今回の授業で特に印象的だったのは、マルコス政権下での「壁」に関する話である。政権は、都市部に蔓延していたスラムや不法占拠地域を外国人観光客の目に触れさせないようにするために、住民を排除し、代わりに巨大な壁を建設したとあった。この「目隠し」としての壁の使用は、まさに権力による視覚的コントロールの象徴であり、建築と都市景観がいかに政治の道具となりうるかを物語っている。
しかし、壁は同時に、表現の場にもなっていた。同時期に行われたパブリックアートプロジェクトでは、国内のアーティストたちが手がけた絵画作品を拡大し、街中の建物の外壁に描いた。壁とは何かを「隠す」ためものであり、「語る」「示す」「訴える」ためのキャンバスでもある。これこそが、表現の核心が表れているように思う。
また、終盤に紹介された例では、慰安婦を象徴する少女像や記念碑の設置は、「歴史を表す=語る」行為であり、それに対してそれらの撤去や設置妨害は「歴史を隠す=沈黙を強いる」試みである。パブリックアートとは、常にそこが誰のための空間かや、また誰にとっての記憶を公共空間に残すのか、もしくは消すのか、という空間や社会との関係性を投げかけていると気づいた。
今回の授業は、実際に事前顔合わせにて、ZOOMで質問をさせていただいた平野先生が行ってくださるということでとても楽しみにしながら試聴させていただきました!まず最初に驚いたのはフィリピンという国名が、とても屈辱的な歴史からきているということです。私の第三外国語はスペイン語のため、フィリピンでスペイン語が話されていること、そしてスペインが植民地としていたことは以前からもちろん知っていましたが、まさか国名までその影響があったとは思いもしなかったからです。スペイン人しか入れなかった、フィリピンの人々が作らされた城壁の話も、あまりに酷で、聞いたものですら屈辱的で怒りを覚えました。また、美術史において、ある分野や領域における規範、芸術の面においては、その名作、傑作を指す「カノン」についてのお話も印象に残っています。特に、ギルドやアートアソシエーションなどによって作られるこのカノンでさえも、スペインに統治されていた時代に、実際にフィリピンに住んでいる人たちの視点からではなく、『統治している側』の視点から一方的に決められたものだという事実が、本当に暴力的なものでゾッとしました。だからこそ、権威主義的な態度に対する批判が大きく、「大学で、フィリピンの美術史という一冊の教科書ではなく、さまざまな研究者の論文を読みながら美術の歴史について思考する」という方法がとられる、というのは一見斬新な手法ながらも、もしかするとこの種表こそが一番理想的な形なのかもしれないなとすら感じました。
確かに、歴史は誰か一つの視点から見た主観がどうしても入ってしまうものであるため、大きな物語を描こうとするのではなく、小さな物語をいくつも、時には繋ぎ合わせたり離したりしながら同時並行的に存在している、という考え方にも感銘を受けました。
そしてドミンゴさんのお話の中でも、同じく、現地の人々が「インディオ」というふうに言われていたと聞き、これではまるでアメリカ大陸に元から住んでいた人々による、移民の人々に対しての呼び名と同じではないかと感じ、衝撃を受けました。
フィリピンの「芸術」は、スペインやアメリカによる統治、そして独立の歴史と深く結びついていることが印象的でした。スペインの植民地だった時代、現地の人々が立ち入ることのできない空間が存在し、芸術表現にも厳しい制限が加えられていたという話から、芸術という本来自由であるはずのものが、支配によって“鎖”をかけられていたように感じました。
一方、日本は他国の植民地になった経験がなく、島国という地理的特性も相まって、日本独自の文化や芸術を築き、残すことができたという点で、とても恵まれていたのだと改めて実感しました。
とはいえ、フィリピンにおいても、スペインやアメリカなど他国の支配を受けたことで、それぞれの国の建築様式や芸術表現が遺されているのもまた事実です。日本のような「独自性」は保ちにくかったかもしれませんが、異なる文化が交わる中でフィリピンにしかない新たな芸術や文化が生まれたことも否定できません。決して“フィリピンだけの色”で描かれたものではないけれど、さまざまな色が織り交ぜられたからこそ、そこにしかない独特の色が生まれたとも言えます。それはまさに、歴史が生み出した芸術だと感じました。
ただし、その歴史を美化してはいけないとも強く思いました。植民地時代の苦しみや、戦争中の辛い記憶を“文化交流”として軽視することはあってはならないと感じます。特に、日本とフィリピンの関係には「戦争」の記憶が深く関わっているにもかかわらず、それを私たち自身がほとんど認識していない現状に危機感を覚えました。歴史の授業や教科書から、そうした出来事に関する記述が減ってきていることもその一因かもしれません。
