現役時代は「たわごと : Comments」として不定期に書き込んでいました。参照はこちらhttps://sites.google.com/g.ecc.u-tokyo.ac.jp/kuga-lab/たわごと。ここでは退職後のモロモロをブログ的に載せていきます。(「ブログ的」というのは当日に書くだけではなく後から書いたり書き変えたりするからです)
いつもと特に変わったことはなかったのですが、たまたま防犯カメラの記録画像を見たところ、昼間にも関わらず鹿が庭に入って下草を食べているところが映っていました。この画像だけではよく分からないのですが奥にもう一頭います。この日は私は在宅しており、この一時間くらい前に庭で作業もしていたのですがなかなか大胆ですね。過去の録画も見てみると三日連続で来ているみたいです。
考えてみたらこの防犯カメラは、二、三年前にイノシシが庭をよく荒らしていたので、どこからイノシシが入って来るのかを確認するために購入したものです。ただ最近はイノシシがすっかりと来なくなったので設置すること自体を忘れていました。
今回、見晴らしが良くなったので設置してみたのですが、図らずも当初の目論見に近い結果が得られました。いちおう設置した防犯カメラは動くものに反応し、反応の数秒前からの画像を記録するのですが、鹿が入ってくるところは映っていませんでした。来たことはわかるが、どこから入ったのかは以前不明です。この辺りは目論見通りにはいっていないみたいです。
子供の頃、家の門の脇に沈丁花があったこともあり、春になるといつもあの香りを懐かしく思い出します。また子供ながら私も挿し木で増やしたこともあります。そんなこともあり、庭造りの手始めとして沈丁花を門の両脇に植えました。
ただ仙石原では沈丁花をあまり見かけないので気候にあっているのかどうかちょっと不安です。まあどうなるかは「老後」のお楽しみということで、、、
けれどもさすがに私の「老後」はもうそれほど長くはなさそうなので、のんびりと挿し木から育てていく時間はなさそうです。そこで来春にも花が咲くかもしれない数年間育ったものを購入しました。
最初の計画では 5 月の連休前に薪割りは終わらせるつもりだったのですが、意外に忙しかったこともあり、今日までずれ込んでしまいました。幅約 120 cm、一段の高さ約 50 cm の薪棚で 6 段とちょっとです。去年は 6 段と半分くらいはあったのですが、今年は少し少ないですね。まあ搬入してもらった玉切りも約 1 t と大雑把ですし、割り方、並べ方によっても無駄な空間が増えて棚にはうまく収まらないこともあります。こんなものでしょう。
それよりも伐採してもらった庭木を別の棚に積んでいるのですが、膨大な量となっています。来シーズンにどこまで使えるかは未知数なので、そろそろ例年通りに乾燥薪を購入しようと思うのですが、どこに置きましょうかねえ、、、新しい薪棚を作る気にはなっていません。
庭木の伐採をして眺めが良くなったのを逆手 (実は順手?) に取って防犯カメラを設置しました。家の中にはそれほど高価なものはないのですが、仙石原に来て間もなく植樹した木が根こそぎ盗まれたことがあります。こんなものを盗む人がいるのかと呆れたわけですが、記念品を盗まれるということは本当にがっかりですし気持ちのいいものではありません。ですので、これから庭造りをするにあたって保険として設置しました。
門から玄関へ向かう敷地ですが、15 年間なんの手入れもしていなかったので原生林状態になっていました。少し剪定しようと考えては道具は持ち出すのですが、惨状を目の当たりにすると途端に気力が萎えてしまいます。そこで業者に庭木の伐採をお願いすることにしました。
さすがにプロだと仕事が丁寧で速くほぼ完全に更地状態となりました。ただ表の道から建物が丸見えになっています (良いのか悪いのか、、、)。まあこれからのんびりと庭づくりでも始めましょうかねえ。なお切り出した庭木は来シーズン用の薪にするつもりです。これもカーボンニュートラルと呼べるのかなあ。あるいはゼロエミッション ? ーーなんか最近妙な用語が増えてきてついていけません。
中学・高校の同期が BBQ をしに来たので (29日) 翌日のお昼は例によって姥子温泉近くの蕎麦処、竹やぶに行きました。
天気はあまり良くなかったのですが、新緑が綺麗で眩しいくらいでした。
ここの庭は相変わらず訳のわからないもの (失礼!)、もとい、アート作品で溢れていました。
12日にバスで前を通った時にほぼ満開だったので、今日も大丈夫だろうと思っていました。そこで Garmin の「週末 10 km」と「4月の 15 km ランニングチャレンジ」を同時にこなすために少し山に入ったコースを宮城野まで 15 km 強 走りました。
このうよな満開の枝垂れ桜が国道 138 号線と早川の支流の間で 200 m くらい続いています。
