キャプションとディスクリプション集です。
私が提出した時は、ディスクリプションも項目が分けられていないときでした。
学生なのでぼちぼち間違っているところもあります。
参考程度に。
リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
インド美術史ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1,《ライオン柱頭》(アショーカ王柱柱頭)
2,バールフット浮彫(インド美術館)
3,バージャー石窟浮彫
4,ガンダーラ彫刻より:仏立像
5,ガンダーラ彫刻より:《苦行釈迦像》
6,マトゥラー彫刻より:《観音菩薩半跏思惟像》(マトゥラー出土、クロノス・コレクション)
7,《仏坐像》(サールナート出土、サールナート考古博物館)
8,《ヴィシュヌ野猪化身》(ウダヤギリ第5窟)
9,《シヴァの舞踏》(エローラ石窟)
10,《十二臂観音菩薩立像》
11,《ドゥルガー像》
12,《守門神(蓮華手菩薩)》(アジャンター石窟第1窟壁画)
13,ムガール系の細密画
14,ラージプト絵画(ラジャスタニ絵画)
15,ラージプト絵画(パハリ絵画)
朝鮮美術史ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
16,《安岳3号墳壁画》
17,《四神図》(江西大墓壁画)
18,高麗青磁の作例
19,《阿弥陀如来坐像》(根津美術館)
20,徐九方《水月観音像》(泉屋博古館)
21,その他、日本にある高麗仏画から選択可《楊柳観音》(大徳寺)
22,《青花白磁梅竹文壷》(大阪市東洋陶磁美術館)
23,《大井戸茶碗(銘 喜左衛門)》(京都・大徳寺孤篷庵)
24,安堅《夢遊桃源図》(奈良・天理大学付属図書館)
25,鄭 《仁王霽色図》(湖厳美術館)
26,《半跏思惟菩薩像》(国立中央博物館、韓国国宝83号)
27,《仏坐像》(石窟庵)
28,《毘廬舎那仏坐像》(桐華寺毘廬庵)
その他のアジア地域の美術ーーーーーーーーーーーーーーーーー
29,《バーミヤーンの大仏》西大仏
30,《シーギリヤの壁画》
31,《ボロブドール》
32,《アンコール・ワット》
1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《ライオン柱頭》
(アショーカ王柱柱頭)
淡紅色砂岩
213.5cm
マウリヤ朝時代(前3世紀後半)
インド、ウッタル・プラデーシュ州、サールナート出土
サールナート考古博物館蔵
●ディスクリプション
アショーカ王は国土を広げるべく隣国の征服戦争を度々おこなっていた。しかし、カリンガとの戦争で多数の犠牲者が出てしまったことをきっかけに、宗教的理念をもとに国を治めることにした。その意思を国民に知らしめるために各地に石柱法勅を建てたなかで、このライオン柱頭は最も保存状態がよい完成度の高いアショーカ柱頭である。4頭を石塔上部の円に収めるために後ろ半身が省略された部分や、たてがみの処理など形式化が進みつつも不自然さを感じさせない造りは、制作者の造形感覚の高さが表れたものである。インドにおいて、石彫制作はインダス文明以降伝統が途切れてしまっていたが、石柱法勅の制作で技術をペルシアやギリシャから導入し、国家規模でおこなわれたことによってインドの彫刻技術は飛躍的に向上した。
(備考)
《アショーカ王柱》砂岩、高約12m、マウリヤ時代(前3世紀)、インド、ビハール州、ラウリヤー・ナンダンガル
アショーカ王によって建立された石柱法勅のなかで、頭部が破損しているものの唯一石塔として現存するものである。
2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏伝:祇園布施(バールフット浮彫)
砂岩
直径 54cm
シュンガ時代(前1世紀)
インド、マディヤ・プラデーシュ州、バールフット出土、
カルカッタ、インド美術館蔵
●ディスクリプション
