2024年5月11日から13日まで二泊三日の予定で開田高原にある "なかよしさいくる" の先輩の家に遊びに行きました。もちろん自転車持参でです。ただ木曽福島駅にお昼頃の集合ということだったので、箱根仙石原から集合時間に間に合わせるにはどこか近くに前泊しなければなりません。また帰りも、暗くなってからヒルクライムをするわけにもいかないので、仙石原の自宅に戻るにはどこかに一泊する必要がありました。結局、松本に前泊し帰りは甲府で一泊しました。
仙石原から小田原へはただ下っていけばいいのですが、途中の昨年3月に竣工した仙宮洞門のところで一休みです。この洞門は2019年の台風19号で埋まった道を復旧したもので完成まで4年近くかかっています。名称の由来は仙石原と宮城野との間にあるので「仙宮」洞門としたのでしょうが安易ですよね。まあそれはさておきどう読むのでしょうかねえ。普通の読み方ならば「せんぐう」でしょうが、どうせなら「せんのみや」とするとなんか雅 (みやび) でいいですね。ちなみに仙石原と宮城野の間には昔からもう一つ碓氷洞門というものがあります。それは上の山道に碓氷峠があるのでそれにちなんだ名称でしょう。
小田原から松本へ行く道程としては普通に検索すると「小田原→海老名→八王子→松本」といった感じで出てくるのですが、平日の朝に大きな荷物を抱えて東京へ向かうのは避けたかったのと、「乗り鉄 (そして呑み鉄)」の血が騒いで「小田原→富士→甲府→松本」といった行程にしました。そう、身延線を全線乗車しようといったものです。
なお富士での乗り継ぎに 2 時間近く時間があったので自転車を組み立てて街中を少しポタリングしました (食料と飲み物の調達も兼ねてです)。この写真はとある通りから見えた富士山の風景です。やはり富士山に近いので大きく見えてなかなかなものです。
この列車が折り返して甲府まで連れて行ってくれます。所要時間は 2 時間ちょっとなので、氷結 (ALC. 9%, 500 mL) 2 本はいけそうです。ただ実態は身延線で 1 本、中央東線で 1 本でした。だいぶ弱くなったなあ、、、
再び自転車を分解して輪行袋詰めです。ただ最新型 (?) のロードバイクはディスクブレーキなので後輪は外したくありません。前輪だけ外せばいいような大きな輪行袋を使っています。まあ立てて置けば以前の形よりも邪魔にはならない気がします。ただここまできたら前輪も外す必要はないような、、、
身延線では富士川と南アルプスを意識して進行方向の左側に座ったのですが (ガラガラだったのであまり意味はありませんでしたが、、、)、富士宮を過ぎたところからなんか南下するのですね (オヤジギャグ?)。富士山が間近に見えたのはちょっとした発見です。
その一方で、南アルプスは甲府盆地に入ってからでないと見えませんでした。最初は身延あたりから見えるだろうと思っていたのですが、手前の山が邪魔をして見えません。(これも発見?)
はい、これはお馴染みの甲斐駒ヶ岳ですね。中央東線の長坂あたりからはよく見えます。
松本には 17 時をちょっと過ぎた頃に着きました。宿に荷物を置いて近くの居酒屋で馬刺しです。まあ定番ですね。
この日は木曽福島駅前に集合し、旧道の地蔵峠を越えて開田高原に入ります。
駅を出発した後、近くの ACoop で食料などを買い出して旧道の地蔵峠を目指します。新しい道はトンネルになっているのと、交通量もそれなりにあるそうなので、自転車ではあまり通りたくありません。まあ時間は十分あるのでのんびりと走って行きます。ちなみに買い出した食料などの荷物は、先輩が自動車で迎えに来てくれているので「伴走車」に積み込んでいます。
その前に御料館 (旧帝室林野局木曽支局庁舎) の前で腹ごしらえです。なかなかモダンな建物ですね。
建物の入り口には「木曽五木」の見本が展示されています。ただ、この庁舎の建築にはどれも使われていないそうです。どういうこと?
芝桜が綺麗なところで一休み、ここからが本格的な峠越えとなります。
途中にある唐沢の滝です。現在は約 100 m の落差のようですが、以前は 135 m もあったそうです。地蔵峠はこの滝の上にあります。なお飛騨街道 (旧道) はこの滝の右斜面を登って地蔵峠に抜けるそうです。
飛騨街道 (旧道) への入り口 (出口?) を通り過ぎれば、
地蔵峠です。
隣には「これより開田高原」の石碑もあります。
開田高原へ下っていく途中の展望台からは御嶽山がよく見えます。夕方近かったので逆光だったのがちょっと残念。
降りきったところには木曽森林鉄道の遺構 (橋脚) が残っています。
今日はここに長年 住んでいる先輩が「一人ではよう行かん」という唐沢林道の完走を目指します。
朝食の時ですが、ひまわりの種を置いておくと小鳥がやってきます。入れ替わりでリスもやってきます。
筋金入りの鉄ちゃんでもある先輩は森林鉄道の機関車やトロッコも保管しています (写真は非公開)。自力では動きませんが、敷かれた線路 ( 2 フィート 6 インチの狭軌) の上で転がすことはできるようです。
唐沢林道の開田高原側の入り口です。なんか昔の駅名表示板のようですね。ただペイント書きでホーロー引きではないのが残念 〜 !
