アウトサイダー隊第4.5話

余所者たちと出発の話

 ブレーデン・エレクトロニクス社。シルフィーやクロムといったD-phoneをデザインし、生み出してきた大手企業の名前である。D-phoneはブレーデンや、そのほかのメーカーで生み出され、その大半がセンチネル・グローリーかドラグーンのキャリアを通して通信を行っている。それはD-phoneたちが生み出されてから今日この日までそうだったし、これからも変わることはないだろう。「超・情報技術革命」と呼ばれるD-phoneの誕生は、未来永劫を変えてしまうほどの大きな出来事なのだ。

 そんなブレーデン・エレクトロニクス社……BE社を目指すには、わずか8cmの体躯では途方もない時間がかかる。たとえ多機能装甲(アプリケーション・アーマー)を使用して移動速度に拍車をかけたところで、わずかな誤差が生まれるだけだ。加えて、公共交通機関を利用しようにも、BE社が本社を構える都心部に向かうには、少し無理があるのだ。と言うのも、都市部になればなるほど、D-phoneの数は増えていき、キャリア戦争も激化するからである。

「そうそう、いい感じ! あ、ほら前方注意!」

「う、わわわ! え、待ってこれ……」

 ガタン、とシーアと彼女を指導する役所のD-phone・ユノーの体が大きく跳ね上がった。シーアの運転する車が、歩道に乗り上げたのだ。アプリで創造した疑似的なハンドルを座っているダッシュボードに放り出すと、ユノーが器用に運転を代わり、車を再び元の位置に戻した。

「運転って大変すぎる……視野角が広いんだか狭いんだかよくわからなくなって、前方にしっかり目を向けてるのに、真下が全然見えなくて。あと体がすごく重たく感じる」

「そういう話、もう何度も聞いたわ。すっごくわかる……というか、私も同じ経験したって話だし」

 BE社へと向かう道を最短で、確実なものとするため、シーアたちアウトサイダー隊は現在、クラネアと出会ったその街に止まっていた。そしてシーアは、こうして運転技術を身につけ、免許を獲得しようと奮闘しているのだ。

「ユノーはどれくらいで免許手に入れたの?」

「私の場合は3ヶ月と21日と4時間2分ジャスト」

 嵐の中ですらスイスイと不自由なく運転していたユノーには、到底追いつけないんじゃないか、とシーアは考える。だがやるしかない。再びハンドルを出現させ、しっかりと握る。

「カーブは曲がれるようになってるじゃない?」

「駐車させるの、っていうかバックになると一気にわかんなくなっちゃって。そもそも、他にあんまり車が走ってないこの世界で、きちんと道路交通法に則った運転ができるって意味あるの?」

「人類が戻ってきた時の話、シーアは車を暴走させるつもり?」

 それもそうだ。一呼吸置いて、再び前を見た。

 周囲の道は、一見何も変化があるようには見えない。しかしよく目を凝らせば、道路の舗装はボロボロになってきており、乗り捨てられたかのように車が停車し、雨風にさらされて所々に錆を生じさせていた。車内は埃をかぶり、被害がひどい車は植物に半ば侵食されていた。

 この世界に、人類は存在しない。「修正の一秒」が発生した7年前に、人類は忽然とその姿をくらませたのだ。残ったのは、D-phoneたちのみ。独立した携帯端末だった彼女たちは、そして同時に全てのモデルが例外なくリンクされていた。セキュリティ・システムへの不正な強制アクセス。そして人類消失。混乱に陥るD-phoneたちはやがて人類の捜索、施設の保全のために動き始め、そしてそのキャリア拡大のために戦争を始めた。