バールフットの欄楯で、最も重要なものは欄楯柱に施された仏教説話図で、素朴な画面構成ながらも長時間見ていても飽きることがない多彩な空間が広げられている。円の中に異時同図法によっておさめられた時間と空間は、手法こそ拙いものではあるがリズムよく表現され、興味深いものになっている。その中で仏典に登場するこの祇園布施の祇園は、釈尊が好んで訪れた場所として知られたところである。この時代、釈尊は超人的存在として仏画や彫刻で絵や形で表せられることはなく、パールフットの浮彫りにおいても主人公不在の仏陀なき仏伝図として釈尊の姿はなく、この浮彫りでもマンゴー樹の根元にある空座によりその存在が象徴的に表現されている。バールフットの浮彫りは、インドの無仏像時代に説話図浮彫り制作がおこなわれるようになった仏教美術の最初期の作例として重要なものといえる。
(備考)
《バールフットの東門と欄楯(復元)》シュンガ時代(前1世紀初)、カルカッタ、インド博物館蔵
インド博物館は、インド初の博物館として創設された。その博物館に展示されたバールフットの復元である。ストゥーパに沿って建てられていたので緩やかに湾曲している。
3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《スーリヤとインドラ》
(バージャー石窟浮彫)
?玄武岩
寸法
前2〜前1世紀
バージャー第19窟ヴェランダ右壁
インド、マハーラーシュトラ州
● ディスクリプション
古代のバラモン教で信仰されていた神々が、仏教に吸収されて護法神として像造され始めた時期のもので、インドにおける初期の彫刻例としてバージャーを有名にしている浮彫りである。半ヴォールトの珍しい天井をした第19窟のヴェランダにある房室入口に彫られたもので、彫刻面に背地を残さない傾向は古代初期のストゥーパ浮彫りにも共通したものといえる。浮彫りのテーマについて、現在に至っても多くの論議があり決定的なものはないが、左側は4頭立ての馬に乗るスーリヤが鬼神らしき巨人を踏みつけているところで、右側は小さい人物群像のなかに雷を神格化したインドラが象のアイラーヴァタに乗ったものが彫られていると考えられている。初期の浮彫りで平面的で稚拙な形態把握ではあるが、伸び伸びと画面全体を利用した構成で魅力的な画面を造り出しているといえる。
(備考)
バージャー石窟チャイティヤ窟外観、玄武岩、幅7.9×18m 前2〜前1世紀
仏教石窟は出家者の生活のための寺院として造られた。バージャー石窟は西インドでも初期の石窟遺例として注目されている。
4ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガンダーラ彫刻より:仏立像(自由選択)
?作者
?生きた年代
菩薩立像
?員数
片岩
120cm
1〜2世紀
ガンダーラ、メーハ・サンダ出土
フランス国立ギメ東洋美術館蔵
●ディスクリプション
この菩薩は、悟りを開く前の修行中の釈迦像として世俗の人物らしくターバン冠飾と豪華な装いをしている。インドにおいて釈迦は長い間象徴的に表されてきたが、クーシャン時代に入って仏像が造像されはじめた。紀元前4世紀、アレキサンダー大王が東征をおこなったころに、多くのギリシア系の移民がガンダーラ地方に流入しており、その結果、仏教美術はヘレニズム美術の影響をうけながら東西文化の交流によって形成さたといえる。この菩薩像も、彫りの深い顔面はギリシア•ローマの西方文化の遺風が色濃く、衣紋の表現もローマ彫刻の影響が顕著に表れているものである。仏像が制作された起源の地としてマトゥラーも上げられているが、ガンダーラの方が始まりは早く、2世紀初期に造像され始めたことが通説になっている。
(備考)
仏坐像、赤色砂岩、69cm、2世紀、マトゥラー出土、マトゥラー博物館蔵
マトゥラーでもガンダーラとは異なる形式で仏像が造り始められた。インドの伝統的な人体表現に基づき制作され、薄い衣に明るく若々しい面貌をしている。
5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガンダーラ彫刻より<苦行釈迦像>
?作者
?生きた年代
苦行釈迦像
?員数
片岩
高さ 84cm
2〜3世紀
パキスタン、ガンダーラ、シクリ出土
ラホール博物館蔵
●ディスクリプション
