元日本学術会議会長 広渡清吾先生の許可をいただき、以下に広渡清吾「『日本学術会議法』案の問題点」『法と民主主義』No. 598、2025年5月号、30-34頁の全文を転載します。PDFバージョンはこのリンククリックすればダウンロード可能です。
「日本学術会議法」案は、2025年3月7日に閣議決定され、国会上程、4月18日審議入り、衆議院本会議で政府の趣旨説明、野党質問と政府答弁。25日には付託された内閣委員会での審議、5月7日に参考人の意見陳述が予定され、9日には委員会採決予定と短期間での法案成立が企図されている、日本学術会議は4月15日総会で国会において法案の修正を求める決議を採択した。以下は、その段階での法案についての批判である。
1.法案の基本的欠陥
法案の基本的欠陥は、日本学術会議(以下、学術会議)がその運営と活動を通じて蓄積してきた学術会議論(学術会議の自己理解)の無理解である。それは、日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会の審議を通じて感じられるものであった。学術会議論は、科学者コミュニティ論(科学者の代表機関であることの意味の同定、同時に代表機関性の確保)、科学(者)論(「科学のための科学」を基礎とし「社会のための科学」の自覚的責任との一体的把握)、科学者の社会的責任論(社会によって学問の自由を保障されることに応答する社会に対する責任としての理解)、それらを基礎にしたミッション論(政府と社会から独立に行う科学的助言の意義の探索)などとして論じられてきた。これらへの無理解こそ、前文の削除、経費の国家保障や職務の独立性・会員選考の自主性の保障の規定削除等にいとも簡単に行き着く理由である。
法案は、学術会議の内部的自治構造を解体し、法人制度を「法人であるから」という理由付けで(ナショナル・アカデミーに適合的かどうかを基準とせず)、形の上で存続させる学術会議の運営と活動の拘束的な枠組みとして設定することを目的とする。現行日本学術会議法は廃止され、これに基づき76年間、自主的に運営し活動してきた(445頁の「日本学術会議関係法規集」(2024年3月)が自主法の集積である)学術会議は、政府が設置する法人として、主務大臣である内閣総理大臣の監督の下に政府と連携協力する新たな科学者組織に作り変えられる。
その政治的動機は、2020年10月の菅義偉元首相による6名の会員候補者任命拒否が安倍晋三政権下で準備されたことから分かるように、憲法9条改正を含んだ軍事のメイン・ストリーム化を目指す自民党の大方針に学術会議の存在を適合させることであり、任命拒否から学術会議改革への政府介入、そして今回の特殊法人化法案上程まで、企図されたプロセスを看取できる。
ナショナル・アカデミーに法人の「拘束衣」をつけさせて、「世界最高のアカデミーを目
指して」というのは、悪い冗談でしかない。この表現は、有識者懇談会の審議で登場し、岸田内閣の「骨太の方針」、内閣府作成の「法案の概要」にも記載され、かつ、法案閣議決定を歓迎する有識者懇談会の「日本学術会議法案の閣議決定に寄せて」(2025年3月13日)にも現れる。
これは、世界の科学者にとってナンセンスである。なぜなら、各国アカデミーは世界ランキングを競う関係にあるのでなく、人類社会の課題に向けて連携協力する関係にあるからである。世界の科学者の共通自己理解を示した1999年「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言―21世紀のための科学:新たなコミットメント」(ブダペスト宣言)は、科学者について「我々のすべては同じ惑星に住み、我々のすべてはその生物圏の一部である」と規定し、科学と科学者の活動がたえず地球的、全人類的レベルに位置づけられるべきことを宣言し、このような科学者のコミュニティ(scientific community)として21世紀人類社会に対して誓約したものである。
いうまでもなく日本学術会議の活動は、ブダペスト宣言の理念と方向を共有し進められてきた。「世界最高のアカデミーを目指す」という宣言は、学術会議のこれまでの貢献と成果を無にする意味をもつ。
2.特殊法人化という制度設計の根本的ミスマッチ-そもそも日本学術会議のナショナル・アカデミーとしてのミッションは政府の「業務」ではありえない
この法案は、国の機関であった学術会議を解消し、あらためて特殊法人として設立する。「特殊法人」の表現は内閣府作成の「日本学術会議法案の概要」に記載されている。特殊法人には、その根拠となる一般的な制度を定める法律があるわけでなく、行政実務上通用している概念である。
