さ行

祭神

よみ:さいじん

神社で祀られている神様のことで、主に祀られている神を主神、その他に祀られている神を配神、相殿神という。有鹿神社の祭神は大日靈貴命、有鹿比古命、有鹿比女命であるが、時代によって異なる説を取られていたこともある。

相模国五之宮

よみ:さがみのくにごのみや

相模国府祭で集まる六社の中で、五之宮格とされるのは平塚八幡宮ですが、五之宮と称しているわけではありません。有鹿神社が五之宮を称している理由は江戸期の寒川神社神職の書いた式内社の掛軸による。

大角豆

よみ:ささげ

マメ亜科ササゲ属の一年草で、つる性の種類とつる無しの種類がある。 種子や若い莢は食用で莢は細長く、弓なりに曲がる。小豆の代わりに赤飯に使われる地方もある。有鹿神社にまつわる話の中に有鹿明神が大角豆の莢で目を突いて怪我をしたという伝説がある。

大角豆伝説

よみ:ささげでんせつ

磯部に伝わる伝説で有鹿明神が蛇体になり海老名から流れを遡り磯部に打ち上げられた時、そこで作られていた大角豆の莢で目を突き怪我をしたため、その家では大角豆を作らなくなった。また、海老名でもご馳走には大角豆を使わないという。

三眼六足稲荷

よみ:さんがんろくそくいなり

海老名市河原口2丁目4にある安養院の末社。元は有鹿岡という塚に祀られていた白狐とする。イナゴの害から田畑を守った白狐伝説が伝わり、白狐は有鹿神の神使とも伝わる。

三王三柱神社

よみ:さんのうみはしらじんじゃ

海老名市上郷に鎮座する有鹿神社の境外摂社。創建は不明だが、延宝8年11月に山王権現の石碑が建立され、その後、三峯神社、皇大神宮が合祀された。境内には有鹿井戸がある。

三社様

よみ:さんじゃさま

三社様は有鹿神社境内末社。三神相殿、木造亜鉛葺切妻造の社殿で【新編相模国風土記稿】に「諏訪、稲荷、山王合社」と見える。例祭は有鹿神社と同じ日に斎行される。

参心殿

よみ:さんしんでん

神楽殿、神輿殿、御札頒布所を兼ねる参心殿は、河原口の小林木材店施工で平成26年に完成しました。額はバイク用品店ナップスの創業者、望月清三氏。





蛇口森

よみ:じゃぐちもり

嘉永年間に書かれた地図によると現在の神武社がある辺りをこういった。石神が祀られていたとされる。神武社境内に残る石祠はその一つ。

神饌幣帛料供進神社

よみ:しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ

明治39年の勅令第九十六号より、府県以下神社に対して神饌幣帛料が供進されるようになる。そのうち例祭、祈年祭、新嘗祭の三祭に地方長官より幣帛供進されたのが神饌幣帛料供進神社であるとする。第二次大戦後は廃止。有鹿神社は郷社で明治43年に指定されている。



水盤

よみ:すいばん

手水舎に置かれる手水を取るための鉢。有鹿神社の現役水盤は平成2年奉納の御影石製。石舎には過去に使われた明治44年、亨保元年のものが保存されている。全て社寺形手水鉢。




【人物】関思恭

よみ:せきしきょう

江戸中期に活躍した書家。細井広沢の門下で、浅草待乳山歓喜天堂の「金龍山」扁額、豊森山文殊院の「豊森山」扁額、氷川女體神社の「武蔵國一宮」扁額も思恭の書。有鹿神社向拝の扁額も彼の書である。

石舎

よみ:せきしゃ



宗珪寺

よみ:そうけいじ

海老名市下今泉1丁目22−1に建つ曹洞宗の寺院、天王山宗珪寺。相模川の河川改修のため河原口坊中から移転した。



総持院

よみ:そうじいん

海老名市河原口3丁目11-10に建つ高野山真言宗の寺院、海老山満蔵寺總持院。 天平勝宝6年創建で江戸時代までは有鹿神社の別当寺。有鹿明神縁起はこちらで保管されているという。