ガンダーラ地方では、釈迦の仏伝中の話を具体化した礼拝像が造られた。この像は苦行によって極限状態になった成道以前の悟りを求めた苦行像で、ガンダーラ地方でのみ造られた珍しいものである。ナイランジャナー川近くのウルビルヴァーの森で極度の断食や呼吸の抑制を試みた姿で、人生の終極と解決法を求める釈迦の極限状態を再現したものである。解剖学的に不正確な部分はあるが、正確さは重要ではなく、苦行に対する釈迦の凄まじい姿が伝わることを求められたものといえる。この時代に釈迦の生涯を伝える彫刻が多く造られたが、ほとんどは浮彫りの仏伝図で表され、このような単独の礼拝像は珍しいものである。台座には香炉を中心に6人の弟子が供養した姿が彫られ、この像は釈迦が悟りに至って教団が創始されたことを示したものではないかと考えられる。
(備考)
涅槃図、片、高26.7cm幅44.4cm、タフティ・バヒー出土、大英博物館
この時代は仏伝図など釈迦の生涯を物語る浮彫りが多く残されている。仏伝図のレリーフは右回りの礼拝儀礼に合わせて右から左に展開していくものが多く、この場面も右を重視したもので涅槃図も右腋を下に横たわる。
6ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マトゥラー彫刻より<観音菩薩半跏思惟像>)マトゥラー出土、クロノス・コレクション
観音菩薩半跏思惟像
?員数
砂岩
高67.4cm
クシャーナ時代(3世紀中頃)
インド、ウッタル・プラデーシュ州、マトゥラー出土
クロノス・コレクション
●ディスクリプション
マトゥラーでは珍しい菩薩像で、サンダルを脱いだ右足を左膝上に載せ、右手の指先を頬に添えて半跏思惟の姿をしたものである。頭部には大きな円形の冠飾りに小さな化仏を付け、側面にはガルダらしい鳥が並べられている。耳飾りは大きく、臂釧と5重の腕釧をつけて豪華に身を飾っている。仏像が制作されるようになった発祥地としてガンダーラとともにマトゥラーも名高い地である。ガンダーラでは半跏思惟像は20体ほどが確認されているが、インド内部では作例が少なく、ガンダーラを起源としたもので、北インドで唯一の彫刻制作地であったマトゥラーに伝えられたものと考えられている。半跏思惟像はシルクロードを伝わり、日本の広隆寺や韓国の半跏思惟像の最も遠い源流でもある。半跏思惟の形態は国ごとに造形の違いがあり、礼拝像に対する求めるものの違いが表れている。
(備考)
国宝 昭和26年6月(1951)指定
弥勒菩薩半跏像、1躯、木造、総高123.3cm、7世紀前半、京都府、広隆寺蔵
日本では、半跏思惟像は薄く微笑み、装飾のないすっきりとした細身の躯体をしている。この像も韓国の国宝83号半跏思惟像が原型であると考えられている。
7ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
088、<仏坐像>(サールナート出土、サールナート考古博物館)
転法輪印仏陀坐像(てんぽうりんいんぶっだざぞう)
?員数
砂岩
高161cm
グプタ時代(5世紀後半)
サールナート出土
サールナート考古博物館蔵
●ディスクリプション
チュナール産の淡紅色砂岩の1石から彫出されたもので、インド・東南アジア・東アジアの仏像制作に大きな影響をあたえたものである。サールナートは釈迦の初転法輪の聖地としてこの説法を意味した像容は多く出土し、その中でもこの坐像はサールナート彫刻の代表作として名高いものである。華麗な頭光と後屏の前で、安楽な姿勢をしながら転法輪印を結び、仏陀が鹿野苑で初めて説法をした仏陀像である。伏し目がちに微笑みを浮かべた面相は静寂さをあたえ、制作者の洗練された柔軟な造形感覚が感じられるものである。インド彫刻を通覧すると襞を刻まないものが多く、この像も襞は一部にしか刻まれていない。インドの石窟では壁面に彩色が残る例があり、壁面以外の彫刻にも彩色を施したことが推察され、この像も彩色によって襞が描かれていたのではないかと考えられている。
(備考)
仏立像、赤色砂岩、高216cm、440〜55年、マトゥラー出土、ニューデリー国立博物館蔵
グプタ朝時代の仏像の表情は独特で、眼は下を見つめて神秘的な感じがあるものが多い。この時代はサールナートの他にマトゥラーが仏像の制作地として上げられ、グプタ朝の2大工房であった。
8ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<ヴィシュヌ野猪化身(やちよけしん)>(ウダヤギリ第5窟)
ヴァラーハ(ヴィシュヌ野猪化身像)
?員数
砂岩
390×670cm
グプタ時代(5世紀初)401年頃
インド、マディヤ・プラデーシュ州、ウダヤギリ第5窟
●ディスクリプション
