授業で紹介された映画の中でも、ブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』とニューアーバン・リアリズムが非常に興味深かった。特に私は「彼らをただの“貧民”とは見ていない。尊厳がある国だということを世界に示したい」という監督の言葉に強く胸を打たれた。メンドーサは、単に貧困や腐敗を暴くために映画を撮っているのではなく、その状況の中でもなお「人間らしく生きようとする意志」を描こうとした。すると、リアリズムとは写実主義ではなく、むしろ主観的に登場人物たちの尊厳を記録し、共有するための映画的手段なのだと感じた。だからこそ「リアリズム映画」とは声なき人々の声を代弁するメディアなのである。
さらに、この作品を通じて、ドゥテルテ政権に対する国際的な評価の一面的なにも疑問を持った。国際社会では、ドゥテルテは麻薬撲滅を名目とした強権的な統治によって「人権侵害の象徴」とされがちである。しかし映画の空気感に触れると、むしろこうした指導者が登場した理由は当然のように感じた。制度や法がまともに機能せず、警察が腐敗し、日々の生活がサバイバルそのものであるとき、人々は「暴力」であっても、目に見える「秩序」に救いを求めるようになる。その悲しい現実を、メンドーサは訴えたく、映画を作成したのではないのか。
まず授業の最初に映し出されたマニラの写真が、自分が想像していた光景よりもはるかに高層ビルが多く立ち並んでいる大都会という印象で驚きました!次のスライドでも、先生が16歳で単身フィリピンに行かれたという話でまた度肝を抜かれました。開始2分から一気に先生の話に引き込まれ、その光景がありありと浮かんでくるようで聞き入ってしまい、特に貧しい生活の中でも何故か幸せそうに見えるという先生の発見の言葉が自分の中でも思い当たる部分がありハッとさせられました。言語の話では、タガログ語やフィリピノ語以外にたくさんの言語が使われているとは予想もしなかったためさらに興味が湧きました!
講義のメインの内容である映画に関してですが、一本目の「たとえ嵐が来ないにしても」からまずトレーラーの時点で引き込まれました。日本に住む私達が経験する台風と、フィリピンの人たちが経験している台風があまりにも違ったからです。続いて紹介された二つの作品も、トレーラーだけでこんなにワクワクするなんて思っても見ませんでした。特にダイ・ビューティフルは主人公が亡くなるシーンから始まるにも関わらず、こんなにハートフルで心踊る作品になるのかと、筋書きの素晴らしさに心を動かされました。特にRESPECTOはどうにかDVDなどでも借りて観てみたいです。なんといっても心を動かされたのは「マキシモは花盛り」です。予告映画の中に世界中が恋に落ちたとありましたが、私も一瞬で恋に落ちました。この後すぐにサブスクで見れないか探してみます。その後のブリランテ監督の言葉にも胸が震わされました。私は麻薬戦争があったことすら、恥ずかしながら今まで知らず、その上心のどこかでは気付かぬうちに、フィリピンのことをどこか貧しい国だと思っていたのかもしれないと気づきました。だからこそ、「尊厳のある国という姿を見てほしい」と言う言葉がより胸に響いたのだと思います。
様々なフィリピン映画を紹介する授業を受けて、最も印象に残ったのは、どの映画も同じ国の作品とは思えないほど多様だったという点です。授業の冒頭で、フィリピンには多くの民族と言語が存在することを学びましたが、映画の予告編を見るだけでもその違いがはっきり感じられたことには驚きました。
その背景として、フィリピンが日本と同様の島国であるだけでなく、より多くの小さな島々によって構成されていることが大きく関係していると考えました。歴史を学んできた中で、陸続きの国よりも島国のほうが独自の文化を築きやすいと感じたことがあります。フィリピンでは、そのような文化の分断が一国内で多く生まれており、それぞれの島や地域ごとに根強く残っているのではないかと思いました。
日本にも地域ごとの文化や方言がありますが、インターネットの普及などにより、それらの壁は徐々に薄れてきているように感じます。一方、発展途上の側面を持つフィリピンでは、地域ごとの文化がまだ色濃く残っており、それが映画にも色として表れているのではないでしょうか。
今回の授業で再確認したのは、日本とフィリピンのつながりがとても身近であるということです。たとえば私のアルバイト先であるセカンドハンドショップには、多くの外国人のお客様が来店されます。その中には常連のフィリピン人の方もおり、彼女はいつも離れて暮らす子どもたちの話をしてくれます。「このぬいぐるみは喜ぶかな」「この服は何歳向けかな」と話す姿から、家族を思う気持ちが伝わってきます。