総務省の用語解説によると「特殊法人とは、法律により直接に設立される法人又は法律により特別の設立行為をもって設立すべきものとされる法人(独立行政法人を除く)」と定義される。どのように利用されるかといえば「政府が必要な事業を行おうとする際、その業務の性質が企業的経営になじむものであり、これを通常の行政機関に担当させても、各種の制度上の制約から能率的な経営を期待できないとき等において、主務大臣がその監督を行うとともに、その他の面では、できるかぎり経営の自主性と弾力性を認めて能率的な経営を行わせようとするため、特別の法律によって法人を設ける」(総務省ウェブサイト)というような場合である。
つづめて言えば、特殊法人とは、政府が目的とする事業を政府の機関でなく、政府から独立(異なった法主体になるというだけの意味)した法人を設置し、主務大臣の監督の下に、政府機関であるよりも効率的に柔軟に事業運営を行わせるための法的手段である。
現行学術会議法によれば、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」(同法前文)ものであり、設立に際して根本にあるのが、「科学者の総意の下に」ということである。政府の都合によるのではなく、科学者の総意を立法者が受けとめて、日本学術会議は設立された。
その使命は、戦後日本社会の「平和的復興」、そして戦前の反省に基礎づけられた科学者の「人類の福祉」と「世界の学界との提携のよる学術の進歩」への貢献として示されている。これは、日本の科学者が使命として責務を負うものであり、政府が政府の業務として、特殊法人を設立して主務大臣の監督の下に能率的に遂行させるというものではまったくありえない。
3.法案は学術会議の自治的運営機構を解体し、内閣総理大臣の監督下に置く。内閣総理大臣は、形式的任命権の代わりに、学術会議を全体として監督する地位を獲得する。法案は学術会議「管理法」であり、内閣総理大臣のキャリアアップを図る。
現行学術会議法の下、学術会議の自治的運営の仕組みは、総会を最上位の意思決定機関とし、人文・社会科学、生命科学および理学・工学の3部制の下に、部会および部会によって選任される部役員(部長、副部長および幹事2名)を置き、会長、副会長および各部役員の計16名で構成する幹事会が日常の運営の中心である。また、会員と連携して活動する連携会員制度(会員数の約10倍)を設け、科学者コミュニティにおける学術会議のプレゼンスを高める役割が期待されている。
法案は、総会を意思決定機関として維持するが、会長、副会長および会長指名の会員からなる役員会を運営の中心とし、他方、外部者によって構成される選定助言委員会(会員選考に関わり「選定方針」に意見を述べる)、運営助言委員会(総会提出の一定の議案について会長に意見を述べる)を内部機関として設置し、加えて内閣総理大臣任命の監事2名を役員として置く。このように、法案は、役員会によるトップダウン的な運営、他方で外部者による委員会の運営および会員選考への関与、そして内閣総理大臣任命の監事の役員としての配置により、これまでの学術会議の自治的運営の仕組みを解体する。
有識者懇談会は、法案が3部制や連携会員制度を規定しないことについて「学術会議の判断に委ねることとされた」と積極的な意味があるように述べているが(前掲「・・閣議決定に寄せて」)、疑問である。法案はたしかに法人としての学術会議にも運営に関わる基本的事項を自主的に定めるために規則制定権を認めている(法案6条)。しかし、3部制や連携会員制、また幹事会制は、現行学術会議法が規定しているものであり、これを法案は規定しなかったのであって、法人学術会議が従前の自治的制度を規則によって導入しようとした場合、内閣総理大臣の是正措置権の対象となるおそれがある。法案50条によれば、内閣総理大臣は、「この法律若しくは他の法令に違反する行為」があれば、学術会議に行為の是正措置を講じることを求め、学術会議は対応した措置を報告しなければならないとされている。
学術会議の運営は、法人の主務大臣としての内閣総理大臣の監督の下に置かれる。内閣総理大臣は、自ら任命した監事を役員として学術会議に送りこむと同時に、内閣府に日本学術会議評価委員会を設置し、学術会議の活動をチェックする役割を与える。法案は、6年間の中期的な活動計画を定めることを学術会議に求めるが、この際には、評価委員会の意見を聞かなければならない。中期的な活動計画は、年度計画として具体化されなければならず、学術会議は、年度計画の達成について年度ごとの自己点検・自己評価を実施し、自己点検報告書を評価委員会に提出しなければならない。評価委員会がこれに意見を述べたときは、その内容が遅滞なく内閣総理大臣に通知される。学術会議は、評価委員会の意見を次期の自己点検評価の方法に反映させなければならない(法案第4章42-44条)。学術会議の活動は、このようなプロセスによって内閣総理大臣に管理される。
4.内閣総理大臣による学術会議監督体制の問題点
