第1課題と共に同時提出しました。
私にとっては良い課題であり、楽しみながら課題に取り組めました。
誤字脱字の訂正から、日本語の使い方やレポートの書き方まで、
とても丁寧に添削してもらえました。
先生には感謝です。
第1、2課題は合格はもらえました。
残りは単位修得試験です。
レポートを載せてはみますが、学生の身として制作したものです。
修正が必要な部分もあります。
あくまでも参考で。
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京都地域学
第2課題 レポート
「自分で調べる」
伝統・京都的なもの
京都の地名と路の名前から歴史を探る———
1、土地と路に伝わるもの————————————————————————————
日本全国津々浦々、人は土地に名前を付ける。地形の特徴やその場所であった過去の事象から考えられた名前など、様々な名付け方があり、また土地の名は住所となって人々の営みには欠かせないものである。特に京都では、長いあいだ政治の中心とする都があった場所として、日本史に大きく影響を与えた出来事の起こった場所が多く、その故事を元に町名や通り名が付けられていることもある。土地には過去に生きた人間の様々な痕跡が残り、京都では何気無い場所でも、その場所にまつわる歴史的な解説や石碑を見つけることができる。「土地と路に歴史あり」京都で育った私は、土地や路に過去に生きた人々の痕跡を探り「伝統・京都的なもの」を発見してみようと思う。
2、平安京遷都以前———————————————————————————————
下鴨神社の境内に広がる糺の森は、平安京が遷される以前の京都の姿が想察できるところである。京都では1万5000年前から人々が住んでいた痕跡があり、京都市内で見つかっている最も古い土器は、縄文時代に作られたものが西大路太子道下ル南上合町あたりで押型文土器が発見されている。まだ大路小路のない時代、広大な森には小さな集落と集落をつなぐ道があったことが想像できる。そこに巨大な都が造営されることとなる。
都となれば中心的な場所が造られ、平安時代では大極殿や御所、現代でも役所や駅、メインストリートが示されることとなる。しかし京都では特別な場所がある。六角通は東西の長い通りの一点としてある頂法寺の六角堂に由来した通りで、用明天皇2年(587年)に聖徳太子が大阪四天王寺の造営のための建材探しで立ち寄ったと伝わるところで、沐浴後、木に架けていた観音が離れず、この地にお堂を建てたということに始まる。現在でも境内にある「へそ石」は京都の中心として町衆に親しまれた場所となっている。
3、平安の都——————————————————————————————————
794年から始まる平安時代、日本では中央集権化と律令国家化を推し進める中で、桓武天皇と造営大夫の和気清麻呂は、儒教思想により建設された唐の都「長安•洛陽」をモデルに、四神の神が守る適切な地として、船岡山=玄武、鴨川=青龍、山陰道=白虎、小椋池=朱雀になぞらえ、長岡京から葛野の地へ遷都した。
平安京は条坊制の東西4.5km、南北5.2kmの矩形の都で、朱雀大路を中心に左京右京と分け、それぞれの路に名が付けら、現在でも路の名よってその場所の役割を偲ぶことができる。平安京の中心を通る朱雀大路は、現在では千本通と言われている。造営当初は幅84mの直線の通りで、入り口の羅城門から大内裏まで規則正しく路が交差していた。大路小路に区切られた1ブロックの最小単位は120mで、土地を有効活用するために中央部にむかって細い路地や辻子という袋小路が造られていた。
今でも条坊制は感じられるが、現代では自動車が主な移動手段となり、様々な道幅の路が造られている。京都には古くから残る「路地・辻子」のような生活的な路も残るが、現代の主な移動手段である自動車のために道幅は拡張される傾向にあり、郊外には高速道路の建設も進められている。いつの時代も道は人々生活スタイルによって絶えず変化している。しかし京都では、観光地として歴史的な路も共存できる環境にあり「どん突き」といわれる袋小路も京都の名物となっている。
4、現代の京都の生活空間————————————————————————————
庶民の住宅事情は時代によって自然に変化するものであるが、京都の主要な観光地域では和風を意識した町づくりが条例によって定められている。現代社会の住居のスタイルとしてマンションがあるが、京都では伝統的な様式をした景観が意識され、他の都市には見られない和を強調したマンションが建てられ、規格化された室内をつなぐマンションの通路は京都でいえば現代版の路地ともいえるものである。
その他、ガードレールや電信棒など、町を形成する様々なものが伝統的な色調を意識したもので造られている。庶民の生活の場は自然に形成されていくものであり、うなぎの寝床といわれる伝統的な京町屋は減少する傾向にあるが、現代では観光都市として京都独特の近代化が進められ、他の都市には見られない京風が意識された町づくりが進められている。
