2013年の時点で「院長任命権」への政府干渉と科学アカデミーの「再編・廃止」すなわち連邦予算(公費)で運営するのをやめるかもしれないという話が出て問題になった。この時点では科学アカデミー側の反対が通り、「再編」のみが決まった。
ただしアカデミーは財政的自主権と研究所長等の人事権を失った。土地の運用は出来なくなり、3つのアカデミーが統合され、予算規模も全体で900億ルーブルほどあったのが、科学アカデミー本部60億ルーブルと縮減され、新たに出来た政府の下の組織、連邦学術機関庁に1200億ルーブルがつけられた。アカデミーはこの連邦学術機関庁から予算配分をうけねばならなくなった。また、各機関の所長任命権に連邦学術機関庁の権限が及んだ。
会員任命については特に報道、分析はない。ロシアの場合アカデミーが研究所のようなものなので、普通の大学や研究所の研究者人事に近いはずである。
2014年当時、ロシア科学アカデミーにも所属していた経済学者Irina Dezhinaは改革の効果に懐疑的な姿勢を示し、「改革の主要な目的は期待の出来る科学研究を支援するような新たなシステムを作ることではなく、既存のシステムを破壊することだった」と批判した。そして「どうしてこのように過激な方法が必要だったのかは明らかではない」とも述べている(p. 26)。
2010年代のあいだ、日本側の検証では科学アカデミーは「イノベーション創出のための学術体制改革の一環」としての目線からまとめがなされてきた。実際、上記の任命や財源の騒ぎはロシア国内ではそのような論理で正当化され続けていたようだ。
小泉悠「【ロシア】 科学アカデミーの改革に関する法令」『外国の立法 (2013.11)』国立国会図書館調査及び立法考査局
遠藤 忠「ロシア連邦における学術体制の改革 -イノベーション・サイクルの構築を目指して-」『宇都宮共和大学 シティライフ学論叢』2018 年 19 巻 p. 17-34
ただ、それにしても財源の事実上の没収、役割の縮小、人事権(院長や所長など)の政府介入の拡大は著しいものがある。また2020年代に入ってからは、各種法案の作成は秘密裏に行われ、いきなり関係者につきつけられたとの証言がある。
橋本伸也教授による『世界』2023年1月号記事は今年Science誌で報道されたエピソードから始まり、プーチンによる科学アカデミー改革の帰結を説明している。
橋本伸也「ロシア科学アカデミーに何が起こったのか?-プーチン政権下における学術と政治」『世界』(965) 2023年、222-230。
2017年6月23日にロシア国会がロシア科学アカデミー院長選出への大統領介入を可能にする法を通過させて、院長任命権を政府が握った。この措置は国際的な科学者コミュニティの警戒を呼び、批判された。詳細は下記の記事を参照。
Putin tightens control over Russian Academy of Sciences (27 JUN 2017)
当然ながら総裁選挙は荒れた。2017年には三人の院長候補が皆辞退し、政府はその時点で立候補していなかった人物(当時の副院長)を任命した。
Election chaos at Russian Academy of Sciences (Nature volume 543, 2017)
同選挙についての日本語記事
2022年にあったロシア科学アカデミーの院長選では、有力候補であった物理学者のAlexander Sergeevが政府の圧力を問題視する演説の後、院長候補となることを辞退。代わりに選ばれたはロシアの半導体メーカー、Mikronを率いるGennady Krasnikovであった。
ロシア連邦のナショナル・アカデミーは科学アカデミーの他に、建築アカデミー、芸術アカデミー、教育アカデミーがある。
このうち、教育アカデミーについて寄せられた情報は、政治がアカデミーに合法的に介入し、乗っ取りを行う具体的な手順を示している[1]。それは主に次のような手順による。
1.外部構成員による評議員会の設置とその人事権の掌握
2.評議員会議長による総会への参加と議題提案権の獲得
3.評議員会の構成員だった学者を会員にする
以下、詳しい経緯を紹介する。
教育アカデミーは1943年に設立され、1966年にソ連全体の教育科学研究の拠点として再編された。その後継組織も自律性・独立性を保障されていた。
しかし2014年にプーチンにより行われたアカデミー全体の改革により、教育アカデミーの財源も連邦政府機関に移管され、予算管理の自律性が制限された。
教育アカデミーの改革の特徴は、アカデミーの諸活動を支援するとの名目で設置された「評議員会」という組織を通じて政府介入が徐々に浸透したことにある。
評議員会はもともとあった組織ではなく2015年の規則改正で設置が可能になった。アカデミー外部の識者が入ることが前提ではあったが、当初、教育アカデミーは「評議会を設置することができる」がやらなくてもよく、しかも「干渉する権利を有さない」など、制約がかけられていた。だが、初期メンバーで既にプーチン政権の側近や教育大臣等の政府高官が数多く選ばれた。
さらに異変が起きるのは2020年である。評議員会の人事規定が変わり、評議員会議長の任免権をプーチンが握ることになったのだ。そして、評議員会は「設置することができる」のではなく「設置する」、すなわち必須のものへと変わってしまった。また、アカデミー側は規則の改正を行い、評議員会議長による総会や幹部会への参加、総会で審議される議題の提案などの権利も獲得した。
そして教育アカデミーへの介入の最終段階とみなすことができるが、政府の望むイデオローグの教育アカデミー正会員への就任である。まず、2020年の時点で評議員会構成員にロシア正教関係者で保守的な歴史観を持つ識者が選出された。そして2021年には保守派の一人で2016年に教育大臣になっていたヴァシリエワという人物が正会員になり、総裁にまで選出された。
ヴァシリエワの人事で政権は目的を達したのか、2021年以後、評議員会の活動は不活発になった。
[1] この記事は次の文献に基づき作成された。黒木貴人「ロシア教育アカデミーの組織的変容—教育及び学術への政治的関与についての一視座」『教育学年報 16 教育の自由/不自由』隠岐さや香・浅井幸子・仁平典宏・丸山英樹・石井英真編、世織書房、2025年所収。
科学アカデミーにも教育アカデミー(上記記事参照)同様の「評議員会」を設置することが昨年末に議会で承認され、本年5月の大統領署名によって21名の評議員が任命された。しかも評議員会議長は、プーチンである。
科学アカデミーの評議員会は教育アカデミーよりも非常にダイレクトな政治的関与の体制構築がされている。21名の評議員は、議長がプーチンであることをはじめとして非常に政治色の濃い面々となっているのである。それでいながら、科学アカデミーの側からプーチンに対して評議員会の設置及びプーチンの議長就任を要求したことが、科学アカデミーHP上や各種媒体で報じられている。
http://www.en.kremlin.ru/acts/news/76006 http://www.en.kremlin.ru/acts/news/76929
(福山平成大学の黒木貴人氏によりご提供いただいた情報を元に構成)