正直に言うと、これまでは「海外で働くこと」は遠い世界の話のように感じており、微笑ましいやりとりとしてしか捉えていませんでした。しかし、授業で紹介された出稼ぎ労働者をテーマにした映画の予告編を見て、彼らが抱える苦悩や、家族を想う切実な気持ちに深く心を動かされました。
今後、実際にフィリピンを訪れ、現地の人々と触れ合い、映画や文化に触れる中で、こうした思いや考えをもっと深めていきたいと感じています。
インディペンデント映画というジャンル自体が斬新で興味深かった。前回の授業でマルコス政権の強制失踪の記事を読んでフィリピン国内では政府の力が強いのではないかと思っていたこともあったが、エドゥサ革命を終えて表現の自由が担保されていることを知った。政府から検閲がなく、商業主義から離れることでより等身大の悩みを打ち明けることができ、社会的に同じような悩みを抱えている人が多いものの、映画自体はホームビデオに近いような親近感を保つことができることがインディペンデント映画の魅力につながっているのではないかと思った。植民地支配によって自虐的な自己像の固定概念がついているのかもしれないが、ルーツを探し続けている民族だからこそLGBTQに寛容であったり多様な問題に焦点を当てた映画を受け入れられたりする寛大さがあるのだと思った。
また、『ダイ・ビューティフル』の映画の中で主人公が埋葬前にメイクをしてほしいと言っていたのがとても印象的だった。メイクをしながら生前を思いだし物語を始めていくためのものであったのかもしれないが自らを魅せることで周りに受け入れられたいと願っているように思えた。ありのままの姿でなく武装した美しさで生き抜いてきたのかもしれないと思うと尊厳を保つためにどれだけ心を塗り固めたのだろうと自己肯定の育成過程が慮られた。
全体を通してフィリピン映画は「語られない声」をすくい上げる力を持っており、そこには個人が社会や歴史とどう折り合いをつけようとしているかが丁寧に描かれているように感じた。こうした視点は、日本の自分たちの生活やアイデンティティを見直す良いきっかけにもなると思う。"
フィリピン映画が海外から高い評価を得ているのはなんとなく知っていたが、実際に見たり聞いたりしたこともなかったので、どんな作品が描かれているかは知らなかった。自然災害後の社会的な変化や、家族の借金、貧困問題、麻薬密売などのシビアな社会問題にもなっている話を扱っていたり、トランスジェンダーなどの観賞者に訴えかけるようなテーマの映画がたくさんあることは知らなかった。その中でもインディペンデント映画は、低予算であることが特徴であげられていたが、低予算であることがかえってドキュメンタリー感を出していて、他の映画よりも見入ってしまう雰囲気があるように感じた。フィリピンの植民地時代の話を踏まえて、アイデンティティを見つけ映画に表現しているとあったが、アイデンティティ模索のテーマを扱ったアフリカなどの映画で、言語やその植民した国の文化から脱却しようとするような映画を見たことがあったが、フィリピンではどちらかと言うと、今ある社会において何がフィリピンらしさか、というような表現の仕方をしているように感じた。フィリピンで多くの異なる言語が使われていたり、民族が残っていたりすることもその理由の一つだと思った。
この講義を通して、私はフィリピン映画が社会や歴史、そして政治的背景を深く映し出す文化であることを強く感じました。
紹介された作品の中でも、最も印象的だったのはジュン・ロブレス・ラナ監督の『ダイ・ビューティフル』です。トランスジェンダーの主人公が、自分らしく生き抜こうとする姿に深く心を打たれたと同時に、社会の偏見や差別と向き合う姿が強く胸に残りました。また、講義内で紹介された映像の中では、フィリピンの美しい自然、特に海や棚田の風景が強く印象に残っています。これらの映像は、作品に豊かな情感を与えると同時に、フィリピンの文化的・地理的背景を視覚的に理解する手がかりともなりました。
さらに、日本との関係を背景にした作品の存在にも驚かされました。特に、東北でのロケが行われた作品が今後公開予定であるというのは印象的で、フィリピンと日本の関係性が映画という形でどのように表現されるのか、ぜひ劇場で確かめたいと感じました。
本講義では多くの映像を交えた構成により、知識だけでなく感覚的にもフィリピン社会への理解を深めることができました。映画というメディアの力を通じて、異文化理解や国際的視点を養う大変有意義な学びだったと感じます。ありがとうございました!