 キャリア戦争、と呼ばれる争いである。


 街で暮らす、というのは存外お金がかかるものである。公共施設運営及び保護協定、と呼ばれる協定が、キャリア戦争初期に結ばれた。その恩恵として、行き場を失ったD-phoneでも公共施設で暮らすことができる。旅をしてきたD-phoneたちも、駅やホテルといった施設を使用できる。一方で、それらは「税金」という形で維持されている。もちろん、使用料金を払うことも必要だ。しかし、それだけでは常に電力を供給し、故障箇所を修繕し続けるのには無理がある。そのための税金を、全てのD-phoneから徴収する。だからこそ、仕事をし、お金を稼ぐ。これも経済を守ると言うD-phoneの活動の一環だ。

「うおらァ!」

 ハンド・マニピュレーターの攻撃を掻い潜り、攻撃してきたD-phoneを、その硬い左手で殴り飛ばした。数メートルほど飛ばされた迅雷型のD-phoneは、まだ抵抗の意志を見せたが、やがて弱々しく腕を地面に投げ出し、動かなくなった。

 見れば周囲には数体のD-phoneが、同じようにぶちのめされたのか転がっていた。もちろんそれ全てがマレットの仕業ではない。

「……大体引き分けくらいだな!」

「いーや、アタシの方が1人多くぶっ飛ばした!」

「よーく数えてみろマレット、こっちに倒れてるやつの方が多い!」

「何いってんだアズラ、アタシが殴るとそっちに転がるだけで、お前がぶっ飛ばした訳じゃねぇ!」

 キャリア戦争というのは、要するにD-phoneたちのキャリア拡大戦争だ。より多くの電波発信拠点を確保し、その町における活動権利、すなわち実効支配を行うことを目的としている。機械同士の戦いのため、外部からの電波的なハッキング行為はお互い迅速に対応されてしまう。そこで実戦でのぶつかり合いという手段が取られている。マレットとアズラは、そんなキャリア戦争における小競り合いの一つ、送り込まれてきた傭兵の対処に当たっていた。どうやら倒した敵の数で競っているようではあったが。

「いーやあたしだね!」

「アタシだ! メモリー再生してよく数えろ!」

「戦えたのはあたしのジャミングのおかげ!」

「アタシの援護がなきゃ何度かぶっ壊された!」

「あたしが!」

「アタシが!」

 争いは止みそうにない。


 必要なのはお金だけではない。D-phoneがいくら機械だからとはいえ、いや、むしろ機械だからこそ、さまざまな物資が必要となる。機械は無機物と違い、新陳代謝しない。D-phoneはナノマシンによって小さな傷は修復するが、消耗パーツの損傷までは回復させられない。パーツの隙間に埃が入れば掃除をする必要があり、保護カバーが古くなれば交換し、パーツが古くなったり、摩耗すれば交換しなければいけない。

「それで、これから何が必要なんですか?」

 訪ねたのはアルカナ、開発したアプリを売るセールスD-phoneで、アウトサイダー隊に加入した新たなメンバーだった。

「あとは人数分の充電器に予備のパーツ、工具一式も欲しいところですねぇ! それから電池に、衝撃吸収材というかクッションみたいなものと、仕切り用の段ボールとか厚紙的なのと、あとパソコンも欲しいですね〜できれば数台。あれがあれば各種ソフトウェアのメンテナンスとかも簡単になりますし! 最悪タブレットだけでもいいんですけど」

 アルカナの問いに答えたのはスレイプニル、下半身が馬のような姿をしている、少しせっかちなD-phoneだ。早口でよく喋る彼女だが、その記憶力の良さはこういったところで発揮される。メモアプリを使うことなく、必要なものをすらすらと復唱できる、というのは、彼女の強みだと隣を歩くゴウライザーも考えていた。少しうるさくはあるが。

「大抵のものは駅で揃う、というか揃って欲しいよな」

 今三人がいる場所は駅構内、協定が守るべき優先度の上から2番目に設定している施設だ。交通網の遮断は、D-phoneたちの生命線と言っても過言ではない。手軽で手早く、大量の荷物を運べる上に、全国に細かく敷かれた流通網など、電車を除いて存在しなかったし、道路を舗装するよりメンテナンスが楽だからだ。

