オレタチ、というカンキツをご存じでしょうか。2種類の柑橘、すなわちオレンジとカラタチの細胞を融合して作られたカンキツです。このオレタチに代表されるように、カンキツは新しく開発されたバイオテクノロジーを他のどの果樹よりも早く、実現してきました。このように新しい技術をどんどんと実現してくることができたのは、ここで紹介する多胚性という特殊な性質をカンキツが有していたからです。多胚性はのちに説明するように、様々な技術開発の土台になってきた一方、交配においては厄介な性質として扱われてきました。それらのことについて、ここで紹介したいと思います。
植物を種から育てることを想像してください。一粒の種をまくとそこから一本の苗が発芽します。一見当たり前のように聞こえますが、カンキツ類では必ずしもそうではありません。カンキツ類の中でもいくつかの種類の種は一つの種から複数の芽が発芽することが知られています。このように一つの種から一つの芽が発芽する性質を単胚性、一つの種子からたくさんの芽が発芽する性質を多胚性といいます。柑橘類ではブンタンなどの種子が単胚性である一方、温州ミカンやオレンジ、レモンなどメジャーかんきつのほとんどが多胚性を有します。一つの種から生えてくる芽の数は決まっていませんが、種によってある程度の傾向があります。温州ミカンはどはたくさんの芽が出てくる一方、グレープフルーツなどではあまり芽が出てきません。 この多胚性において何より興味深いのは、たくさん出てくる芽のうち、一本を除き、すべてが母親と同じDNAを持つクローンであるということ。例えば多胚性を持つAという品種にBという品種を交配してできた一つの種から5つの芽が出てきたとします。そうすると、このうちどれか一方はAとBの子供ですが、他の4本はすべてAと同じ遺伝子になってしまうのです。クローンでない苗を見つけ出すことはDNA検査などをしないとなかなかわかりませんから、これが品種改良をするうえで大きな障害になることはいうまでもありません。したがって交配には単胚性の性質を持つ品種を母方として用いるのが一般です。なお、多胚性と単胚性の遺伝はかなりわかりやすく、多胚性が単胚性に対して優勢に働きます。
以上のような理由からカンキツの交配では単胚性を持つ品種が母方として使われることが多いのですが、日本で本格的にカンキツの品種改良が始まったころ、単胚性の品種はほとんどありませんでした。特に温州ミカンのように手で向ける品種であってかつ単胚性の品種は皆無で、やむを得ず多胚性が交配の母親として使われることが多々ありました。そんな中、多胚性を持つ宮川早生とトロビタオレンジの交配から奇跡的に交雑した苗が見つかり、興津21号という名前で調査が始まりました。これがのちに清見と呼ばれるカンキツの誕生の瞬間です。奇跡はまだ続きます。両親として使われた宮川早生とトロビタオレンジはともに多胚性でしたが、そこから生まれた清見は単胚性だったのです(両親が単胚性の遺伝子を劣性ヘテロとして持っていたことに由来します)。単胚性の品種は交配の母方として使うことができるため、清見を母方とした交配が多く行われました。現在出回っている品種はその血をたどれば必ず清見に行きつくといっても過言ではありません。それほど貴重な存在だったわけです。
このように多胚性は交配においては、どちらかというとネガティブな性質として捉えられがちですが、組織培養などのバイオテクノロジーの分野においてはむしろ大きなポジティブな性質として捉えられています。なぜなら珠心カルスと呼ばれる特別な細胞を作り出すことができるからです。バイオテクノロジーで様々な操作をする場合、まず細胞をばらばらにして、細胞一つ一つに対して操作を行います。操作を加えられた細胞はどんどん増殖を繰り返し大きくなるのですが、ただの細胞の塊として増殖するだけで、葉や枝がある苗になることはまずありません。そうするためには適切な成分を適切なタイミングで加えてあげる必要があるのですが、この条件を見つけるのが難しい。バイオテクノロジーの大きな壁がここにあります。一方多胚性の種子から作られる珠心カルスはちょっと条件を変えるだけで細胞の塊になったり種になったりと変幻自在に変化します。だから非常に実験に使いやすいのです。カンキツ類は他の果樹よりもバイオテクノロジーが進んでいますが、それもこの珠心カルス、強いては多胚性のおかげといえるでしょう