フォーラム1
「教育目的」を「関係性」から問うことの意義
――「ケアリング」論と進歩主義教育が示唆する2つの系譜の検討――
報告者:尾崎博美(東洋英和女学院大学)
司 会:奥野佐矢子(神戸女学院大学)
――「ケアリング」論と進歩主義教育が示唆する2つの系譜の検討――
報告者:尾崎博美(東洋英和女学院大学)
司 会:奥野佐矢子(神戸女学院大学)
【概要】
「教育の目的とは何か」という問いは、教育理論のみならず教育実践を規定する基盤として問われ続けてきた。様々な教育思想家たちが提唱する「教育思想」はまさに原理としての「教育目的」に顕現するともいえる。その一方で、当該の議論がもつ実効性に対する疑問もまた繰り返されてきた。教育の評価や説明責任を重視する言説は、それが過剰に強調される場合、いかに目的を達成するかという方途とその測定の正確さを問う議論に収斂する傾向をもつ。それゆえ「教育目的」を問う議論は、教育理論と教育実践の連環のなかで、また近代教育の問い直しの中で、常に揺れ動き続けていている。
本報告では、「教育の目的とは何か」という問いを、「何を教育の目的とするか」という問いではなく「教育の目的はどのように捉えられるか」という問いとしてみなし、「関係性」を視点とすることで2つの系譜の提示とその意義とを検討する。一つの系譜は「個人を基盤とする教育目的」であり、もう一つは「関係性を基盤とする教育目的」である。当該の検討を行う際、ネル・ノディングズやジェイン・ローランド・マーティンの教育思想分析に基づく「ケアリング」論、及びジョン・デューイの教育思想分析に基づく進歩主義教育の実践を検討対象とする。特に後者では、進歩主義教育の実践としてなされたニューヨーク市の「リトル・レッド・スクール・ハウス」の教育実践からの示唆を引き出したい。
本報告を通して、教育思想史から得られる知見の一つとしての「教育目的」論がもつ現代的な意義を提示することができれば幸いである。
【教育思想史学会第30回大会を終えて】
フォーラム1では、「「教育目的」を「関係性」から問うことの意義―「ケアリング」論と進歩主義教育が示唆する2つの系譜の検討―」と題し、奥野佐矢子会員の司会の下で報告を行わせていただいた。オンデマンド型という予期せぬ報告形式となったが、コメンテーターを鳥光未緒子会員、松浦良充会員にお引き受けいただき、報告者として得難い議論の場となったことを、重ねて御礼申し上げたい。また、事務局のフォーム、メールといったオンラインツール等を通して様々なご意見・ご質問・ご指摘等をいただけたことに、この場をお借りして心より感謝を申し上げる。上記に対して誌上の報告論文でお応えをすることが目下の重要な課題であるが、下記、現時点での応答としてお返ししたい。
まず、本フォーラム報告の表題となっている「関係性」について、それはそもそもどのようなものとして想定されているのか、またそうした「関係性」を成立させる条件は何かについてご質問をいただいた。この点については、まずは「教える‐学ぶ」という役割や立場を伴う「関係」と、当該の関係における営みの特徴を指示する「関係性」との区別に着目する必要がある。また、こちらもいただいた質問であるが、「人―人」関係や「人―物」関係のそれぞれについて、「教える‐学ぶ」文脈のなかで生じる特徴を「関係性」としている。この意味において、当該の「関係性」を成立させる条件は「教える-学ぶ」営みを成立させる条件でもある。
次に質問を多くいただいた点は、創立時から議論的蓄積のある教育思想史学会における教育目的論のなかで、本フォーラム報告がもつ意義の捉え方である。例えばそれは、「教育とは何か」を問うことにあるのか、「教育現実」や「学校」とのつながりをどう想定するのか、近年の「主体性」を問う議論との関係はいかなるものか、といった点である。この点については、「近代教育批判」という言説それ自体が一つの検討対象となってきた現状を踏まえ、批判言説からより提案的な検討を試みること、また「他者」や「多様性」といったキーワードを既存の二項対立を超える包括的な論じ方を試みるという2点を示したい。
最後に、本フォーラム報告における「教師の働きかけ」や「教える」ことの位置づけに関する質問を多くいただいた。例えば、教育目的のなかで「教材」化される過程をどうとらえるか、学習成果を重視する働きかけとの差異、またはそれへの対抗理論としての実効性についてなどである。これは、より広い文脈で言えば、教育学としての教育思想史研究と教育実践とのつながりに関する問いである。「教える‐学ぶ」関係から「教師」や「教材」を論じるとき、改めて「教える」と「学ぶ」を対立的にみるのではなく、不可分の関係性に立つ営みとしての特徴が見えてくる。そこに改めて、「教える」ことの専門家としての「教師」を問い描出する契機を見出したい。
ほかにも、報告内で言及した佐伯胖の「発達のドーナッツ論」やJane Roland Martinのリトル・レッド・スクール・ハウスにおけるデューイ思想を踏まえた教育実践・理論について、さらにはケアリング論と教員養成との関係についてなど、個別のご質問やご指摘を多数いただいた。これらについては、報告論文において精緻に記述をもって応答したい。
いずれのご質問・ご指摘についても、報告時に至らなかった視野を開く大きなご示唆を与えてくださった。フォーラム報告の機会をいただいたことに重ねて御礼を申し上げるとともに、フォーラムの最初から最後までを導いてくださった奥野会員、また大会運営をいただいた事務局の皆様に、末筆ながら最大の感謝を申し上げたい。
(文責 尾崎博美)