 そのため、商業も駅構内に集中するのはとても自然なことだった。8cmしかないD-phoneたちは、人間と違って店舗を持つのにそれほど大掛かりなスペースを必要としない。大きめの段ボールを用意したり、カラーボックスを運び込むだけで事足りる。人間と比較して1/20スケールと呼べるほどの大きさなら、すでにある施設は20倍広く活用できるのだ。

 しかし、空間を20倍活用できるようになったとはいえ、好立地の問題なども同じく20倍に膨れ上がる。ゴウライザーがなんでも揃いそうだ、と駅の出入り口に近い大型店舗(人類がいた頃も駅構内の生鮮食料品を取り扱うお店として栄えていた)に入ろうとしたところを、アルカナが止めた。

「なんでだ、ここなら全部手に入るぞ?」

「看板に偽りはありませんが、商売の基本は安く、良いものを、です。ここでは値引きができない」

 値引きなんてあまりしたことのないゴウライザーにとって、それは考えたこともない着眼点だった。

「確かにたくさんの荷物を運び出すにはここは便利です……しかし、私たちが現在求めているのは大量の発注です。スレイプニルさん、必要物資をもう一度お願いします」

「はいはい、人数分なので12個の充電器、リュック型のやつがいいというお話がシーアちゃんから出てますね! 予備を少し用意してた方がいいので15個ほどでしょうか。それらを稼働させるだけのボタン電池が欲しいので、充電器一つにつき2個使うとしてもボタン電池30個、LR44かLR41かは対応機種を確認しましょう。多分LR44ですけどね。それから予備のパーツは手足などの大型のパーツはともかく、交換用のレンズやスピーカー、関節モジュールにそれらをつなぐバンドやモーターなど多岐に渡るはずです。人数分は無理なので、これは3つずつくらいでいいんじゃないでしょうか。クッションや衝撃緩衝材に関してはこれからシーアさんが運転する車の中で激しく揺さぶられた時、可能な限りダメージを抑えるためのものなので人数分プラスアルファでやはり15個ほど。仕切り用の板に関しては材質は問いませんので安いのを探したら大丈夫そうですね! パソコンに関しては見つかれば、という気持ちだというお話なので、これは急ぎじゃなさそうです。でもタブレットくらいはあってもいいなーって私も思います!」

「となると……」

 スレイプニルの早口と同時に全てをメモし、調べ、計算したアルカナは、その結果をゴウライザーの目の前に突きつけた。

「あの店で全部揃えるとなると、これくらいかかります」

「だ、だから予算ギリギリだろ? 少しオーバーした分は私のポケットからでも」

「半値に抑えられます」

「何!?」

 さすがのゴウライザーもこれには声を荒げた。

「もちろん、その分運搬などが大変になりますので、一部費用を使ってそうですね……台車を借りましょうか」

 アルカナは駅が貸し出している小型の台車の方を向いた。タイヤの調整が悪かったり、台車自体が重たく動かしづらいなど、どこの駅に行っても台車は不人気だ。もちろんここでも例外はなく、サイズも色もバラバラなものが隅に置かれている。使用料はかかるが、それほど高いものではない。

「任せてください。商売人の技量、お見せしましょう」

 アルカナは自信満々に胸を叩いた。


 レインと名乗ったD-phoneは、それから次の一言を絞り出すように口にした。

「僕を、壊して欲しい」

 その言葉を受けて、蒼明、クラネア、ライクの三人は困ったように口をつぐみ、お互いを見合わせてしまった。

「依頼として、だめ、かな……」

 おどおどした口調でレインは尋ねる。しかしその言葉に、すぐにうん、と頷ける者はいない。

「理由を伺いたい」

 蒼明がレインの隣に腰を下ろすと、落ち着かせるように優しい声音で尋ね返した。

「ぼ、僕……帰る場所もわからないし、まともな充電もできないし……」

 まともな充電、と聞いてライクが深くうつむいてしまう。というのも、レインを安全な場所に運び込んでから充電しようとしたが、彼女の背中のデバイスが誰の充電コネクタも受け付けなかったのだ。仕方なしに経口補給する形で電力を少し与えると、嘘のようにレインが飛び起き、大きな鎌を振り回して襲い掛かってきたのだ。マレットが当然のように応戦したが、レインの鎌がマレットの電力を吸収していったようで、レインが落ち着いてくると同時にマレットの力が弱まり、へなり、と倒れてしまったのだ。

