古代ローマ最初期において、交換の媒体としては家畜と青銅塊が用いられていた。Aes Rudeは紀元前8世紀から紀元前5世紀にかけて使用された青銅塊で、広く中央イタリアで使用されていた。これは重さも形も様々であり、使用する度に秤量する必要があった。その後青銅を一定の形に鋳造するAes Formatumが造られたが、小さく割って使用されることが多かったため、やはり使用する都度に秤量された。発行者の権威と質の保証を行うための刻印などもまだ見られない。
紀元前5世紀半ばにはAes Signatumが登場した。これは約1,600gの重量を持つ青銅の薄板で、ペガサス・鷲・牡牛等が記された。紀元前3世紀になるとAes Graveが導入された。このAes Grave は青銅の鋳造貨で、Asを中心として体系化された。意匠もミネルヴァやヘラクレス、ヤヌスと船首等へと変わっていった。
紀元前3世紀初頭のマグナ・グラエキア征服を機にギリシア式のDidrachma銀貨が導入されたが、この時はローマが自ら発行したもではなく、ネアポリスに製造させて使用しており、紀元前269年になって初めてローマが自らの手で銀貨を発行するに至った。このドラクマの体系は主に南イタリアのギリシア諸都市との取引に使用するために整えられたと考えられ、紀元前211年にDenarius銀貨が導入されたことで終焉を迎えた。
[写真:クロアカ・マクシマの大排水溝 ローマ]