例大祭

現代の例大祭

現代の有鹿神社例大祭は、明治13年(1880)に古例の4月8日の遷座式を廃し、7月14日に変更して行われるようになったと【海老名郷土誌】にある。実際には7月の第二日曜日を本宮、前日土曜日を宵宮とする。

宵宮は、朝から上郷、河原口地区、有鹿神社境内で準備が行われるため、作業する役員の清祓式から始まる。境内北東の相模川に向かって祓戸を設け、注連縄を張り巡らせ、提灯の設置、神輿の運び出し飾り付ける。この間に境内屋台の準備も進む。午後に境内社三社(稲荷社、日枝社、諏訪社)の例大祭を斎行。その後、夕方には参心殿の神楽殿清祓式を終えて、神楽、演芸の奉納が神楽殿で行われる。

すべての出し物が終わると、静寂に包まれた境内で暗闇の中、絹垣を張り、本殿から神輿に神霊を遷霊する遷座祭を行う。

本宮は、朝8時から、例大祭の神事が宮司、神職により執り行われる。 鳥居を潜り、手水を取り、参道を参進、祓戸で修祓。社殿に昇殿し、巻簾、一拝、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、一拝。その後、直会となる。

神輿は、まず午前中に自動車での渡御が行われ、SOMPOケアラヴィーレ厚木、相沢地区(海老名総合病院東)の休憩所に立ち寄り、外記河原の御旅所で御旅所祭を斎行し、有鹿神社に戻る。その後、午後一に発御祭、宮出しは河原口の神輿会「有神會」上郷の神輿会「有鹿会」の他にも座間の鈴鹿明神社神輿保存会「入谷睦」、厚木神社神輿保存会「厚神会」など、周辺地域からも担ぎ手が集い、盛大なものになる。担ぎ手による渡御では神職が先導して有鹿小学校、有鹿の池など九箇所の休憩所に立ち寄り、御旅所の上郷自治会館を巡る。西暦偶数年は南回り、西暦奇数年は北回りでの渡御となる。同時に河原口はやし連、上郷はやし連の山車も賑やかに同町内を巡り、祭りを盛り上げている。

有鹿神社境内では屋台が立ち並び、参拝者で大変に賑わい、夕方には神楽殿で神楽、演芸が奉納される。

夜8時30分頃に神輿が有鹿神社へ宮入り。拝殿前に戻った神輿を絹垣を張って囲い、神輿から本殿に神霊を還御する還御祭を行う。

幟旗

宵宮

  • 7:30頃 清祓式、神輿の運び出し、境内準備

  • 13:00頃 境内社、三社様の例大祭

  • 17:30頃 神楽殿の清祓

  • 18:00頃 宵宮奉納神楽、奉納演芸

  • 21:00頃 神輿御霊遷座祭

本宮

  • 8:00頃 例大祭神事

  • 9:30頃 神輿発御、自動車による渡御

  • 12:30頃 子供神輿発御

  • 13:00頃 神輿発御式、担ぎ手による渡御

  • 18:00頃 本宮奉納神楽、奉納演芸

  • 20:30頃 神輿宮入

  • 21:00頃 神輿御霊還御祭

発御

御旅所の忌竹(上郷自治会館)

祓戸

外記河原

例大祭での相模川への浜降りと渡御

現在は浜降りも相模川渡御も行われていないが、有鹿神社社務所の会議室には昭和30年代前半に撮影された相模川への浜降り写真が飾られている。

【神社調査報告書】によると、明治14年から神輿渡御が行われなくなっていたが明治35年の7月13日例祭で村の青年らが我慢しきれずに神輿を担ぎ出し、相模川河原へ降りたといい、翌年から恒例となったという。大正4年7月17日の【横浜貿易新報】には「相模川中祭典」という見出しで有鹿神社の例祭で神輿が村内を隈なく渡御した後、相模川橋下流に飛び込むという記事を載せている。【海老名市史9別編民俗】には有鹿神社の神輿が相模川を渡御して厚木神社天王祭に参加していたが、事故があって渡御せず神輿を川に入れる真似だけになったと話が載っている。