図書館

 図書室はその広さは県内でも最大級のもので、書架数も多く、120名もの生徒を収容可能です。中に入ると、最新の書架 が並んでいて、どの本がどこにあるか一目でわかるようになっています。

 蔵書数は約62,000冊にも及び、郷土資料や専門書も豊富。県内有数を誇っています。

視聴覚室

 校舎の視聴覚室は座席数360席、ホールのような作りになっています。

 約200インチの大型スクリーンを備え、電動スライドのカーテンがあり、4系統のマ イクと最新式の音響設備を誇ります。

 学年やコースなどの講演会場や成果発表の場として活用されていま す。

屋上プール

 西校舎の屋上にはプールが設置されています。屋上ということで、プールの周りは目隠しの半透明の囲いがあり、安心して授 業や部活動で利用できる施設になっています。少し寒くなっても利用できるように、温水シャワーも備えてあります。

彩画室とデッサン室

 6階には素晴らしい美術室制作室があります。高い天井の空間は、北側のやわらかい光を取り入れ南の直射日光を遮断し、モチーフが見やすく、制作し やすい空間で、心まで広くなったような気持ちになります。

 また、エントランスや廊下には生徒作品や在籍教員、本校縁の作家作品が常時展示されており、まるで美術館のようです。

服飾デザイン室

 4階に、服飾デザインコースに関する4つの専門教室があります。被服実習室は被服製作実習に活用され、一人一台のミシン と、二人に一台のアイロン、アイロン台、および仕上げ用のプレスボールがあり、また27台のロックミシンが備えてあります。服飾デザイン室は服飾デザインコース専用パソコン室です。アパレル専用CADおよびCGシステム22台を導入し、一年次より全員が活用しています。総合実習室は一人一台のミシンがあり、被服製作実習はもとより、ファッションデザインの演習、及び染色実習が出来る設備になっ ています。

書道室

 5階の南側フロア全体が書道関係の施設になっています。面積は約380平方メートルで、普通教室4つ分以上の広さがありま す。

 廊下には作品展示スペースが設けられ、各種展覧会や揮毫大会で入賞・入選した作品が、常時30点以上展示されています。また、 廊下を挟んで作業室と書道倉庫があり、作業室では作品の裏打ちをする表装機が大活躍しています。この機械は、手作業だったらまる 1日かかる作業を10分程度で済ませることができる優れものです。

採釣園と80記念館

 米田家別邸の庭園として寛文10年(1670)頃、作庭されたと考えられる。採釣園の「採釣」とは、唐時代の詩人韓退之(韓 愈)も句からとったもので、命名者は藩主宣紀とされる。

 自然の地泉に築山を配した廻遊式庭園は、江戸時代の庭園形式を残すもので、近くには立田山、かつては遠く八方岳をも望むことがで きた。

米田家旧邸

 この建物は、本来庭園の西南部(現北校舎階段出入口付近)にあったものを、校舎建築のため現在の位置に移したものであった。江戸時代武家屋敷の数寄屋風の造りで、奥書院(居間)に相当する。江戸時代の格式にこだわらない自由さも見え、建築は明治初期と 考えられる。平成28年熊本地震により全壊したが、令和2年文化交流施設として一部復元された。

必由堂跡

 必由堂は、米田家子弟教育のための家塾で、藩校時習館と時を同じくして始めたと伝えられる。

 必由堂の命名者は時習館教授辛島塩井で、中国宋時代の儒学者程氏が「大学」を説いたなかに「学は必ず是に由って学ばば、則ち其の 差(たが)はざるに庶(ちか)からん」とあるところからとったものである。

井上毅生誕地碑とうぶゐの井戸

 井上毅(いのうえこわし  8433~1895)は、明治の熊本が生んだ近代文化功労者の一人で、大日本帝国憲法、教育勅語などの起草者として 知られ、枢密顧問官、文部大臣などをつとめた。

 明治維新後、岩倉具視、伊藤博文に用いられ、内政外交上数多くの重要問題立案計画にあずかった。碑は昭和14年に建てられ、撰書は赤星典大である。