「せやなぁ……あれを充電ゆーんは、ちょっとおっかないな」

「そ、そう……だからみんなに、その、迷惑かけるくらいなら、僕……」

 しかし、と蒼明がレインの言葉を遮った。

「レイン殿にも合う充電器が見つからない確率は無ではない。低くとも、それは確実にある。その可能性を信じるべきでは?」

「でもそれがどこにあるか、わからないんだったら……それまでたくさんの子を、僕、傷つけることになる……」

「じゃアそのたびに止メればいいのよ~」

 さも当たり前のことのように、クラネア。フォビアも頷くようにしゃきしゃきと上下に揺れた。

「だ、だけどそんな迷惑……」

「あのねぇ!」

 突如、四人が休むそこに大きく威勢の良い声が降り注いだ。

 四人がいるのは、ホテルと呼ばれる施設だ。いや、ホテルと呼んでいるだけで、そんな豪華な一室ではない。そこは駅構内の隅の方に置かれたカラーボックスの一段。そこに延長コードと照明を無理矢理インストールした空間だ。D-phoneにとって、厳密な意味で眠るという行為は存在しない。類似しているのは、電力の消耗を防いだり、効率的な充電やオフラインのデータ整理を行うスリープモードだ。そして、それが安全にできれば、どこでもホテルとなり得る。駅は協定で守られた安全な場所の一つであり、場所を大きく取らない彼女たちにとって、都合の良い休憩所になる。

 そんな彼女たちのホテル、つまりはカラーボックスの表面に布を張って申し訳程度のプライバシーを確保した空間に、ずかずかと入ってきたのはピンク色の髪に白いアウターを羽織ったD-phoneだった。煌びやかな見た目はシルフィー系統のモデルをベースに改造が施されているからだということがわかる。

「お主は」

「私はサクラ。あんたたちを救いに来た魔法少女よ!」

 ぴしゃり、とサクラはそう言うと、レインとは違った意味で空気を静まりかえらせた。

「あー……間に合ってますんでお引き取りを……」

「あなた!」

 ライクのやんわりとした言葉を無視して、ぴしゃりとレインを指差す。ひぃ、とすくみ上がるレインを無視して、ずかずかと距離を詰め、至近距離で見つめる。

「あのね、そう簡単に壊してなんて言わないでくれる?」

「で、でも僕の勝手」

「じゃあ心配するのも私の勝手よ」

 真剣な眼差しと強い口調に、レインは反論もできずに言葉を飲み込んだ。

「いい? あんたがどれだけ不幸かは知らないけど、私の目が黒いうちは誰も死ぬなんて言わせ……」

 そこまで言いかけて、サクラはクラネアと目を合わせた。やっほー、と呑気に手を振るクラネアに対して、サクラは大きな魔法の杖を再物質化する。

「何!? モンスター!?」

「モンスターでース」

 ノリよくクラネアが返事すると、開始されたどたばたの戦いを止めるのに蒼明もライクもてんやわんやとなってしまった。


 ゴウライザー、スレイプニル、アルカナの三人が買い物をし、蒼明、クラネア、ライクがレインの話を聞きながら乱入してきたサクラに対応するちょうどその頃、駅構内の別な場所ではドロッセルとアカツキが情報収集に奔走していた。

 ドロッセルは依頼用の掲示板に訪れるD-phoneたちに、アカツキは駅を出入りするD-phoneたちに、それぞれ声をかけていた。

 突然声をかけられることに、D-phoneは誰も驚くことはない。口頭での情報伝達が最も機密性の高い方法である点に加え、接点のない相手に通信を飛ばすことはマナー的にあまりよろしくないとされており、彼女たちはもっぱら、特に知らない相手には遠慮なく声をかけて話を聞くのが常だった。