ヒンドゥー教では仏教や民間信仰などの多くの民族の神々と習慣を取り入れてきた。同時に造形の美的感覚も吸収し、本格的な初期ヒンドゥー教の彫刻作例として重要なもである。ヴィシュヌはさまざまな姿をもつヒンドゥー教の神として信仰されている。ウダヤギリ第5窟は奥行1mほどの大きな長方形のくぼみで、その中に世界を救済するために出現したヴィシュヌの神話が表されている。ヴィシュヌは頭部が猪の姿をしたヴァラーハとして現れ、大地の象徴として肩にブーミデーヴィーが腰をかけ、大地を水中深く沈めようとしたナーガを踏みつけている。背後壁面の下半分は水中として波紋を薄く彫り、上部には功績を讃える聖者が様子を見守る。背後の薄彫りとは対象的にヴァラーハは逞しく高浮彫りされ、ストーリー性を重視した臨場感あるものになっている。
(備考)
ヴァラーハ(ヴィシュヌ野猪化身)砂岩、高340cm、インド、マディヤ・プラデーシュ州、エーラン
猪そのものの姿をしたヴィシュヌの野猪の化身像である。猪頭人身の像はインド全土に分布しているが、このような像容は中世の中部インドで好まれた形態である。
9ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<シヴァの舞踏>(エローラ石窟)
?作者
?生きた年代
エローラ石窟第21窟
シヴァの舞踏
?員数
玄武岩
?寸法
6世紀後半
マハーラーシュトラ州、 ムンバイから北東約350km
●ディスクリプション
カラチュリ朝に造営されたエローラ石窟は、第21窟が最も整備された中心的存在ある。窟内外には充実した浮彫りが多くあり、その浮彫りの中でもこのシヴァの浮彫りは代表的なものである。ヒンドゥー教の3大神であるシヴァ神は、悪魔退治や創造するために破壊殺戮を繰り返す神で、1面8臂のシヴァが舞踊の9つの型のうちの『カティサマ』を踊る像容をしており、周囲の楽隊の演奏に陶酔の表情を浮かべながら舞踏し、大きくひねられた体躯は禁欲性を感ないインドの官能的な美を追求した精神的理想が体現化されたものである。また、豪華に身につけた宝石装身具も過剰な装飾をせずに1つ1つが丹念に細工が施されている。ヒンドゥー教彫刻の傑作といわれるエレファンタ石窟の彫刻の影響を強くうけながらも単純化がすすめられ、他に比類のない軽やかな仕上がりになっている。
(備考)
エレファンタ石窟第1窟、両性具有のジヴァ、玄武岩、カラチュリ時代(6世紀中葉)
マハーラーシュトラ州
男性面と女性面を結合して創造作用を表した両性具のシヴァ神である。エローラ石窟はエレファンタ石窟と共通したところが多く、エレファンタ石窟を模範にして造営されたと考えられている。
10ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
094、<十二臂観音菩薩立像(じゅうにひかんのんぼさつりつぞう)>
?作者
十二臂観音菩薩立像
1躯
砂岩
高176cm
パーラ時代(7世紀末〜8世紀)
インド、ビハール州、ナーランダー出土
ナーランダー考古博物館
●ディスクリプション
ナーランダー大僧院は創建当時から国際的に知られていた大乗仏教の代表的寺院で、この像は1971年の発掘中に発見されたものである。周囲に女尊を配置して多臂の像容をしたヒンドゥー教的な発想の彫像で、作例がきわめて少ない十二臂菩薩である。ポスト・グプタ様式が反映され、インドの浮彫り仏像の特徴である碑像形式をしたもので、丸彫りに近い高浮彫りで仕上げた肉体表現は、充実感に富む量感があり、生き生きとした体躯をしている。首飾りや手に持たれた宝珠などの装身具類も精緻に仕上げられ肉体表現と調和したものになっている。この時代の大乗教寺院では密教が発達し、多臂像や多面像の複雑な形姿をもつ神々がうみだされた。しかし、多くは絵画で表現されており、彫刻として造像されたものは貴重なものといえる。
(備考)
四臂観音菩薩立像、石、高さ77.5cm、パーラ(10世紀)、インド、ビハール州、ナーランダー出土、ナーランダー考古博物館蔵¬¬
ほとんど直立をした四臂観音菩薩像の典型的な例である。インドの多臂観音菩薩は四臂、六臂、十二臂が造られたが、十二臂は4例ほどしか確認されていない最も少ない像である。
11ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<ドゥルガー像>
水牛の悪魔を退治するドゥルガー