最初はまあ普通の林道で快適な (?) 走りが続きます。押し歩きの人もいますが、、、
道中、次第にクマザサが多く深くなり、もうまともには自転車に乗れません。その代わり、タラの芽をはじめとした山菜がそこかしこに見え始めます。気がつくたびに夕食のおかずとして収穫します。
"山菜名人" の頑張りもあり、タラの芽、ハリギリ、コシアブラなど大豊作です。この写真は帰ってきた後、天ぷらにする前に山菜名人が整理し撮影したものです。実際にはこの倍くらいの収穫があったのですが、育ち過ぎたものなどは取り除いています。ただ私はいまだにこれら三種の山菜の区別がつきません。(注 : この中にはタラの芽はないそうです。山菜名人からご指摘を受けました。やはり私は何も分かっていない。)
ここはもう「河原」ですね。大雨の時にはきっと大量の水が流れるのでしょう。拳大を超える石が敷き詰められておりとても走れたものではありません。
なんとか辿り着いた木曽温泉側の出口です。ここにも昔の駅名表示板のような案内板 (ペイント書き) があります。なかなかな道中だったので、先輩も一人だったら途中で引き返していたと言っています。開田高原側から入ったので、河原のような道になったのはもうすぐ出口だとわかるような場所です。なので強行できたのですが、逆だったらいきなりの河原なので、すぐにあきらめて引き返していたと思います。(「一般通行禁止」の標識も見えます)
一気に駆け降りてきて開田高原入り口近くのレストランでちょっと遅めの昼食です。
まだ早いのですが夕食 (天ぷら) の準備もあり、また雲行きも怪しくなってきたのでちょっと回り道をしながらの帰路につきます。
「回り道」の目的地はやはり木曽森林鉄道の橋脚跡です。木曽にはこのような遺構があちらこちらにあるようです。鉄ちゃんでもある先輩は、このような森林鉄道の遺構がある場所を全て把握しているようです。
昨晩からの雨は警報級の激しさで、今日もお昼過ぎまでさらに 80 mm 近くの降水量となるようです。最初の計画では、濁河 (にごりご) 峠を越えて飛騨小坂の温泉旅館に泊まるつもりだったのですが、大雨の予報が出ていたため土曜日 (5/11) にキャンセルしています。そのおかげで昨晩は存分に飲むことができました。
日本酒を取り扱う会社に勤めている仲間が持ってきたおすすめの日本酒です。(ワインも混ざっていますね、、、)
今日はリスの食事風景です。ガラス越しに撮っているので、反射による室内の背景と合わさってちょっと幽霊のようになっています。
外の雨の降り方を睨みながら、昔のクラブ活動の写真などを見て思い出話に花が咲きます。東京-糸魚川ノンストップラン (もちろん休憩は入れますが寝ずに走るといった意味です) とか、青森-東京リレーランなど、けっこうハードなことも行なってきました。あ、スバルラインタイムトライアルも毎年ありましたね (多分今でも続いている)。
お昼近くになったので近くの (といっても 3 km 以上離れている) お店に予約を入れてイワナ焼きを食べに行きます。高火力のコークスでいっきに外側を焼き、少し火力を落とした後はじっくりと内側まで火を通します。外はパリパリ、中はしっとりとしていてとても美味しいです。
今日はご店主がコークスの買い出しに行っているのと、月曜日ということもあってあまり食材が残ってないということで、お刺身などは食べられません。ただ、焼いてもらいながらヤマメとアマゴの違いなどをいろいろ教えていただきました。生態系としては分水嶺で区切られているらしく、ヤマメは日本海側、アマゴは太平洋側だそうです。交雑を避けるため、迂闊に放流してはいけないとのことです。
できあがり。
頭や骨も焼いてもらって残すところはどこもありません。
雨の降りしきる中、上松に向けて出発です。
降りきったところにある鬼淵鉄橋です。
案内板によると「鬼淵鉄橋は現存する国産最古のトラス橋だといわれている」そうです。なんかビミョーな表現ですね。木曽森林鉄道は日本で最後まで運行されていた森林鉄道ですが、この鬼淵鉄橋の上でフィナーレが行われたそうです。
鬼淵鉄橋の先にはこんなものもあります。ここにも軌道が通っていたのでしょうかねえ。
無事、上松駅に到着したところです。自転車を輪行袋に詰めてから「居酒屋中央線」のための買い出しです。
上松駅に隣接する上松電子の工場敷地内には森林鉄道の機関車なども置かれています。
中央西線から塩尻で中央東線に乗り換えて甲府に向かいます。この頃には雨もすっかりとあがっていて、車窓から見える甲斐駒ヶ岳と夕陽がとても綺麗です。
先輩も言っていたのですが、山の中に住んでいると自転車で旅行 (輪行) した時は最後に余計なエネルギーを使う必要があります。そう私の場合、箱根仙石原の自宅に戻るにはどこかでヒルクライムをしなければなりません。
今回はあまり深く考えず (いちおう自動車があまり通らない道といった発想はありました)、新松田から矢倉沢峠を越えて帰ることにしました (写真はてっぺんの金時隧道です)。ただ完全な失敗でした。新松田の標高はあまり高くなく、累積すると 900 m 近く登らされる羽目になりました。距離も 27 km ちょっとあったので、大きな荷物を背負った身にはなかなかハードでした。
次は御殿場から長尾峠越えかなあ ? (乙女トンネルは通りたくないので、、、)、あるいは強羅まで輪行 ?、ケーブルカーが輪行OKならば早雲山でもいいし、、、さすがにロープウェーはダメですかねえ。大涌谷まで行ければ下るだけなのですが、、、
ただよくよく考えると、自宅へのヒルクライムのために余計に一泊するくらいならば、御殿場からタクシーを使って帰った方がお安いし (多分 5,000 円くらい) 楽チンですね。一件落着 ?