法案作成者(内閣府)は、学術会議に国費を支出し勧告権まで与えるのであるから、活動・運営について外部の意見を取り入れ、かつ、活動・運営が計画や法令に沿って適切に行われ、そして国民に説明することを担保する仕組み必要である、として監督体制を理由づけている。しかし、これらの要請は、政府設立の法人であるがゆえのものであり、政府から独立に科学的助言を行うことをミッションとするナショナル・アカデミーにそのまま適用されてよいわけでなく、その当否が検証されなければならない。
① 業務の計画作成と日本学術会議評価委員会のチェックはなんのためか
法案が定めるいわゆるPDCAサイクルによる管理制度は、学術会議の従来の活動の在り方に照らしてまったく不適合である。学術会議の活動の主要な部分は、科学的助言の作成を目的に審議を行うことであり、審議の成果を市民に公開シンポジウムで伝え、また、学術会議が定める「意思の表出」の方式(勧告、答申、要望、声明、提言、見解、報告、回答)にしたがって文書を作成することである。中期的な計画・年度計画制度は、このような学術会議の活動内容を質量とも改善することにおよそ結びつかない。さらに内閣府の機関である評価委員会が行政機関として、内閣総理大臣の指揮の下に、計画策定に関与し、計画にしたがった業績評価を行い、意見をのべ、内閣総理大臣にその内容を通知するというシステムは、それ自体が学術会議の独立性と自主性の根本的侵害である。
② 監事は内閣総理大臣の代官
監事の職務は、業務監査・財務監査を行い、具体的な権限義務として、会員および職員に対して報告を求める権限、業務および財産状況の調査権限、学術会議が内閣総理大臣に提出する書類の調査義務などが規定され、監査結果を監査報告として作成し、必要があるときは、会長または内閣総理大臣に意見を提出することができる(法案19条)。監事は、学術会議、役員、会員、また職員について、不正の行為、その行為のおそれ、法令違反の事実、著しく不当な事実があると認めるときは、対象者に応じて、会長、総会(役員の場合)、内閣総理大臣、会員候補者選定委員会(役員でない会員の場合)に報告する義務がある。会長と内閣総理大臣はすべての場合に報告をうけ、報告をうける会長は遅滞なく必要な措置を講じその内容を内閣総理大臣および監事(場合によって総会と会員候補者選定委員会)に報告しなければならない(法案20条)。このように、監事は、学術会議の運営において内閣総理大臣の代官としての役割を委ねられている。そもそも自治的な組織は、監査活動も自治的に秩序づけるべきものである。
③ 「業務」の限定列挙と法定外「業務」の処罰
法案57条5号は「第37条に規定する業務以外の業務を行ったとき」は、役員または会員が20万円以下の過料の処せられると規定する。37条は「会議は、第1条の目的を達成するため、次に掲げる業務を行う」として「1 学術に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」以下、5項目を規定する。57条5号は37条の規定に含まれない業務があると前提するので、37条の業務規定は、例示規定ではなく、限定列挙規定だということになる。学術会議の活動、役員や会員が従事する活動は、37条各号のいずれに該当するかがつねに問われる。内閣府は、このような規定が法人に一般的に設けられる規定であると理由づけている。
現行学術会議法3条は、「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」として「1 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。2 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」の2項目を規定する。この規定が学術会議の職務を限定列挙した規定だとだれも解釈しない。学術会議は、独立に、かつ、自主的に法の示す使命の実現を図って活動するものと理解されているからである。
では、法案が業務規定を限定列挙規定だと位置づける狙いはなんであろうか。学術会議自体の、また役員や会員の活動に法による限定があり法外の業務は違法である、というルールは、学術会議の活動に制約を与えうる。たとえば政府の法案や政策に学術の観点から問題を指摘することは、学術会議の業務として許されるのか、などが37条の解釈問題となりうる。法人一般の通有規定という理由だけで学術会議の活動に対してこのような罰則規定をおく意味が問われなければならない。
④ 秘密保持義務が実際的な意味をもちうる
法案は、第7章に罰則の章(55-58条)を設けている。いうまでもなく現行学術会議