砂岩
像高125cm
初期西チャールキヤ時代(8世紀前半)
インド、カルナータカ州、アイフォーレ、ドゥルガー寺南回廊
●ディスクリプション
南インドで最も重要な彫刻のある寺院として、アイフォーレのドゥルガー寺があげられる。悪魔に見立てた水牛を踏みつけ、武器を持ったすべての手をしなやかに広げ、龕の内部空間を迫力に満ちたものにしたもので、本殿・拝殿外の回廊に神像を祀るための9つの龕があり、そのうちの6つの現存する神像の1つにこのドゥルガー像がある。南インドの彫刻は、複雑で旋律的な動きをした像容を絵画的な空間構成で仕上げたことが特徴で、南インドの独自性を追求しつつも弾力感と量感豊かな像容は、北インド彫刻の量感を誇張する表現を取り入れたものといえ、この時期の南インドの彫像の新たな試みが顕著に表れたものである。南インドではシヴァ神の信奉が多く、数少ないドゥルガーの作例としても貴重なものといえる。
(備考)
ドゥルガ寺(北東より)、砂岩、初期西チャールキヤ時代(8世紀前半)、インド、カルナータカ州、アイフォーレ
ドゥルガ寺はドゥルガー女神を本尊とした寺院ではなく、この地の言葉で「ドゥルガ」を「要塞」といい、要塞のような寺院であるであることからこの名称が付けられた。
12ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<守門神(蓮華手菩薩)>(アシジャンター石窟第1窟壁画)
守門神(蓮華手菩薩)
?員数
テンペラ
約250×188cm
ヴァーカータカ時代(462〜500年頃)
インド、マハーラーシュトラ州、アジャンター石窟第1窟
●ディスクリプション
インドにおいて、寺院や石窟院の壁面に本格的な絵画が描き始められた初期の唯一の現存例として有名なものである。アジャンター石窟第1窟を守備する守門神として、仏殿前室正面に配偶女神やさまざまな動物とともに等身大を超える大きさで描かれている。黒で描き起こされた古典様式の特色もつもので、蓮華を手に持ちながら艶かしく体を屈曲させた姿勢をし、豪華な宝冠や装身具の精妙で複雑な描き込みも、隈取りとハイライトによってそれぞれを明確にさせ、主題がわかりやすく描き出されている。通常、インドにおいて菩薩は地面から生えた紅蓮華の茎を手に添えるように描かれるが、この守門神は切花を手にしていることから蓮華手菩薩はないという説もある。
(備考)
金剛手菩薩、テンペラ、約222×193cm、ヴァーカータカ時代(6世紀前半)、インド、マハーラーシュトラ州、アジャンター石窟第1窟
蓮華菩薩の対照的構図で描かれたものである。蓮華菩薩とは技法も違い、ベンガラで描き起こされ、濃い隈取りが施されていることから別人の作図と考えられている。
13ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ムガール系の細密画
?作者
?生きた年代
英雄の保護(『ハムザナーマ』の挿絵)
ムガル画
綿布に不透明水彩
67.6×51.4cm
1562〜77年頃
ロサンゼルス、カウンティ美術館蔵
●ディスクリプション
ムガール朝のアクバル時代に、画院の事業としてイスラームの英雄アミール・ハムザの伝説的な冒険を扱ったハムザナーマの挿絵のために描かれた1枚である。初期ムガール絵画のアクバル時代に描かれた絵画の根本的な特質の芽生えが見受けられるもので、イラン細密画の感覚を残ながら鮮やかな色彩を多用し、群像がひしめき合い躍動感のあふれた大胆な構図をしている。当初の計画で、ハムザナーマは1巻につき100枚の挿絵を入れた14巻の計画ですすめられたと伝えるが、現存する原本は約150枚にすぎない。当時、イランから招いた画家に宮廷画院の指揮をさせ、王朝の総力を上げておこなわれた大規模な事業で、当時の芸術の最高峰をめざして制作され、細部までの仕上げ方は目を瞠るものがある。
(備考)
図版裏面テクスト、紙にインク、67.6×51.4cm、1562〜77年、ロサンゼルス、カウンティ美術館蔵
挿絵の裏面には対応する物語が書かれた紙が貼付けられている。ハムザナーマの挿絵の下絵は1400点が残っており、ムガール絵画の創始者であるアクバルの芸術に対する熱意を察することができるものである。
14ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ラージプト絵画(ラジャスタニ絵画)
