたのでしょうか。そのことは、物語の展開とともに明らかになっていきますが、それとともに、この二人の出会いもどんどん深まっていくのです。
最後に王子の絵のことを少し。語り手は出会いの六年後にこの物語で王子の思い出を語っています。後になって念入りに仕上げた王子の肖像画も添えてあります。星の王子様といえば誰でも思い浮かべる、あのマントにサーベルのいかにも王子然とした晴れ姿。けれど本の頁をいくら繰ってみても、他にはこんな格好をした絵は一枚もない。皆ごく普通の少年の服装です。星でも王子は贅沢に優雅に暮らしていたわけでは全然ない。むしろ淡々と身の周りのものの世話をする管理人のような生活をしていたのでした。そう、語り手の心の中ではじめて少年は、かけがいのない?王子の輝きと姿"を得たのです。
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