御社殿
御本殿
有鹿神社本殿は平成4年(1992)に海老名市指定重要文化財となっている。【神奈川県近世社寺建築調査報告書】よると桁行七尺(210cm)、一間社流造、柿葺の大規模な社殿である。(【神奈川県神社誌】では春日造、桧板葺、1.9坪の社殿と説明されているが実際は切妻造ではない。)築造は18世紀中期と推定されている。
内部の構造は内陣、外陣の前後二室に分かれていて、外陣は正面の板唐戸の他に両側面に一本引建具を入れてあり、内陣の仕切りには二本丸柱を立てて板唐戸を入れてある。この空間で祭祀を行うことを想定している作りと考えられていて、実際に水引祭などで宮司が外陣に入るという。
彫刻は、向拝柱の獏の木鼻をはじめ、母屋柱には獅子と獏、正面扉両脇の菊水に竹と鳥の彩色透彫、虹梁の間に鳳凰の透彫、脇障子の昇龍透彫などが施されている。
※御本殿、社殿内の撮影は許可を得て行っています。
拝殿
拝殿天井龍絵図
拝殿は日枝造向拝付。14.5坪。
屋根は銅板葺き。大棟に神紋二つ。拝殿妻側の破風には雲に鶴の懸魚。
向拝には唐破風。上に棟鬼飾り、下に懸魚鳳凰彫刻。虹梁上と木鼻に龍の彫刻。有鹿大明神と書かれた神額が飾られ、これは関思恭の書とされている。鈴と鈴緒は一組。
段木三段上に賽銭箱を置き。濡れ浜縁有り。
拝殿内部は中央の身舎と左右の庇に分かれていたように見えるが、現在は仕切り壁は無い。天井板の天井龍絵図は江戸時代の絵師、近藤如水の作で嘉永2年(1849)頃に描かれたと考えられており、御本殿と同時に海老名市指定重要文化財となっている。
向拝の神額
鈴(昭和46年奉納)
鈴緒、賽銭箱
棟鬼飾り
虹梁龍彫刻
木鼻龍彫刻
唐破風懸魚鳳凰彫刻
妻側破風「雲に鶴」懸魚
幣殿・覆殿
幣殿は両流造。3坪。銅板葺き。
覆殿は神明造。12坪。銅板葺き。千木は内削ぎ、鰹木は4本。本殿1.9坪を覆う。
拝殿、幣殿、覆殿は三棟一宇となっている。
幣殿内
覆殿の千木鰹木
拝殿、幣殿、覆殿は三棟一宇
社殿再建修理の伝承や記録
天平勝宝6年(754)【有鹿明神古縁起】藤原廣政による神殿の再営
応永23年(1416)【有鹿明神続縁起】宝樹沙弥による大修理
天正6年(1578)【有鹿明神続縁起】
元和8年(1622)【沼田頼輔氏所蔵古文書】地頭高木主水正の内室が社殿再興
元文4年(1739)【総持院所蔵古文書】社殿再営
嘉永2年(1849)【御宮御普請ニ付差引勘定覚帳】
明治5年(1872)【海老名市史】
現存(令和2年)の御社殿について、境内の記念碑から昭和41年に改築が行われていることがわかる。しかし棟札など年代を示す史料が見つかっておらず、正確な築造年は分かっていない。海老名市史編纂の際に作られた【神社調査報告書】には覆殿については「明治5年建造」、幣殿については「明治期に作られたとされる」、拝殿については「明治年代とされるが不明」と記されている。
過去の写真
茅葺屋根の拝殿写真が有鹿神社社務所の会議室に展示されているが、他に書籍などで見ることもできる。一部挙げておく。
【目で見る大和・座間・海老名・綾瀬の100年】(平成5年・郷土出版社):明治、昭和の有鹿神社写真。
【高座郡指定郷村社寫眞帖】(大正8年・高座郡神職會):大正時代の有鹿神社、奉納砲弾が写っている。
【國學院大學デジタル・ミュージアム】絵葉書:リンク