クリシュナとラーダ
?員数
綿布に不透明水彩
103.5×94cm
18世紀末
インド、ラジャスタン州、キシャンガルで制作
フィラデルフィア美術館
●ディスクリプション
ラージプトの画家が絵画化するための主題は、信仰しているヴィシュヌ神を親愛する感情や世俗的な愛情を絵画世界に表現したものが多い。多くある画派のなかでキャンガル派は画家のニハル・チャンドラが造りあげた基礎をもとにラージプト画派の中で最も独自性を発揮した。極端に湾曲した曲線を扱い誇張した鼻や顎が特徴で表情も豊かである。ムガル画の影響を受けながらも深い感性を表そうとし、背景も人々をドラマティックに演出するために神秘的な意味をもたせて描かれている。ヒンドゥー教の社会では男女の付き合い方が制限されており、社会的な抑圧により絵画の中で深い愛を表現し、抒情的な思いをヴィシュヌ神の化身であるクリシュナと牛飼いの娘ラーダに求めたものといえる。キャンガル派絵画は1943年にラホール大学のエリック・デキンソンに再評価されたもので、今後も研究が期待される。
(備考)
クリシュナとラーダ、262×152mm,1790年頃、ラジャスタン州キシャンガル、個人蔵
ラジャスタニ絵画の絵は、主にクリシュナの崇拝に対する思いが絵にされ、クリシュナとラーダを扱ったものが特に多い。キャンガル絵画は前景、中景、後景のはっきり分かれたことが特徴といえる。
15ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ラーシジプート絵画(パハリ絵画)
?作者
?生きた年代
愛し合うクリシュナとラーダー(『ギータゴーヴィンダ』の挿絵)
?員数
紙に不透明水彩
15.4×11.9cm
1755〜80年頃
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、グラーで制作
チューリヒ、リートベルク美術館
● ディスクリプション
パンジャーブやヒマーチャル・プラデッシュ山岳地帯のヒマラヤ地方の諸王国で栄えた画をパハリ画と総称されている。パハリ画の起源は不明な点が多いが、18世紀後半にヒンドゥー教の宮廷に雇われた画家たちが、ムガル画の巧みな描画とラージプート画の抒情性を調和させて、主にヒンドゥー教の神々を讃えた写本の挿絵を描いていたと考えられている。クリシュナと牛飼いの娘ラーダーとの熱烈な恋は好んで扱われたもので、諸画派の中で、とりわけグラー派が盛んに描いた主題である。ヒンドゥー教社会の厳格な男女のモラルとは反対に、絵画の中では神に捧げる愛は精神の浄化とし、絶対的な精霊と通じあえる時間とされた。パハリ画の魅力は理想化された優美な女性を絵画で表し、詩情とロマンに満ちた世界が広がることである。その様式はさまざまな画派を派生させ、インド絵画に大きな影響を与えた。
(備考)
クリシュナを探し求める牛飼い女たち(『バーガヴァタ・プラーナ』)の挿絵)
紙に不透明水彩、1780年頃、インド、パンジャーブ州で制作、ワシントンフリア美術館蔵
パハリ画はクリシュナを主題にしたものが多く扱われている。牧歌的な風景に、クリシュナを探し求めた牛飼いの娘たちが、理想化された優美な姿で描かれている。
16ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<安岳3号墳壁画>
?作者
?生きた年代
安岳3号墳壁画
墓主図、婦人像図
?員数
壁画
南北33m、東西30m、高さ6m
玄室約3.0×3.6m
高句麗、永和13年頃、357年頃
?出土
黄海南道安岳群五菊里
●ディスクリプション
中国前燕の武将であった冬寿の墳墓と推定されているものである。石を積んで造られた半地下の内部は複数の部屋に別れており、その各墓室の1枚の板石でできた壁に壁画が描かれ、墓室とは思えないの華麗な世界が広がる。墓主を中心に、墓主夫人や官人、相撲図、音楽を演奏する者など、変化に富んだ多くの人々が描かれている。それぞれの絵の描画は、筆致により複数の画人が担当したということがわかっており、なかでも墓主と夫人は技量の高いものが担当している。墓主は面貌を的確に描写しようとする姿勢が感じられるもので、衣服は段暈によって立体感を意識しており、複数の描画法を組み合わせて無駄のない的確な描き込みがされている。墨書銘によって制作時期がわかるもので、この時代に墓主が描かれていことは、高句麗ばかりでなく東アジアにおける肖像画の一例として重要なものである。
