神輿

神輿

有鹿神社例大祭で担がれる神輿は屋根延神社型の漆塗りで、昭和28年に制作された。

制作は神輿師、後藤直光。千葉県市川市行徳の神輿師で年代的に四代後藤直光の指揮によるものと考えられる。

担ぎ方は江戸前担ぎで、担ぎ棒は四点棒。大祭には地元の「有神會」の他にも座間の鈴鹿明神社神輿保存会「入谷睦」、厚木神社神輿保存会「厚神会」など、周辺地域からも担ぎ手が集う。

今では行われていないが、昭和30年ごろに相模川に浜降りしていた写真が社務所に飾られている。

先代神輿

先代神輿は制作されてから二百年を越えていると伝えられ、昭和167月に修理された記録があるという

現在は引退して倉庫に保管されている。(写真は有鹿神社広報部アカウントのツイートより引用)

海老名市史編纂のために書かれた【神社調査報告書】には先代神輿について以下の口伝があるとする。

旧神輿

製作者 手中景信(ママ) 大山の人。

五代前の祖は僧良弁が奈良にいた頃の工匠の棟梁。

一説には昔時、相模川上流より洪水の際、流れ着いたものとされるが確認なし。

制作年代不明。

大山の手中というと相模国大山の宮大工が代々襲名した名跡「明王太郎」の手中家が知られるが、作人札などは確認されていない。

過去に有鹿神社の神輿が相模川を渡御して厚木神社天王祭に参加していたことが【海老名市史9別編民俗】に書かれているが、大正4年7月17日付けの【横濱貿易新報】にも7月14日の例大祭で相模川を渡御するという記事があり、こちらは先代の神輿で渡御していたということになる。

江戸末期、明治初期の水引祭で勝坂有鹿谷へ渡御していたのも、先代神輿であると考えられる。

史料として残る神輿の記録では、宝永11年(1761)に勝坂で起こった磯部村住人による有鹿神社神輿襲撃事件「有鹿出入一件」がある。