大学院-芸術環境論特論-第1課題

大学院での必修科目です。

入学してすぐ配布された教科書を読んでレポートします。

一応、一度で合格しました。

学生が書いたものなので、あくまでも参考程度にしてください。

芸術環境論特論 第1課題 レポート

———————————————————————————

『芸術環境を育てるために 第一章〜第四章まとめ』

———————————————————————————

第10章デザイン創造都市

京都ブランドに見るもの作りの可能性 からの考察

京都の伝統産業について』

———————————————————————————

第1章 作られる場所1 地球史•生命史の観点から 原田憲一 まとめ———————

地球の成り立ちを、誕生した時から現在に至るまで、地質学者の見地で概説しながら、芸術環境を実現するための手がかりを提供している。概説は、西欧の近代科学の視点で記述するのではなく、地球と生命が共進化した生命論的自然観をベースに論考されている。

現在の地球は多様化し、最も調和のとれた美しい姿であるとする。46億年前に地球が誕生してから現在の環境に至るまでには、異変と安定期を繰り返して徐々に形成された。40億年前に生命が誕生、そこから多様な種に分化した。すべての動物は原始魚類から始まり、様々に進化したもので、人間と同じように美的な認知能力があると説く。しかし、氷河期や温暖化期など、自然環境が厳しく変化した中で、様々な形で環境に適合できるように進化した動植物のうち、人間は生活環境の美化を意識する地球史上初の生物であるとする。

芸術環境を実現するために行われることは、次世代が安心して生きていける環境を創造することも、大切なことであると論じられている。

(423文字)

第2章 作られる場所2 芸術•環境•地域学 中路正恒 まとめ ——————————

人間の詩的創造や心的高揚など、精神的な面から芸術環境を実現するための考察を試みている。同時に、過去の芸術家や哲学者が思惟してきたことを織り交ぜながら、芸術意識の問題点も説いている。

芸術意識はけして特殊なものではなく、なにげない日常の生活からも発見できるとする。環境に対するささいな不満やそこから生じた苦悩、その後の回復から得られた調和は強烈な生命の力をもち得る。その回復は単に精神の安定と復帰となるのではなく、発展するためのプロセスでもあり、美的な性質をもっているとする。精神的な闘争と獲得の繰り返しも創造活動であり、奢侈や学問的探求を満たすことが、芸術環境を実現することではないと論じられている。

また、異文化と接した場合の高揚感にも美的本質を発見する。生活環境が違う地域と接することによって得られる芽生えや、環境の変化によっておこる心的作用を「浮立」と表し、その心的作用も芸術環境を実現するための力になるのではないかとまとめられている。(419文字)

第3章 芸術環境としての造形 岩崎見一 まとめ ————————————————

グローバル化し、芸術もその中に取り込まれることになった現代の造形表現環境。すべての表現活動と社会との関係を紐解く。

現代、芸術として見られる過去の作品の中には、呪術的な役割のあったもの、宗教の布教に利用したもの、道徳や政治的なイデオロギーの機能をもたせて制作されたものも含まれる。しかし、本来持っていた機能が忘れさられ、資本主義経済の中で商品や投機の対象としてみられ、美術館や博物館という抽象化された空間に陳列されるようになった。また、様々に区別された造形表現は時代が進むにつれて複雑化する。様式論によって分離され、造形活動にヒエラルキーがあるかのように論考されることに異を唱える。新しいメディアには正しい判断と読解力がつくよう、専門家の育成も推奨している。

新しい見え方を提供しようとしている表現活動にはエネルギーを必要とする。容易ではない造形活動には上下の差はなく、芸術環境の可能性を広げることが望まれている。

(405文字)

第4章 芸術環境としての風景 歴史的重層性と断絶 安西信一 まとめ ———————

近代の芸術活動の発表の場は、作品を独立して鑑賞するため、美術館といった閉鎖空間に展示をされてきたが、近年は屋外に発表の場を求めるアーティストが出現し、ランドアートと言われる地球を素材の1つした芸術表現が行われるようになる。この試みは、現在の芸術環境という芸術のあり方を考える上で、最も影響を与えた活動としている。

人間が、自然環境を「風景」として意識するようになった経緯も論考されている。人間は、自然からの恵みを享受すると共に害悪の場としても怖れ、徐々に支配意識が強くなっていった。自然をコントールするために人の手を加えながら、美的な意識を養いつつ、環境という大きな枠組みの中にも芸術意識が発生した。