 しかし、だからといって望む答えがもらえるとは限らない。ドロッセルもアカツキも、1時間ほどブラックラビッツに関する聞き込みを続けたが、その大半が「噂には聞いたことあるけど、知らない」という答えしか持っていなかった。持っていたとしても「闇に溶け込むために真っ黒な姿をしている」「突然襲ってくる」「毒を使ってくる」「アプリもなしに5メートルを飛び上がる」など、尾鰭がついたような噂ばかりだった。

「成果なし」

「あったらそもそもこうして私たちも困ってないよねっ」

 アカツキは小さくため息をつくが、すぐに気持ちを切り替える。

「ねぇドロッセル、もしかしたら聞き方が悪かったのかもっ」

「質問の形態を変更する作戦に賛同」

「じゃあ次は……ブラックラビッツと遭遇した人を知っていますか、みたいなこと聞いて、その場所を教えてもらおうかっ」

「異論なし」

 それからまた1時間ほど、2人は聞き込みを続けたが、どちらも満足した情報を得ることはできなかった。なんでだろう、とアカツキは思い悩む。

「遭遇者なし。知人の遭遇者、多数」

「こっちも似たような感じだよーっ。その知り合いの遭遇した場所は、って聞いても、はっきりした答えなしだもんねっ」

 だが、これは単なる噂話や都市伝説ではないことを2人は知っていた。もちろん、中には単なる都市伝説として扱っているD-phoneもいるが、実際に目の前で対峙し、戦闘をした以上は嘘でもネタでもないことを、経験的に理解していた。

 だからこそ、こうして同様の話がないか探しているのだが。

「可能性」

 思い悩むアカツキに、ドロッセルが一言かけた。何、と顔を上げるアカツキ。

「ブラックラビッツと実際に遭遇した個体は全てが破壊されている可能性」

「どういうことっ?」

「怪談の定番として、話を持ち帰り、伝える必要がある。話を伝えることができたとはすなわち、怪談における生存者の存在を証明している。しかしながら、同時に噂のみが流布している場合、遭遇者が存在しない可能性と同時に、遭遇者が軒並み死亡している可能性が考慮される」

「つ、つまり……正確な情報が持ち帰られないのは、みんなやられてるからってこと……っ?」

 肯定、とドロッセルは頷いた。もしそうだとしたら、例えば仲間がやられているところからかろうじて逃げてきたD-phoneが、黒い兎のようなD-phoneが仲間を破壊したという話だけを伝えたことになる。そこから話はどんどん膨れて、先の調査からも知れる通り、実態のない噂が広まり続ける原因となっているのも頷ける。

「じゃ、じゃあ、私たちが撃退できたの、かなりラッキーというか、私たち強すぎるってことじゃないっ?」

「その点においても肯定」

「やば、私たち強いじゃんっ!」

 関係ないところで喜び、アカツキはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。がしゃこがしゃこ、と両足の武装が音を立てた。


 シーアがやっと免許を手に入れたのは、それから1週間過ぎた頃だった。まだまだバックでの駐車が苦手だったが、どうにか及第点といった具合だ。もっとも、車が走っていること自体が少ない世界だし、さしたる問題になるということもないが。

「高速はまだ絶対無理って話だから、まずは車を走らせることに慣れること」

 ユノーに釘を刺され、シーアは笑って頷くしかできなかった。噂話や、講習として見せられた自動車を題材にしたアニメでは、高速ではかなり速度で相手を突き放す方が正義とされていた。同じことが自分にできるとは思えない。

「でも、これでどうにか前に進めるね」

 この世界における車の需要は、高くも低くもない。そこを仮の住まいとすることもできるし、移動の手段とすることもできるからだ。とはいえ、D-phoneは人間と比較しておよそ1/20の大きさのため、車を必ず必要としているわけでもない。そこで彼女たちは、基本的に道に置かれた車から適当な一台を選んで使用している。持ち主が不在というわけではないが、置いておくと邪魔になる車も多数存在する。そういったものから優先的に使うように、とされているのだ。