戦争による苦しみを、芸術に昇華した人々の作品やその背景にある歴史を、実際にフィリピンに行って自分の五感で感じてみたい。そして、その体験を芸術的な視点から自分なりの形で表現し、周囲に伝えていきたいと強く思いました。
「美術が欧米の視点から描かれていた」ということに私はあまり注目していなかったので、新しい視点を知りとても考えさせられる講義でした。フィリピンが約400年近く他国の統治下に置かれていたことは知っていましたが、その中で自分を表現する方法として例えば、絵画を用いて、フィリピンの人たちが自分達視点の絵画が自由に描けなかったというのが私には考えがなかったです。絵画はどの国、地域でも自由に画家が描くものだと考えていたからです。フィリピンで自分達の国の歴史を自分たちの視点で描けず、美術を通して征服者の視点からフィリピンの歴史が語られているのはとても切なく感じました。そして、フィリピンはスペイン、アメリカ、日本の統治下に置かれた国なのでそれぞれの文化が融合した美術作品が生まれているということが興味深いと思いました。特にアメリカに統治された時代には、アメリカ人が好む絵画を描いて美化されていたという点です。ありのまま、現実に起こっていることを伝えることが絵画の役割だと思っていたので美化されていたことがあるのが驚きでした。人々に受け入れられるための絵画を描いていたのなら、偽りも含まれていたのだと考えると少し美術作品に複雑な感情も抱きました。また、絶対に日本人として忘れてはならないと思ったのが、日本統治時代に現地人を殺戮したという事実です。このような悲しい過去があって現在、フィリピンに住む人はそれを忘れていない人もいるということです。しっかりと歴史を胸に刻んでおきたいです。
今回の講義では、アートと人間の心理的な部分の結びつきについて深く考えさせられました。講義の前半で紹介されていたスペインやアメリカ統治の歴史では、美術作品は自分たちのアイデンティティを認識し、連帯感を強めていく、抵抗運動の機動力となってきた背景が紹介されていました。
芸術は征服者にとってはプロパガンダの道具であったと共に、芸術家や文化人にとっては民族意識獲得のための表現と実践であったことから、征服者にとってもフィリピンの人々にとっても、アートが彼らの思想やアイデンティティを表し、波及していく役割を果たしていた事が分かりました。また、後半に紹介されていた、売春観光や一連の出来事によって心に傷を負った人々が、心のケアとしてアートのワークショップに参加している事例では、心理的な問題に対してアートという手段でアプローチをしていました。アートには自己を表現する役割があるため、直接自分の口で自己を表現する事が難しい人や、自分の潜在的な部分に眠っている感情を引き出す際に、良い手段となると感じました。先週の現代舞踊のトピックとも関連しますが、芸術分野は人々の思想や当時の情勢を色濃く反映するため、歴史を知る際に大変重要な手掛かりになると思います。さらに、文字を使って表現する事が難しい人でもアートを用いて表すことが出来るケースもあるため、多様な立場の人々の視点を知り得る手段にもなると考えます。情報を受け取る側も、文字より直感的に情報を受け取る事が出来る場合もあるため、歴史や他者を知るための手段としてのアートの可能性はかなり大きなものであると思います。
今回の授業では、フィリピンとスペインの長い植民地関係における芸術の影響や、米西戦争を経てアメリカへと主権が移行した歴史、さらには日本人による慰安婦問題について学んだ。スペインの芸術というとサグラダファミリアや宗教画などの中世のゴシック風なものを思い浮かべ、フィリピンの芸術といわれると現代アートや原住民の象のようなものをイメージしていたため、フィリピン芸術の歴史にスペインが大きな影響を与えていたことが驚きだった。前回の講義同様にフィリピンの人達の大きなテーマは自分達のルーツはなにか、フィリピン人とは何者なのかを自分自身に問うことであることを知り、今回フィリピンを訪れた際はその問いが日常にどのような影響を与えているのか、街中のポスター等含め注目して見てみたいなと思った。
また、米西戦争の最中で独立を目指していたはずのフィリピンをアメリカが騙すような形でまで支配しようとしたのは何故だろうと思って調べたところ、アジアにおける中心に近い好立地であることが分かった。公用語に英語があることから言語においては大きく影響を与えたことは分かるが、芸術や建築にどのように現れたのか気になった。マニラ大聖堂やサン・アグスティン教会のような有名なものは簡単に検索しただけでは出てこなかったが、道中で探していきたいなと思った。現地に着いたら目に付いた様々なものからフィリピンの歴史や生活、人々が考えていることを想像して過ごしたい。
講義をしていただき、ありがとうございました。実際にフィリピンでお会いできることを楽しみにしています!
