古代都市

都市の大きさは約 2km x 1.8km であり、二重の土壁によって囲まれていた。ワット・ルアン・カウ寺院[Vat Luang Kau]で発見されたデヴァニカ王の銘によると、5世紀中旬頃のものと考えられる。最近になり同じ場所で発見された二つの銘から、早くとも6世紀の終りには、マヘーンドラヴァルマン王[king Mahendravarman]の首都だったことがわかった。この王は後にサンボー・プレイ・クック地域[Sambor Prei Kuk area](南西240kmのカンボジア領内)の支配者となる。

(ワット・プーと古代都市、ワット・プー公式サイトより)

後に王が全クメール領を支配するようになると、この都市(サラスタプラ[Shrestapura]と呼ばれることが多い)は政治的な首都としての役割を失った。

彼らの移動と共に政治的な中枢は移され、最終的にはアンコール(9世紀から)が首都となった。しかし代々の支配者たちはかつての場所を忘れず、ほとんど全て最後の王(ジャヤーヴァルマン7世から12世で終わる)はワット・プーの周辺に宗教施設を建立した。

彼らは神殿に寄進を行い、その宗教的重要性は消えることはなかった。後にワット・プーは活動的な仏教寺院になり現在に至る。毎年2月の満月の日には巡礼が行われ、多くの参拝者を惹きつける。