総合T----------東洋の叡智への案内-試験

この課題は、2つのレポートを合格して、そして単位修得試験を合格するとやっと単位がもらえます。

試験は、年度始めに、出題される大まかな傾向が載った小冊子が配布されています。

それを元に、試験用の下書きも考えます。

「東洋の叡智への案内」の2つの課題

第1課題で『神道の逆襲』レポート

第2課題で『茶の本』レポート

私の場合、いつも2つ課題と試験の下書きが完成から試験を受けます。

4単位のテキスト課題は半年ぐらいかけて制作するかな。

夏頃から、お正月までひたすら本を読みました。

この課題では、結局これだけ本を読みました。

読み過ぎかも??とも思います。

けれども、調べていくうちに面白くもなってきますし、

知識がないとレポートを書くのも難しいです。

で、2月の年度末の最終単位修得試験を受けに行ってきました。

この日の朝はちょこっと雨。

やっぱりテスト前は緊張するので、京都の景色を見て気持ちを落ちつかせます。

1時間の試験ですが、論述形式なので前もって準備をしておかないと難しいです。

一応、準備した下書きが試験の問題とバッチリ合って無事に合格!

試験用の下書き、お題を自分で考えてみて制作したものです。

東洋の叡智「絶対と無上、慈悲」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

物事に理非曲直を考える人間である。東洋や西洋など、さまざまな思想や人種があれども、良くあれと願う思いにはかわりはない。しかし、近代になり、これまで人間の善行と思われていた我欲的営みによって、自然環境は大きく弱体化したとされる。西洋の産業革命以降、科学技術によって大量の資源消費で失われたものを補うため、科学技術によって秩序を取り戻そうとする姿勢は、優れた営みという一面もあるが、人間の浅はかな智恵に対しての滑稽な活動ともいえる。

東洋思想をもつわれわれ日本人も、認識できるものに対して、優越の分別されたものに分けてきたことには変わりはない。東洋においても「無上」という西洋の「絶対」に対応する思考をもっているが、最も良きものとされる両方の価値観の差は、相反するものや負荷的要素に対する反応ではないだろうか。絶対性を求めた西洋的人間至上主義では、価値のないものや弱者を不要なものとして扱い、負荷的要素を根絶することが目指された。しかし、世界は人間の価値観では図ることができない中で秩序が保たれており、様々な問題を生み出すこととなった。

西洋の相対する東洋の「無上」という思想に、人間至上主義を乗り越えるための叡智を見出だすことができるのではないだろうか。東洋の無上という上限を持たない向上性。東洋では完結したものや絶対的なものだけに捕われず、「無」ということに意味を持ち、「空」という空間に価値を与える。また、「永遠不変なものはない」と考える東洋思想は、人々の移ろいゆく精神性を解明かし、人間の精神的成長を促してきた。しかし、現代の日本では明治以降の生活習慣の西洋化と同時に、西洋の思想を受容しすぎ、東洋の叡智をも排除しようとしてきたのではないだろうか。不完全性にも美しさを感じることができる東洋的な価値観に、西洋的な人間至上主義を乗り越えられる思想があるのではないだろうか。

人間は、思想や叡智となる智恵をもつ存在であるが、思想によって争うことをし、人間独自の価値観によって様々な破壊的行為を繰り返してきた。だが、他の生物は思想がなくとも穏やかな営みを続けられる存在であり、この世界を構成するかけがえのない存在として生きている。近年の自然環境を意識した取組みや保護活動は、自然を思うままに支配しようした結果、環境悪化を招いたことに対する反省であるが、環境保全ということ以外にも、人間至上主義という思想を悔い改める契機となるのではないだろうか。

無にも価値を与える東洋の思想は、無上を求めるための補い合う心の動きを大切にし、限りない発想の創出を重視したのではないだろうか。不完全に完成があるということは、矛盾しているのかもしれない。しかし、欲求が満たされないことによって精神的原動力がうまれる。自我的存在を向上するためにも、東洋の精神的営みを再評価してはどうだろか。多くの存在によって我らが考え、生かされていること、すべての存在に慈悲ある心を持つことこそが東洋の叡智ではないだろか。(1236文字)