 シーアが選んだのは、ブルーのフォーシーターだった。国産の自動車で、後部座席は倒して広く使うことができる。本当はもう少し大きいのを、と考えてもいたが、それを運転するだけの技量が自分にはないと考えたのだ。

「この広さ、戦闘訓練場にできねーかな」

「ダメだ。全員を乗せて走るんだ、そんな無駄なスペースはないぞ」

 マレットの戯言にツッコミを入れるゴウライザー。わかってるよ、とマレットは笑いながら搬入作業を続けたが、割とその言葉は本気だった、とシーアは考えた。

「予備バッテリー積み込み完了、ノートパソコン積み込み完了、各員のスペース問題なし」

「必要な大きいとこは全部完了しましたね! 固定も多分大丈夫だと思いますし、必要あれば都度直していけば大丈夫でしょう! 緩衝材、ちょっと余っちゃいましたね」

 ドロッセルとスレイプニルが荷物のリストをチェックしながら搬入作業を行う。重量のあるものはロープを使ってしっかり固定し、軽いものはテープなどを使って動かないようにする。プラダンボールで仕切った空間の中には緩衝材を敷き、揺れてもダメージを受けないように調整する。その空間が、それぞれの個室となる。

「ガソリンも平気やな。満タンや」

「エンジンも確認したよー。ボンネット閉めて!」

 ライクが中から、アズラが外から車の状態をチェックする。アズラの一言と同時に、蒼明が車の屋根から飛び降りてバタン、とボンネットを閉じた。

「ナイス着地っ」

「感謝する、アカツキ殿」

 その様子を見て、アカツキが拍手する。元々、アカツキがやろうとしていたところを、ギリギリで蒼明が代わると提言したのだ。あのままアカツキが飛び降りていたら、足の武装でボンネットを貫いていただろう。

「それで、次はどこに向かうんです?」

「えっトねぇ……わからなイわ。確か、なンとか、ナんとカ……」

 商売を考えて商品を準備するアルカナに、全く答えられないでいるクラネア。ブレーデン・エレクトロニクス社だよ、とシーアが代わりに答えた。シーアの背中に今は収まっている丸いデバイス、一般にも出回っている外部コンデンサーシステムである。例えばクラネアのドローンユニット・フォビアのコアになっていたり、多くの用途に活用される。D-phoneの活動を助けてくれる便利なものだが、シーアが装着しているそれは現在動いていない。これを託してきたアズラの元依頼主の先生によれば、中に入っているデータを届けなければいけないらしい。

「い、いいのかな、僕がそんなところについて行っても……きっとまたみんなを困らせちゃう」

「いいのよ! ほら、今誰も困ってないでしょ? 困るかも、なんてことは困ってから考えるのよ」

 助手席前のダッシュボードの隅に、縮こまるようにして座るレインのぼやきに、サクラが力強く答えた。彼女の有無を言わせぬ強い口調に、レインはもう何度目になるか、すべての言葉を引っ込めてしまった。

「じゃあ全部のドア閉めて。発信するよ」

 シーアの声とともに、マレットがハンド・マニピュレーターを使ってドアをすべて閉めていく。ついでに、助手席のシートベルトをかちりと嵌めて、そこに置かれた工具箱を固定した。

「ユノー、何から何までありがとう」

「いいのよ、こっちこそ助かったって話だし。そっちこそ、気をつけてね」

 挨拶を終え、ユノーが車の窓から降りるのを確認すると、シーアは窓を閉じた。初めて、1人で本当の運転。車のエンジンをかけると、振動が車内全体に伝わった。

「おわ!」

 助手生の足元に座っていたゴウライザーが驚いた声をあげ、慌てて上がってくる。シーアはそれを見て微笑みながら、

「それじゃ、出発!」

 アクセルを踏み込み、車はゆっくりと人間のいない道を進み始めた。