いっぽう早川支流の対岸ではソメイヨシノ (多分) が満開となっていました。両者が同時期に満開になるのは珍しい気がします。これも気象の変化のなせる技なのでしょうか。
宮城野といえばやはり Box Burger ですよね (元箱根の芦ノ湖畔にあったときからのファンです)。正午前に着いたので待ち時間はほとんどありませんでしたが、食べ終わる頃には結構な行列 (駐車場に入れない自動車の列) ができていました。
なおここには大抵は自転車で来るのでビールはなしですが、この日はランニングだったので何のためらいもなく注文しました。帰りはもちろんバスです。
9 日の大雨から 1 日経つのですが、浄水場の近くの小さな池で水が湧き出していました。
以前からこの池の水源はなんなのだろうかと不思議に思っていたのですが、湧水だったのですね。ただ一直線上に湧き出しているのもちょっと不思議です。下に沈んでいる石も気になりますし、、、ただの湧水ではないような気もします。
2 月 3 日に納入された玉切りですが、3 月 17 日から薪割りをし始めました。腕力には自信がないので一回 (一日 1、2 時間程度) に割れる玉切りはせいぜい 3 個です。とりあえず 7 個を割り終えて薪棚に並べています。残りは 20 個ですが、のんびりやっても 5 月の連休までには終わるでしょう。
なお 2 月 3 日にも書いたように、仙石原は湿気が多い (いちおう湿原です) ので、2 年間置いても薪の乾燥は進みません。基本的には「最後にもう一振り」で、薪は小割り (太さ 〜 8 cm 以下) にしています。
今年も箱根仙石原のすすき草原で山焼きが行われました。午前の部 (台が岳湿原側) は 10 時 30 分から始まり、すぐに白煙は上がるのですが火が見えるまでには燃え上がらないようです。その後しばらくすると、火が見えたり見えなくなったりを繰り返しはじめました。この写真は 11 時 09 分に撮ったものです。
今年は雪や雨が多かったので着火しづらいのか、それとも他の理由で慎重になっているのか、ちょっと例年よりも時間がかかっている感じです。
その後も火が見えたり見えなくなったりを繰り返し、なかなか一気に燃え広がるといった感じではありませんでした。ただ 11 時 40 分過ぎくらいからようやく火の帯が広がり始めました。この動画は 11 時 50 分の状況です。
燃え広がり始めると火が回る速さはさすがに速く、11 時 58 分にはすすき草原の半分以上が焼き尽くされています。報道関係者 (?) も火の先端を追ってここまでやってきています。
その 3 分後の 12 時 01 分には目の前まで火がやってきました。パチパチという音もさることながら熱波もかなり強くけっこう迫力があります。消防士さんたちも延焼を防ぐために周囲に水をかけて回っています。
この後数分で火はおさまり、午前の部はここで終了です。午後の部 (仙石原湿原側) は所要のため見学できませんでした。
なかよしさいくる創立 50 周年記念バーティーが駒場の MM ホールで開かれました。約 160 名が参加したのはやはり半世紀といった歴史の重みでしょうか。これは会の最後に撮った集合写真ですが、左下に少し見えているカスクに焦点があっており、後ろの人の顔はよく判別できません。このような web に載せるにはもってこいの写真です。ちなみにこの写真は、このカスクをかぶった人の自撮り写真を本人の顔が入らないようにトリミングしたものです。
中学、高校時代の同級生、ワンゲル仲間が遊びに来たので、このところの定番 (マイブーム?) となっているダッチオーブンでローストチキンを作りました。今回は人数も 6 名と多かったので、丸鶏ではなく後脚だけにしました。丸鶏は見栄えはいいのですが切り分けるのが面倒なのと、みなさんが欲しがる後脚が 2 本しかありません。そこで人参、ジャガイモ、玉ねぎなどを下に敷いてその上に後脚を並べる作戦に出ました。できあがりはこんな感じです。
まあけっこう良い出来なのではないでしょうか。味の方もそれなりに満足できるものでした。ちょっと微妙な表現なのは、みなさんは美味しいと言ってくれましたが、個人的にはちょっと焼きすぎた気がします。鶏肉がわずかにパサついていました。
丸鶏と違って後脚だけだと肉には火が通りやすくなるのですが、野菜に対しては変わりません。また豆炭を本格的に導入した経緯もあり、ダッチオーブンの上の火力が強すぎた感もあります。簡単な料理なのですが、火加減や加熱時間などなかなか奥が深いですね。
来シーズン用の玉切りが届きました。27 個で総重量約 1 トンです。これから 5 月の連休までに薪割りを済ませることになります。その前にまずこの玉切りを庭 (標高差約 3 m) まで運ぶのですが腰が心配です。(いちおう雪が降る前の 2 月 4 日には済ませました)
