二人で読んだ"星の王子様"
Kさん、貴女と"星の王子様"を読み始めたのはいつのことだったでしょうか。貴女は昔何年か、学校へ行けない時期があったそうですね。私の二人の娘も長い間、摂食障害のために学校に通えず悩んでいました。"星の王子様"とのつきあいが始まったのは、そんなことがお互い、すべて過去になりはじめた頃でしたね。でも、体験の記憶が心に何らかの作用を及ぼすものなのでしょうか。以前、一人で読んだときにはさらっと読み流してしまっていたのだけれど、この小さな物語の二人の登場人物、飛行士と王子様の透明な孤独、それ故にこそ深厚な宇宙の果てから響いてくるような言葉の振幅が、辞書を引き、フランス語の単語の一つ一つを味わいながら二人でゆっくりと読んでいくうちにどんどん増してくる気がしたのをおぼえています。
貴女の仕事が急に決まり、最後の一章だけは一緒に読めないままになりました。飛行士が王子を思い出して語るその最終章と同じように、私も、私たちの小さな星巡りの思い出を書いて残したくなりました。思い出すままに王子様の小宇宙の中に見えた景色をここに綴っていきたいと思います。
絵と本と(フランス語では、絵のことをimageといいます。)
この本はいったい絵本なのか挿絵入りの本なのか、いきなり最初から絵で始まるのです。サン=テグジュペリ自身の手によるこの絵は、上手いとはとてもいえない、そうまるで子どもが描いたような絵ですが、一度見たらけっして忘れられない、ものの本質をドキッとするほど鋭くとらえた絵です。そしてとても温かみのある絵です。
でもなぜ絵(イメージ)が先なのでしょう。それも"何だこれは!"と叫びたくなるような大蛇と獣の格闘シーンのような絵が。語り手は"六つのとき"と、これがどんな意味をもつ絵なのかを語りはじめますが、私にはこの六歳という年齢がここでの鍵のように思えます。作者自身は、四歳の頃すでに文字の本を読み通したのだそうですが、普通子どもが字が読めるようになるのは六歳頃ではないでしょうか。字が読めるというのは大きな能力で、そこから知的な学びがはじまり、またそれによって社会生活の各場面での基本が保障されますが、一方でその"ものごとの知的な輪郭づけ"は人にとって大事な何か(心の中の豊かなイメージ?)を失わせることになりはしないか。
実は冒頭部分のフランス語は、語り手の子どもの頃の息を呑むようなこの絵のオリジナルとの出会いの感動をよく伝えています。説明なんかしたら消えてしまう心の震え、それを伝えたくて大蛇が象を飲み込む絵を自分でも描いてみたのに、大人は、帽子がなんで怖いものかと訳知り顔にいう。それで、中身が透けてみえる二枚目も描いてあの感動を共にしてもらいたかったのに、そんなくだらないことはやめて勉強でもしなさいといわれてしまう。そんな大人たちの反応の連続に心を閉ざし、心の中のイメージを伝え分かち合うことをあきらめたまま生きてきたというのが、王子に出会う前の中年男の語り手(どうも作者の分身らしい)の人生だったというのです。<次回に続く>
(C)2017 Sunny place cafe