本日の講義で私が特に印象的だったのはPETAのお話です。なぜかというと私自身が現在、大学で演劇サークルに所属して日々演者や裏方として活動しており、そのような活動を通して演劇を用いた教育にも興味を持つようになり、演劇教育の持つ力・若いうちに演劇に触れることの意味といったテーマで卒業論文の執筆を進めているからです。そのため、文字が読めない人に対してワークショップを行うといったPETAの活動は演劇を用いた教育の例だと感じ、とても興味を持ちました。日本の団体とつながりがあるというお話も印象的で、黒テントという団体は存じ上げなかったので今後ぜひ調べてみようと思います。
また、今回はフィリピン美術を考えるためのキーワードということで、色々なワードが登場しましたが、最も大きなキーワードとしての歴史は確かに高校生の頃の歴史の授業に美術史が登場したことはあるけどあまり覚えていないという状況であったため、今回のお話を聞いて新鮮に感じると共に、自由に表現できる美術があることで小さくても確かなその土地の歴史が残されていく感じがあるなと思いました。
スペイン、アメリカ、日本といった異なる列強の支配を受けてきたフィリピンでは、美術が時に権力の道具として利用され、時に民衆の声を代弁する手段として機能してきた。とくにスペインによる宗教美術の導入や、アメリカの近代美術教育、日本による占領下での言論統制や慰安婦問題など、美術作品が時代ごとの政治的背景を色濃く反映している。
また、美術教育やアカデミーが西洋中心的価値観に繋がっており、アートの持つ価値評価の軸すらも政治的に構築されたものであった。同時に、そうした価値観に対してPETAのような団体が芸術を通じて批判的姿勢を示し、社会変革を促してきており、外部の国々からの影響、そしてそれらに対する抵抗の歴史こそが今のフィリピンを形成しているアイデンティティだと感じた。
私は日本人として、日本の加害の歴史、特に日本占領期の文化統制や慰安婦問題などについても、当事者意識を持って向き合わなければならない。慰安婦像の撤去といった出来事は、不都合な過去から目を背ける行為であり、それに対してアートが果たしうる役割の大きさを改めて考えさせられた。
現地ではアーティストや活動団体、文化施設を自分の目で見て、彼らがどのように歴史と向き合い、表現しているのかを学びたい。そして、日本人として自国の過去とどう向き合うべきかを見出していきたい。
フィリピンの歴史やアイデンティティが植民地時代に白人主観で描かれてきたように、芸術史においてもフィリピンの人々が自由にアイデンティティを表現したというよりも、そういった表現を阻害してきた権力や政治に対抗するような芸術がつくられてきた。そのことは、自然美や日常の豊さなどを表現してきた一部西洋の芸術や、大衆文化をポップに表現したアメリカの芸術と比較するとより強く現れているというように感じた。どこの国でも芸術が、地域や社会などを要因として変化・発展してきたと思うが、特にどの国の文化がどのような背景で流入して伝えられ、あるいは人々がどのような芸術に触れ、その国の芸術に還元されたかということが今の芸術におけるアイデンティティに大きな影響力を持っていると考えた。また、フィリピンの人々が芸術をどのように捉えているかを考えるのは、その芸術の性格を見るひとつの要素だと思った。例えば、経済支援かされるようになったのは、全体的な芸術への評価が高まったからであると思うし、女性アーティストの活躍は、ジェンダー観の変化に伴うものであると思うからである。逆に、芸術が社会に影響を与えることもあり、PETAの活動のようにどのように社会に働きかけるのか、というテーマについては特に興味深かった。政治や社会は一意見の感情に寄り添うことができない一方で、芸術で表現するようなことは、感情に寄り添ったり主張したりしやすいものであるため、精神的な意味でも問題解決に大いに役立ってきたと感じた。