なお 1 トンとは言っても、まだ水分を随分と含んでいるので、来シーズンが始まる頃には 700 〜 800 kg になります。
ちなみに仙石原は年間を通じて湿度が高いので、薪を 2 年間乾燥させることにはあまり意味がありません。なるべく小さめ (最大辺 〜 8 cm) に割って 1 年で使い切ることにしています。あ、もちろんこれだけでは 1 シーズンは持たないので、他のところから乾燥薪を 800 〜 1,000 kg 程度調達しています。全て乾燥薪にしてもいいのですが、薪割りはまあ趣味ということですね。
Vaporfly には靴底にカーボンファイバープレートが埋め込まれています。買った時はそのことを知っていて、走り方もつま先着地にしなければならないと理解していました。靴底のゴム部分が前方にしかないのはそのためです。ただ 2 年間ほったらかしにしていた間にそのことを忘れてしまいました。右足の踵外側が減ってしまったのは踵着地でしかも右足に重心が偏っているせいです。
そこでどうせ Vaporfly を捨てるならばとりあえずカーボンファイバープレートだけは取り出しておくことにしました。プレートはウレタン樹脂 (?) に埋まっており、なかなか苦労はしましたが無事取り出すことができた写真です。
Vaporfly 以降、靴に対する規格 (レギュレーション) が厳密化されているのですが、例えばこのプレートをインソールとして使うのはどうなのでしょうかねえ。まだ走ったことはありませんが、普通に歩くぶんにはなんとなく体が軽くなった気はします。
厚底シューズが流行しはじめた 2020 年 1 月に購入した Nike Vaporfly ですがついにご臨終となりました。最初に手に取った時の感想はずいぶんと華奢な作りなのでそんなに持たないだろうといったものでした。そこで web で調べてみたところ寿命は 400 km 程度とあったのでまあそんなところだろうと納得しました。ただ私は走行距離 600 km を目処にシューズを交換しているのでちょっと高い買い物でした。(物珍しさで買ったので別に後悔はしていません)
その後、諸般の事情もあり 2 年間くらい使っていなかったのですが、昨年からランニングシューズ 3 足のローテーションに入れて少しまめに使いはじめ、昨年末にふと靴底を見たところこのような悲惨な状態となっていました。累積走行距離は 300 km 弱なのでちょっと早かったですね。2 年の間にゴムなどの素材が劣化してしまったせいもあるかもしれません。
ただ寿命を走行距離で表すのはいかがなものでしょうか。素朴に考えれば歩数で示すのが妥当でしょう。歩幅は人によって違うからです。もちろん走り方も人によって違うので (私の場合は写真のように右踵の外側が異常に傷んでいる)、歩数だけというのも不正確でしょうが、距離よりは歩数のほうがより正確だと思います。ちなみに私の歩幅は 1.2 m 強なので、300 km 走ったとすると歩数は 25万歩 ( = 300 km / 1.2 m) となります。もしも歩幅が 1.5 m の人が 25 万歩 走ると走行距離は 375 km となります。まだ 400 km には届きませんが、、、
仙石原文化センターの近くに宿木がついた木があります。これは昨年末に撮った写真ですが、見事な球体が出来上がっていました。
中にはこのようにたくさんつけた木もあります。数年前に最初に見たときは鳥 (カラス) の巣かなと思っていたのですが、昨年末に見事な球体を見つけて web で調べてみたところ宿木だということが分かりました。夏場は宿られている木の葉が繁っているので分かりにくいのですが、落葉するとこのように分かりやすくなります。
今年は三嶋大社に初詣に行きました。いつもは箱根神社に行くのですが、その近くの小田急山のホテルへ行くバスが正月期間中は運休するといった暴挙に出たため、交通の足がなくなってしまいました (一人ならば走って 3/4 時間くらいですが、奥さんはランナーではないので、、、)。箱根神社に行く交通手段は他にもありますがかなり遠回りになります。ただまわり道して行くのならば箱根フリーパスがお得かなと思って調べたところ、フリーパスで三島まで行けることを発見し、どうせなら三嶋大社にしようということになりました。いろいろなハプニング (大渋滞や他のバス路線の正月運休区間) もありけっこうな珍道中でしたが、なんとか三島駅 16:15 発の終バスで戻ってこられました。ネットの路線 (乗換) 案内は正月ダイヤにまでは対応していないようです。
なお三島駅でバスに乗って発車を待っているときに緊急地震情報のアラームが乗客ほぼ全員のスマホから流れました。伊豆半島ではなく能登半島だということでホッとしましたが、被災者の方々にはちょっと後ろめたい気持ちがあります。一日も早い復旧を応援したいと思います。