次々と風景を造りだす人々、人間にも予想できない風景の未来像。景観論争など美化を目指すあまりに、古い物が取り壊される中、慢性化した美的意識が、逆に失望を招くのではないかと警告を発する。環境造りに安易なレシピは無いとし、慎重に検討することが勧められている。

(425文字)

第10章 デザイン創造都市—京都ブランドに見るもの作りの可能性 成美弘至 から—

京都の伝統産業について—————————————————————————————

人間はこれまでどれだけの物を作ってきたのだろうか。物は利用する価値がなくなると作られなくなり、便利なものや魅力あるものが現れると新しい物へ取って代わる。その繰返しである。伝統産業も当時は最新の産業として発生したわけである。過去の京都では、長らく政治の中心として人々が生活した。人が生活する場所には物が必要であり、全国から様々なものが集まった。豊富に物が集まり、優れたものが選別され、京都の物作りは洗練されることになったのではないだろうか。時代が流れ、人や物が移り変わり、生活様式や情勢も変化していくなかで、現在は古都であったという価値のなかで、老舗や伝承された文化の「続けた」ということに価値を見いだし、伝統産業として成立するまでになった。

京都でも危機的な状況が何度かあった。疫病の流行や飢饉による人口の減少、幾度かの大火による資産の焼失。また、明治期の東京への遷都は、京都にとって大きな節目となった。文化の担い手となっていた公家も京都から姿を消すことになり、文化的側面からも危機的な状況となったといわれる。首都機能が失われ、一都市となった京都では、活気や産業の衰退の危惧があったなか、勧業博覧会の開催や琵琶湖疎水の建設など、産業的な復興政策がとられるなどして、都市として維持することができた。しかし、現在は伝統産業が衰退し技術が伝承できない状況が問題となっている。時代に合った物作りができなかったこと、職人の手による少量生産によるコスト面の問題、複合する様々な対応の遅れが現状の問題を招いたのである。

生産面では、明治以降日本の人口も急激に増え、増加した人口によって大量生産文化が作り出された。量産というものは1つの社会現象であるといえる。一つの要因として、その波みに乗れなかったのが京都の伝統産業である。しかし、量産は様々な弊害も生み出した。物に対する価値観の下落、資源の少ない日本での輸入に頼る物作りの先行きの不安感。安価な物を使い捨てで成り立たせる生活スタイルとなった今、過去の人々の物に対する価値観、補修しながら1つの物を使い続けていた生活習慣から知恵をもらい、新たな生産スタイルと、消費者のライフスタイルに、意識の変革が必要な時期にきているのではないだろうか。

現在、人口減少も社会問題となっている。この問題は、物作りに関しても直面する問題で、量産による需要と供給のバランスが崩れ、大工場による生産体制が成り立たなくなる社会がくるかもしれない。そのなかで、少量生産と文化性に高く比重を置く京都の職人の生産感覚は、これからのライフスタイルと新しい物の価値観を築くためのヒントがあるのではないだろうか。

京都は総本社と本山が多くある宗教都市でもある。京都の商人は法華宗とも深い関わりがあったとされ、市中で生活していた人々は、荘園制度による寺社領主支配地に生活し、神人として神事や社務に奉仕した。信仰は人の心のなかに息づく精神性であり、より良く生きる方法を思惟するものでもある。現在、日本では無宗教という感覚をもつ人々が多いとされるなか、そのような人でも宗教感覚は少なからず生活する上で影響を与えている。万物に神が宿るという日本人の信仰観も、物を作ることや使う意識にも少なからず影響を与えているのではないだろうか。ネットワークを大切にする京都の伝統産業。人とのつながりを大切にしたいという京都の職人の意識は、現代の我々に大切なことを教えている。信用があることによって継続し、より良いものが造られてきたからこそ、今でも伝統的なものが生き続けている。

伝統産業は、よいデザインを考えることや企業的戦略を打ち出すことも必要であるが「伝統•人口•信仰」この3つキーワードも、もの作りに影響を与えたのではないかということに行き着いた。最後に、京都でも商いを行っている近江商人の家訓「三方良し」と言う言葉で締めくくる。「売り手よし、買い手よし、世間良し」物作りと商いは社会を成り立たせるための大切な人間活動である。物質的な文化財だけでなく、人の生き様を文化の一部とし、保持する京都の意識に、今の低迷した日本から立ち直るヒントがあるのではないだろうか。

(1718文字)

京都の伝統産業について 参考文献————————————————————————

・村山裕三著『京都型ビジネス 独創と継続の経営術』日本放送出版協会2008年12月25日

・脇田修・脇田晴子著『物語 京都の歴史』中央公論新社2008年1月25日