学問の自由に対する抑圧はナショナル・アカデミーに対する政策の変調として現れます。このサイトでは関連する事例へのリンクと要約解説を掲載します。
1920年に帝国学士院が建議して設立された学術研究会議は、主に理工系学者を集めた独立のアカデミー組織であったが、会員任命権が1940年代に政府に取り上げられた。この学術研究会議は学術会議の前身にあたる。
学問の自由度指数(1943):0.27
詳細は画像をクリック!
ファシスト政権期の1920年代に全分野を包含する「王立イタリアアカデミー」(Reale Accademia d'Italia)が設立され、会員はファシズムへの忠誠を誓うことが義務づけられていた。1939年には歴史ある科学のアカデミーであったアカデミア・デイ・リンチェイをも吸収してしまったが、ムッソリーニの失脚と共に閉鎖。
参考: John Whittam,ed. (1995), Fascist Italy, Manchester: Manchester Univ Press.
Wikipediaも詳しい。