法に罰則の規定はない。これは内閣総理大臣の監督のもとにある法人に当然のものとして理由づけられている。日本の科学者の代表機関として、ナショナル・アカデミーにふさわしいかどうかではない。内閣総理大臣が要求した報告をせず、虚偽の報告をし、検査を拒み、妨げ、忌避した場合などに対する行政罰等とならんで、秘密保持義務違反が唯一有期刑(1年以下の拘禁刑、50万円以下の罰金)を持って規定される(法案55条)。現行法の下では、学術会議会員は特別職公務員(非常勤)として国家公務員法の適用をうけず、同法の秘密保持義務は適用されない。法人化によって国家公務員でなくなるにも拘わらず、逆にみなし公務員的に秘密保持義務が科される。科学的助言をミッションとする学術会議にあって、学術的審議は、学術的真理・学術的知識・学術的事実の公開性に基づきおよそ秘密保持義務になじまない。政府から提供される軍事的安全保障にかかわる情報などの取り扱いにつき、実際的な意味をもつ場合が想定されていると考えられるが、その当否が問われる。
5.現職会員のコ・オプテーション制に基づく次期会員選考権が、新法人としての学術会議への移行という名目によって、理由もなく否定されている
法案は、附則において移行期の措置を定めているが、次期第27期の新会員(250名に会員数を増やすのでその半数の125名)について、特別の候補者選考委員会を設置して選考するとし、さらに第28期(125名)についても、第27期新会員を選考した特別の候補者選考委員会委員のうちから第27期学術会議の会員候補者選定委員会(本来は会員によって構成される常置の委員会)の委員を総会で選任し、会員選考を行うとしている。ところで会員候補者選定委員会は、法案によれば不適当な行為をしたと認められる会員の解任請求を総会に行う権限をもつ(法案32条)。法案は、非会員委員会がこのような権限を行使するという異例な事態すら容認して、現職会員(第26期で任期終了の99名および第27期の新法人の下で「承継会員」として受け入れられる105名)の会員選考権を完全に排除する。
特別の候補者選考委員会を設置する方式は、2004年法改正に際して採られた方式であり、有識者懇談会最終報告もこの方式を参照すべきとしている。実績が採用根拠にされているが、2004年法改正は、会員選考方式を学協会推薦制からコ・オプテーション制に変更するものであり、移行前の会員はそもそも改正後の会員を選考する権限を有していなかった。それゆえ、特別の選考委員会の設置が必要とされたのである。今回は、移行前後いずれもコ・オプテーション制が採られており、法案は今回が異なった事態であることに目をつぶっている。
特別の候補者選考委員会は、現職会長が内閣総理大臣の指定する2人の有識者と協議して任命するとされている。このように現職会長と内閣総理大臣指定の2人が協議して決めた選考委員会(10人以上20人以内)が、次期会員の選考について、現行学術会議法にしたがって公式に会員に就任している現職会員204名に対して、なぜより大きな正当性をもつのか、理解できない。学術会議会員が科学者の代表としてコ・オプテーション制(現会員が次期会員を選考する制度)で選考されることが改正前後を通じて原則だとすれば、現職会員が次期会員選考権をもつことが当然ではないか。
法案附則は、選考委員の任命から会員候補者の総会による承認、そして内閣総理大臣への推薦まで手続全体を現職会長の差配の下に日本学術会議が行うという体裁をつくり、また、内閣府は現職会員が特別の候補者選考委員会の委員になる可能性も認めると説明しているが、これらは、現職会員の次期会員選考権の否定という批判を意識した取り繕いである。有識者懇談会(前掲「・・閣議決定に寄せて」)は、法案が学術会議総会での承認や内閣総理大臣への推薦手続きを加えた(最終報告ではこれに論及しなかった)ことを「学術会議と政府との信頼関係強化に資する対応であり、強く支持したい」と述べているが、まさに語るに落ちるである。現職会員の次期会員選考権の否定は、法人化後の会員と現職会員とのコ・オプテーション制に基づく連続性を断ち切るという政治的に恣意的な動機でしか説明できない。
ついでにいえば、現職会長が法案附則の通りに次期会員選考の仕切りをすることは、自らを選任した現職会員に対する信頼を裏切ることになろう。次期会員について特別選考手続きを法定することは、現職会長がとうてい認められないとしていた5項目のうちの1つである(2024年7月29日会長声明)。現職会長として少なくともこの点は法案に明確に異議を申し立てなければならない。
法案のコ・オプテーション制に関するもう一つの問題は、会員選考プロセスにおいてオープンで多様な関係者の推薦を求める必要性を理由に「会員」と「経済団体その他民間の団体等の多様な関係者」を並列して推薦を求める対象と規定することである(法案30条)。現行の会員・連携会員選考制度の下では、会員・連携会員に候補者の「推薦権」が与えられ、学協会や団体からの候補者推薦は「情報提供」として取り扱い、両者には明確な区分が行われている。法案の論理を徹底すれば、広く国民から推薦を募ることに行き着くことになり、法案のコ・オプテーション制についての理解のあいまいさが吟味されるべきである。
以上
広渡清吾(ひろわたり せいご)
元日本学術会議会長。著書に『社会投企と知的観察│日本学術会議・市民社会・日本国憲法』 (日本評論社、二〇二二年) など多数。