は行

鳩川

よみ:はとかわ

相模原市上九沢、下九沢を源流とする相模川水系河川で、有鹿神社本宮の裏手で相模川へ合流する。名称は新編相模国風土記によると「籏川」であるが貞享三年(1686)の磯部村の史料には「鳩川」とある。明治になって現在の鳩川が正式名称となった。

鳩川用水

よみ:はとがわようすい

鳩川に下今泉村で堰を設けて分流させて、海老名郷の用水としたのが鳩川用水、または海老名五ヶ村用水という。

囃子連

よみ:はやしれん

この項で言う囃子は例大祭などで演奏される祭囃子で、その音楽を奏でる地域人たちによる保存会。有鹿神社の例大祭では、河原口はやし連、上郷はやし連が演奏する。

【人物】藤原廣政

よみ:ふじわらのひろまさ

有鹿大明神縁起によると、天平勝宝六年(754)には郡司であり、社殿の修理と共に総持院を建立した。その二年後に墾田五百町歩を神社に寄進しているという。

太玉命

よみ:ふとだまのみこと

記紀に見える天津神。忌部氏の祖とされる。日本惣国風土記では有鹿神社の御祭神であるとする。

扁額

よみ:へんがく

社殿の入口や鳥居などの高い位置に付けられる額。有鹿神社向拝殿の「有鹿大明神」と書かれた扁額は、寛保四年(1744)に奉納されたもので江戸の書家、関思恭が書いたものと伝えられています。

弁財天社

よみ:べんざいてんしゃ

安養院の裏手に祀られている弁財天社。新編相模国風土記には見られないが【日本考古学年報第 12 号】の安養院についての記述に弁財尊天とあるので昭和三十四年には現在の場所に祀られていた可能性がある。

奉納砲弾

よみ:ほうのうほうだん

大正時代、日露戦争で使われた砲弾等が戦勝記念として神社に奉納されるあり、有鹿神社にもあった。【目で見る大和・座間・海老名・綾瀬の100年】の昭和初期に撮られた写真には台座に載せられた砲弾が写っている。現在は社殿に保管されている。