(備考)
安岳3号墳外観
三国時代は大型の墳丘墓が盛んに造られた時期で、安岳3号墳は初期の代表例として名高いものである。現在では円形をしているが、本来は上部が切り取られた四角錐であったと考えられている。
17ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<四神図>(江西大墓壁画)
江西大墓(こうせいたいぼ)
四神図
?員数
壁画
?寸法
高句麗(7世紀)
?出土
平安南道南浦市江西区域墓里
●ディスクリプション
玄室の壁面に埋葬者の四方を囲うように描かれたもので、良質な花崗岩の巨材を平滑に研き出したものに薄く白土を塗り、北壁に玄武、東に青龍、西に白虎、南の左右両面に1対の朱雀が描かれている。四神は中国で創造された土地の四方を守る神である。当時、文化の先進地と考えられていた中国思想を高句麗の文化に取り入れ、墓主を守るために描かれたものである。鋭い線描によってのびやかに図像を描き出し、立体感を意識し、明度の高い顔料を主に濃淡のある暈かしを用いて描き出されたもので、高句麗壁画の最高水準に達した代表的な壁画といえる。また、四神図は中国から朝鮮半島をへて、日本の高松塚古墳やキトラ古墳にまで系譜はつらなっていき、文化交流があったことを伝えるものとして貴重な資料でもある。
(備考)
高松塚古墳壁画、694年〜710年頃、奈良県、文部科学省管轄
藤原京時代に造営されたと推定されており、日本で古くから大陸との交流があったことを示したものである。
18ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
105、高麗青磁(こうらいせいじ)の作例
重要文化財
青磁陽刻蓮唐草文浄瓶(せいじようこくはすからくさもんじょうへい)
1口
青磁
高36.7cm 底径8.9cm
高麗(12世紀前半)
東京都、根津美術館蔵
●ディスクリプション
朝鮮半島の工芸品の中で高麗青磁は世界的に評価が高く、この浄瓶は12世紀前半の高麗青磁の特質が現れ始めた時期に造られたものである。清澄な印象をあたえる翡色といわれる高麗独自の澄んだ青緑をおびた釉薬で仕上げられ、胴の中央部には蓮の花と葉、肩には唐草文と如意頭文、頚部には雲文、環台の上には陰刻蓮弁文、注口部には菊花文、底部には陰刻雷文と唐草文を配し、8つの区画された文様帯は雑然とせずに整然と配置されている。他の浄瓶は緊張感のあるものが多いが、この浄瓶は全体に多くの文様を無理なく刻み、優美な印象を受ける造りになっている。朝鮮の陶磁は隣国の中国とも深い関わりがあるが、中国を真似るのではなく技術的な部分を踏襲し、高麗的美観のあふれた独自の艶麗な造りを求めたものといえる。
(備考)
青磁象嵌金彩牡丹文鉢、高6.6cm口径19.7cm、高麗13世紀、ソウル、国立中央博物館蔵
1度素焼きしたものに文様を彫り、その部分に別の土を埋め込んで再び焼かれたもので、高麗陶磁独自の象嵌技法で仕上げられたものである。高麗は世界の陶器の中でも高度な技術を持っていた。
19ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<阿弥陀如来坐像>(根津美術館)
重要文化財
阿弥陀如来坐像
1幅
絹本着色
162.5×91.7cm
高麗(大徳10年=1306)
東京都、根津美術館蔵
● ディスクリプション
説法印を結ぶ阿弥陀如来である。高麗仏画に共通した金泥と赤と緑の彩色による精緻な文様の朱衣で、堂々と威厳にみちた姿で蓮華座に結跏趺坐している。肉身部は暈をほとんどつけず、表に地塗した黄土の彩色は裏彩色によって淡い色彩効果的が表れている。精緻な描写は形態が的確に描き込まれ、形式化せずに自然な表現になっている。画家の名は不明であるが、王室所属の優れた宮廷画家のよるものだと考えられ、高麗宮廷画の水準の高さを示す名品である。下方左右に書かれた銘文は、制作年代との元との政治関係が示されたものである。元の大都に滞在中の高麗忠烈王が無事に帰還を願って描かれたもので、当時の高麗の国情も知ることができる歴史的な点から考察しても重要な資料といえるものである。
(備考)
重要文化財