5、室町通———————————————————————————————————
平安京造営当初、1つの小路であった室町通は御所に隣接した倉庫「室屋」があったことが語源と考えられている。後の足利政権下では室町通と丸太町通の交差するあたりに「花の御所」といわれる将軍邸が造営され、1300年代に入ってから平安京の中心は朱雀大路から室町通となる。現在でも和装卸問屋が軒を連ねる通りで、明治以前までの町組織である寄町制度が色濃く感じられるところでもある。
南北に長い道のなかでも四条通りと交差する場所は「鉾の辻」といわれ、祇園祭でも中心的な場所となる。近年、四条室町界隈でもマンション化やオフィス化が進んで、この地域に古くから住む人々は減少し、祇園祭の山鉾の運営にも支障をきたしている。しかし、山鉾連合会や清々講社の発足により、祭りの維持・統括がおこなわれている。京都の町並みが変化しても、この界隈ではこれまで洛中に住んできた人々の意思が伝え続けられている伝統的な通りといえる。
6、近代化———————————————————————————————————
シルクロードの最終地として、東洋の文化が中心となってつくられた京都の文化体系も、明治以降には西洋の文化を取り入れるようになる。また、首都としての役割は東京へ移ることになり、廃仏毀釈などの信仰の変化や人々の生活様式は大きく変動することになる。
政治機能がなくなった京都では、都市の衰退が懸念されて様々な町の活性化が進められた。琵琶湖疎水の建設や、路面電車の運行など、主要街路の整備が進められることとなる。第二次世界大戦下では空襲による延焼防止のために建物疎開がおこなわれ、堀川通、御池通、五条通など、道幅が拡張されることとなった通りは、結果的に自動車社会にむけての街路整備につながった。近代以降、移動手段の主役は自動車になり京都の町にも多くの交通標識や信号が建てられることとなる。現代社会では道を利用する為の決まり事が多く存在し、道の姿は著しく変化した。
7、あの世への道————————————————————————————————
京都には人の生死に関する場所が多く存在する。昔、人の死は穢れと考えられ、生きる者にも大きな影響を与える死者の埋葬は都の人々にとって重大な問題であった。現代では火葬後に墓所へ埋葬するが、過去の京都では屍を洛外の特定の場所に運び、風葬による葬儀が一般的であった。その葬送の地として洛外の鳥辺野・蓮台野・鴨川等に遺骸が運ばれ、京都周辺には地獄絵図のような場所があり、この世とあの世、不帰の旅路に出るということは、現代よりも身近に感じる問題であったことが考えられる。
千本通はもともと朱雀大路であったが、沿線の蓮台野では現在でも閻魔前町という住所があり、風葬の地として数えきれない卒塔婆が立っていたことから千本通と名付けられたということも1つの言い伝えである。その他、京都には菅原道真の御霊を鎮魂するための北野天満宮や、藤原頼通が死後の世界である浄土を再現した平等院、六道珍皇寺には小野篁が利用したと伝わる地獄へ通じる井戸もあり、あの世を意識した場所が多く存在する。
怨霊の祟りと考えられていた自然現象が科学的に解明された現代でも、京都では宗教都市として様々な神仏が祭り続けられている。京都へ訪れる人々も社寺建築を文化財として観光する目的以外にも、願いを叶えるために祈り、身を守るためにお守りを授かる。宗教的なことは「現世を如何に生きるか」と、問うことでもあり、様々な神仏が祭り続けられている京都では、現世を生きるための道徳や智恵が多く残る場所でもある。
8、伝統・京都的なものとは———————————————————————————
土地や道を元に歴史を探っていくと、それぞれの時代を生きた人々の痕跡が発見できる。京都の生活・文化事象は主に平安時代以降のものであるが、遷都当初からある有形的なものは意外と少なく、戦乱や大火によって焼失してしまっている。しかし、復興・再建を繰り返すことによって意識を継承し続けてきた。町の姿が変わっても過去に生きた人々の意志は受け継がれ、風習や遺構としても語り続けられている。京都には過去に生きた人々の存在感が今でもあり、「伝統・京都的なものとは」とは古びた町並みだけではなく、「受継ぎ、語り続けたい」と思わせるほどの魅力あるものを生み出す思考ではないだろうか。
(文字数 3338字)
参考文献————————————————————————————————————
・ 明川忠雄、糸井道浩ほか、京都地名研究会編「京都の地名 検証 風土・歴史・文化を
よむ」勉誠出版 2005年4月10日発行
・千宗室、森谷尅久監修「京都の大路小路」小学館 2002年10月1日発行
・高橋康夫、中川理編「京・まちづくり史」昭和堂 2003年7月30日発行
・植村善博、香川貴志編「京都地図絵巻」古今書院 2007年7月14日発行
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ビジュアル資料も提出が必要なのでこのようなものも制作しました。
普段から京都散策をしているので、この資料も楽しく制作できましたよ。