普段から関心を持った国や地域があれば、その地域で作られたドラマや映画を見る事が多く、劇中に出てくるシーンや言葉を通じてその地域を捉えようとしています。しかし、普段見る映画の多くは講義内で「ジャンル映画」として紹介されていたような、大手の会社が作ったものが多く、それらの映画のジャンルは偏っています。しかし、インデペンデント映画では取り扱うテーマそのものが多岐にわたり、テーマそのものからもその映画がつくられた地域の文化や状況を知ることが出来ます。そのため、ジャンル映画よりもその地域について知ることの出来る情報は多くなると感じました。
講義内で紹介されていた例を取り上げると、フィリピン全体では麻薬やLGBTに関するテーマが多く見受けられ、これらの問題が市民にとって大きな影響を及ぼしているのだと推測されます。また、マニラなどの都市部だけでない地域を舞台にした作品では、同じフィリピンという国でも各地域が持っている言語や生活等の文化の違いをはっきりと感じる事が出来ました。南北に広がっている日本ですらも、フィリピン国内ほど大きな文化の違いが無いように思われるため、この文化差異は「島」という要素に起因しているのではないかと考えました。
私自身は映画を見る側であるため、作品とは「フィリピン国内の各地域が持つ特色について知る機会」であります。しかし、作る側からすると「自画像の再構築をする機会」であることも知り、本講義を通じて、作り手にも大きな意味を持たせるインデペンデント映画の魅力に触れる事が出来たように思えます。
今回の授業を受けて、過去国家と民族という授業で、ハワイにおけるフラダンスがどのように現在のアイデンティティとなっていったかについて学んだことを思い出した。フラダンスは、植民主義国家によって消費されたことで、今の形になり新たなアイデンティティとしてハワイを代表している。批判する人もいる一方で、今この産業に従事している人からは自分たちを表すものとして誇りを持っている人もいる。今回の映画によって自画像を書き出すという際に出てきた、自虐というものも、フラダンスと同じように、被植民によって作り出されたアイデンティティだろう。このようなアイデンティティは、必ずしも良いものになるとは限らないと考えるので、映画という形でフィリピン全体を様々な視点から映し出し、失われた自己の回復をはかる動きを知ることができてよかった。
また、フィリピンにおけるインディペンデント映画を今回の授業で初めて知ったが、大手映画制作に依存せず、低予算で独自の配給ルートを用いて商業主義から距離を保っているという、大衆文化としての映画とは違うため、ほかの映画よりもたくさん見ることで、監督を支えることにつながるのかと考えた。
出てきた映画にも、日本が関わっているものがおおく、特に不法滞在に関する内容の『インビジブル』など、今排外主義が世間で話題になっている今だからこそ見たいなと思った。
本講義を通して、フィリピン映画が単なる娯楽にとどまらず、ポスト植民地時代やグローバル化という複雑な歴史・社会的文脈の中で、自らの「自画像(セルフイメージ)」を描き出す強力なメディアであることを知った。とくに、2000年代以降のインディペンデント映画の隆盛は、国家や都市、個人のアイデンティティの再構築という課題に対して、映像を通じて鋭く切り込む営みであると感じられた。
たとえば、『ジェスニックの物語』や『マニラ・イン・ザ・クラウド』のような作品は、都市スラムや家父長的暴力、移民、貧困といった現代社会が抱える構造的問題を生々しく描き出し、従来のマスメディアや政府主導のナショナル・イメージと対峙している。その映像言語の自由さ、多様な視点の交錯、ローカルな文脈からの発信は、私たちの中にある「フィリピン像」を揺さぶり、他者理解への再考を促してくれる。
また、鈴木勉先生が紹介されたように、こうした映画の多くは国外の映画祭で高く評価されており、グローバルな文化資本とつながることで、国内の映画制作に新たな循環や経済的持続性をもたらしている点も興味深い。文化交流の実践者としての先生の視点から語られる現場のリアリティが、映画を「観る」ことと「知る」ことを強く結びつけてくれた。