これまで語られていたフィリピンにおけるアートの社会的役割や歴史についてより詳細に理解することができました。今現在フィリピンでは社会にアートが溶け込み人々と距離の近いものであると考えます。しかし過去にはスペインの植民地や日本統治など抑圧された過去があり、それから今までどのような役割をしてきたのか、歴史をグラデーションのように感じました。はじめアートははギルドや教育機関など権力関係を伴うもので、古典的な"カノン"は上流階級に決められていました。これは欧米中心的な視点で語られるような"歴史"と同じような意味合いを持つと感じました。一方的な視点で語られるものの裏側には多くの"語られないもの"があるし、それがフィリピンの抵抗の歴史につながるのだと思いました。そうした中で自分たちの歴史を自分たちの文脈で語ることへの意識が強まったのでしょうか。アートを用いることで連帯感が生まれたり、民族意識の獲得にもつながるのは公民権運動にも用いられたプロテストソングと同じような社会的役割を担ったいたのではないかと思いました。差別的社会構造が少しは薄れた現在でも自分の声を表現するために用いられるアートはフィリピンにおいて大きな役割を担っているとわかりました。それと同時に平野さんが行なっているキュラトリアルスタディーズも非常にに大きな必要性を持っていると感じました。
フィリピンはスペインやアメリカ、日本の海外勢力に支配されていた期間が長く、支配されていた間は芸術作品を描くことができなかった(支配される側からするとプロパガンダの道具になるから)という話が印象に残りました。日本の歴史においても、例えば戦国時代に戦いが起こると、負けた武将の持ち物や書籍が燃やされて、勝った武将に有利なもの書物だけ残されるといった、勝ち側に有利な文化や歴史が残りやすいということがあると思います。フィリピンの食民時代の話は勝ち負けとかの話ではありませんが、芸術作品を制限されることは支配する側に有利なように歴史や文化が捏造されていることだと思うので、近しいものを感じました。文学作品や芸術作品によってその国のアイデンティティを確立し、連帯感を強めることはまさに長い間他国に支配され独立運動を必要とした国に必要な要素だと思いました。
また、芸術学校の話の部分で、ドミンゴの話がありましたが、ドミンゴはスペインで絵画を学んだわけではなく、フィリピン特有のやり方で絵画を描いていたにも関わらず、それがスペインにも認められたことが意外で凄いことだと思いました。本物の芸術は国家間のしがらみすらも超えて多くの人に愛されて評価されるんだなと思いました。
今回の講義では、フィリピンの美術をキーワードから見て学んだ。歴史というものは、一定の視点から書かれたものであるため、100%事実に基づく歴史は存在しない。この考えはフィリピンの美術史にも大きく関わってくる。美術というものは権力と繋がりのあるものとあったが、今までも歴史の授業で学んできたものはほとんどが権力側から評価されていたもので、権力側が動いた時にだけ権力と繋がりのないものが評価されいたように感じたのを思い出した。さらに、フィリピンは権力者によって歴史が書かれたという背景から、より美術史に影響が大きい。美術作品、文学作品などの文化は、アイデンティティに直結するものであるため、権力者によって美術史が形成されてきたフィリピンにとって、小さな物語として残った美術史たちは大きな存在だろう。そんなフィリピンで美術作品が原因となって、フィリピン革命が沸き起こったのが印象深かった。また、美術教育において、女性の立場が低かったのも心に残っている。スペイン人女性ですら、なかなか大学に入れなかったことから、家で家庭教師という形で美術を学んだフィリピン人女性たちは本当に強い存在だと思う。他にも、日本との関わりの中で、フィリピンでの歴史が修正されたり、隠されたりしたという事実が重かった。日本は隠さずに加害者としての罪を忘れずに、裁判もきちんとした賠償をするべきだと思った。