ただここにある私
自分にとって一体何が“人生の重大事”なのだろう?シニアと呼ばれる年代にそろそろ差しかかろうとする私は、時々そんなことを考えます。sérieux (英語でいえばシリアス) の語が『星の王子様』のキーワードの一つであることは前回ご紹介した加藤さんも指摘されていますが、この物語の中で、大人と子どもという対立軸の中心をなすのは、何をsérieux=人生の重大事と考えるかということのようです。社会人としても家庭でも、まわりに責任を持つ立場になり仕事や子育てをし、毎日を忙しく夢中で過ごす、そんな時期を大人の時代と呼ぶならば、大人は数字や名声や世間体に囚われるばかりというこの物語での大人像はいささか辛口に過ぎるというものでしょうが、それにしてもそんな“大人”の時期は忙しさのうちに慌ただしく過ぎていってしまいます。人生後半に横たわる長い大人卒業の時期には、身体が下降線を描くのと並行して、何かを所有するとか、何かを達成するとか、何らかの地位を保つなどということの意味はだんだんに薄れ、“ただここにあること”だけが残る、今そんな予感がしています。それはまた、人生の黄昏時ばかりではなく、大きな病を抱えたときや、天変地異に見舞われたときなどにも、感じることなのかもしれません。
さて、この“ただここにある私”にとって何が大事なのかを考えてみるとき、王子様の大人に対する怒りは胸を刺します。花の棘に意味がないはずがない!数字ばかり追いかけてる大人なんてキノコじゃないか!一見子どものやんちゃのようなこんな訴えは、実は王子のある情愛の経験からきているのです。王子の小さな星に、ある日咲いた特別な花、王子自らが育てて咲かせとても美しいと思った花、ちょっと高慢でわがままな花。王子はその花に惹かれながらも、一方で花の我儘さについていけなくなって自らの星を後にしたのでした。でも、様々な星を巡りながら、王子は少しずつ自分にとっての花のかけがえのなさに気づかされていきます。花のはかなさを知り、花が棘というささやかな武器しかもたぬことに気づき、自分が世話し‟懐(なつ)かせ”たのだから自分には花に責任があるのだということをキツネに教えられ…。そう、飛行士にとって飛行機の修理が命がけの問題だとしたら、王子にとっての花は命以上の問題。だからこそ王子は烈火のごとく怒ったのです。この場面ではまだ明かされていないけれど、地球に来てもう少しで一年という時期に飛行士に出会った王子は、すでにある決意を胸に秘めていました。彼はすでに命以上に大事なものが存在することに気づいていたのです。でも、それについては物語の流れにそって追い追いに。
“ただここにある私”で生きること。それはとても無防備で、心細いことなのかもしれません。自分を守ってくれる肩書、立場、お金、名誉…。そんなものなしにどうやって生きていけばよいのか。作者が人生の最後の段階で見つけた答えは、人とのつながり、他者への愛だったようです。それも相手が素晴らしいからとか特別なことが出来るから愛するというのではなく、日々の中で生じた相手と自分とのつながりゆえに責任を持って相手を愛そうとする意志。その意志が本当に実現できるのかどうかは大きな疑問符として暗い宇宙空間に浮かんだまま物語は終わるけれど、それは読む者の心にはっきりと刻印されます。私は自分に縁のあった人に対し、ものに対し、そんな愛惜の気持ちを持ち続けていけるだろうかと本を片手にふと考え込んでしまいます 。
(C)2017 Sunny place cafe