今後は、フィリピン映画を通じて「表象とは誰がどのように語るのか」「文化とはどう交差しうるのか」といった問いに向き合い続けたいと感じた。
フィリピンの映画事情について知ることができてとても興味深い内容の講義でした。フィリピンの映画と日本の映画のギャップに驚きました。私が特に衝撃的だったのはスラム街を舞台にした映画がたくさんあることです。私は日本の映画が発表される時に舞台がどこかなんて全く気にせず、肝心の内容ばかり焦点を置きます。ですが、貧富の差が日本よりもずっと激しいフィリピンではきちんと映画用に整備された舞台が主役だけでなく、普通にスラム街を舞台に映画が作られているということが印象に残りました。講義の中で、自分たちの状況を社会に対抗するため映画が作られているということですが、これは日本よりもずっとフィリピンにおいては「社会に対する対抗したい」という意味が重いのだなと実感しました。私は昨年、フィリピンのセブ島に行きましたが、そこでスラム街をみた時に衝撃的でした。日本ではどこに行っても同じような光景が見られますが、フィリピンでは、少しでも地域が違うとスラムが点在していて今でも目に焼きついています。ほとんど日本映画しか見たことがなく、洋画は時々見ますがほとんどがアメリカやイギリスで作られた映画です。この講義を機にフィリピンの映画に興味をもったので早速見たいと思います。映画を通して、フィリピンの文化を知ることが出来るのは良いという思いました。
フィリピンでは、生まれた場所の言葉(マザー・タング)、地域で話されている言葉、フィリピノ語(公用語)、英語(公用語)の4つもの言語を扱うのは珍しくないと知り、日本語しか話せない私からするとその数の多さに驚きました。日本人で考えると、方言、標準語、英語が話せるみたいなこと感じでしょうか、?マザー・タングという概念そのものを知らなかったので、日本語で相応する単語を調べてみたところ、日本で生まれ育った人のマザータングは日本語と出てきて、日本人で考えるとマザータングと地域で話されている言葉の違いは無いようだったので、やはりフィリピンの特色なのだなと思いました。
最後の作品のハイメ・パセナ監督の『この場所』は、とても興味が湧いて来年の春、新宿で見たいと思います!最初の紹介されていた『たとえ嵐が来ないとしても』も2013年の超大型台風をテーマに作られた作品とありましたが、フィリピンは台風や地震などの自然災害が多いイメージがあり、それが日本の東日本大震災と重なって、フィリピンや日本だけでなく国際的に評価を受けたのだろうなと感じました。
フィールドスタディに行く前に今日本で見られるフィリピン映画はないかなーと思い、上映されているものを探したのですが、見つけることができず、残念でした、。もっと日本でも全国的に上映されるコンテンツになったらいいなと思うと共に、今回紹介していただいた作品は見られるサイトを探して見ておきたいと思います。
今回の授業を通して、フィリピン映画が単なる娯楽作品に留まらず、その土地の文化や生活、そして社会問題を色濃く映し出す「記録」としての側面を強く認識した。自然災害、出稼ぎ、ジェンダー、麻薬といった現代社会が抱える多様な問題が、映画というエンターテイメントを通して表現され、遠く離れた私たちにもフィリピンの現状を身近に感じさせてくれることに深い意義を感じる。
出稼ぎをテーマにした作品は、経済的な側面だけでなく、家族の離散や個人のアイデンティティの揺らぎといった、グローバル化がもたらす複雑な人間ドラマを浮き彫りにし、また、ジェンダーや麻薬の問題は、社会における不平等や権力構造、そしてそれに苦しむ人々の現実を突きつけ、私たち自身の社会が抱える普遍的な課題と重ねて考えるきっかけを与えてくれる。このように、映画は単なる物語の語り部ではなく、社会が抱える根深い問題を可視化し、人々に問題意識を喚起する強力なツールとしての役割を担っていることを改めて実感した。
映画という表現手段が、時に文字や統計データよりも雄弁に、人々の感情や社会の現実を伝え得ることを強く感じ、その表現の持つ可能性について深く考えることができた。フィリピン映画というレンズを通して、現代社会が抱える問題の本質に迫り、私たち自身の社会について深く考えていきたい。"
近年日本においてもサブスクリプションの普及に伴いインディペンデント映画や自主映画の普及が進んでいると感じています。しかし今回の講義を聞いてフィリピンにおけるインディペンデント映画の役割や社会への介入は想像以上のものでした。私自身がフィリピンに対して発展途上国で貧富の格差があるということであったり、身の回りにもハーフ(ダブル)が多く距離の近い国であるという印象を持っていました。この海外フィールドスクールへの参加にあたり講義を受けてさらにフィリピンについて分かったことは抑圧された過去や麻薬戦争など政治や社会問題に多くの人々が関心を持っているということです。そういった社会的背景からフィリピンにおいてインディペンデント映画が普及したくさんの注目を集めているのだと感じました。中でも大きな映画祭の場で政府機関である検閲が介入しないということにはとても驚きました。鈴木さんが紹介されていたインディペンデント映画の定義にあった「抵抗的であろうという意思」がよく現れている側面で、これこそがジャンルにとらわれず表現の自由が保障されたフィリピンの映画史なのだとわかりました。日本では規制があり、多くの人はこういった映画から目を背けて娯楽的なジャンルへと走ります。自分もその一部ですが、この講義を通じてフィリピンにおける「アートの社会的役割」を実感してより視野を広げて様々な作品も見てみたいと思いました。
今回の講義で、私が現在、火力を高くして視聴している「woman street fighter」というダンスバトルサバイバルゲームに出演している「RIEHATA」さんはフィリピンとのダブルということでピックアップされていて、とても個人的に嬉しかったです。今回の授業はフィリピン映画についての内容でしたが、私はインド映画は作品の中で必ず歌って踊るシーンが設けられているというイメージが強かったので、フィリピン映画もそのような特徴があるのかなと予想を立てて先生のご用意してくださった映画の予告編を拝見させていただいておりましたが、かなり現実を描いた作品が多くあって、中でもフィリピンで実際に起こった災害の一つである台風の被害を受けたあとをテーマにした作品では、主人公の住む街が台風の被害によってオカルト宗教に走ってしまう人や、犯罪者や逃げ惑う動物たちが野放しにされたかなり混沌とした状況で、恋人と母親を探し出し、危険になった町からマニラに逃げようと考え、第2波の台風までのタイムリミットが迫るという、監督も作品で描かれた街の出身であることや、ストーリー性がノンフィクションであるしとても興味を持ちました。また、大阪の
特に印象に残ったのは、フィリピンの独立系映画が低予算で社会問題を扱っているという事実です。正直、社会問題をテーマにするには、入念な調査や準備、そしてそれを実現するための多額の費用が必要だと思い込んでいました。だからこそ、少ない予算でそのような大きなテーマに挑んでいることに、心底驚きました。
実は、私は映画鑑賞が少し苦手です。特に社会問題を扱った作品は、感情が大きく揺さぶられてしまい、しばらくその感情から抜け出せなくなるため、なかなか観ることができません。今回紹介された映画のあらすじを聞くだけでも、きっと観たら心が痛くなるだろうと感じました。しかし、それほどまでに人々の心を動かす力を持つのが、フィリピンの独立系映画の強みなのだとも思いました。
今回の講義を通して、社会問題に真摯に向き合い、それをアートとして表現する人々に対し、強い尊敬の念を抱きました。自分だったら、あまりに問題が大きすぎて、向き合うことすら躊躇してしまうかもしれません。だからこそ、その困難なテーマにあえて挑み、自分たちの言葉で世界に発信している姿は、本当にすごいことだと思います。
今回の講義は、フィリピンという国や映画に対する見方を変え、同時に、社会やアートとどう向き合うべきかについて、改めて考えさせられるきっかけとなりました。"