阿弥陀如来立像、絹本著色、203.5×105.1cm、高句麗時代(1286年)、日本銀行、 東京国立博物館委託蔵
高麗時代は阿弥陀信仰が盛んであった。高麗仏画の代表的なもので、高麗在銘仏画中で最古の銘文が記されたものである。
20ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
徐九方(じょきゅうほう)
水月観音像
?員数
絹本着色
165.5×101.5cm
高麗(至治3年=1323)
京都府、泉屋博古館蔵
●ディスクリプション
高麗宮廷直属の絵師である徐九方の仏画で、高麗仏画のなかで現存作例がもっとも多いものが水月観音である。日本では楊柳観音の名で知られた諸病を除くことを本願とする観音の像で、岩に草を敷いて右足を左膝に載せた半跏趺坐で坐り、右手前方には粋便に楊柳を挿した水瓶を置き、右手の差し伸べた先には善財童子が観音を礼拝する。細い朱線や金泥の円花文を描きい入れて緻密な彩色技法と華麗な表現で、全体の細部まで気を配って入念に仕上げられた繊細緻密な描画は感嘆するものがある。濃淡による立体表現と柔らかな姿態は、宮廷様式の特徴が顕著に表れたもので高麗仏画の代表的な作品といえる。現存する高麗の美術品は青磁や漆器などの工芸品が多く、絵画は戦乱と仏教弾圧を被り、伝来する作品が少なく貴重なものといえる。
(備考)
五百羅漢図、絹本墨画淡彩、59.7×41.5cm、高麗時代(1235年)、東京国立博物館蔵
現存する高麗仏画の中で、この五百羅漢図は制作時期の知られた最古を誇るものである。また高麗仏画のなかでも淡彩画は珍しく貴重な作品といえる。
21ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その他、日本にある高麗仏画から選択可ー大徳寺ー楊柳観音
重要文化財
?作者
?生きた年代
楊柳観音半跏像
?員数
絹本着色
227.9×125.8cm
高麗(14世紀初期)
京都府、大徳寺蔵
●ディスクリプション
岩窟に左向きに半跏で坐し、高麗仏画の代表的な構図をしたものである。高麗仏画の緻密で優れた装飾性を有した作例ではあるが、右上の花枝をくわえる青い鳥や、観音の足下に描かれた俗形男女と鬼形人物が描きくわえられた珍しい図をしているものである。青い鳥は、聖窟において至心帰命の人に観音示現を告げるもとして民間信仰に伝承したもので、『三国遺事』3巻に記載された新羅の僧義湘が聖窟にこもった説話を視覚化したものと考えられている。また、画面の大きさは佐賀県鏡神社に伝わるものにつぐ大きさで、類例があまりない。高麗の仏画は、中国の宋元の影響を受けながら緻密な表現をしたものであるが、後期のものは元の宮廷で信仰されていたラマ教絵画の影響が強く、絵画表現も政治的背景の影響を受けて様式も変化していったといえる。
(備考)
楊柳観音半跏像、絹本著色、419.5×254.2cm、高麗時代(1310年)、佐賀県,鏡神社像
現存する高麗仏画では最大を誇るものである。高麗時代の観音像は向かって左向きのものが多く、通例とは反対になるもので珍しい観音像である。
22ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<青花白磁梅竹文壷>(大阪市東洋陶磁美術館)
?作者
?生きた年代
青花白磁梅竹文壷(せいかうめたけもんつぼ)
?員数
陶磁
高さ 35.6cm胴経 33.5cm
朝鮮時代 15世紀後半
?出土
大阪市東洋陶磁美術館蔵
●ディスクリプション
口の部分は玉縁風に短くひねり返され、強く張った肩から胴裾に向かって弧を描くように緩やかに引き締しめられている。朝鮮陶磁器は中国の影響を受け造られたが、中国明初期の壷にはこのような形は造られておらず、李朝で創始されたものと考えられている。側面には儒教が好んだ歳寒二友図の梅と竹が描かれているが、李朝初期の類例の少ない青花白磁である。当時の朝鮮宮中で使われる御器は白磁を使うことが定められ、積極的に青花は使用されていなかったが、明使によって朝鮮にもたらされた中国景徳鎮の青花が、15世紀の中頃から支配者層に受け入れられ、国をあげて青花が作られるようになった。また、朝鮮王朝では青花の絵付けは宮中の画師が窯場に出向いておこない、絵画性のある質の高い壷が制作された。15世紀中頃から後半にかけての遺品も少ないことから、重要な朝鮮初期青花を代表する壷である。
(備考)
白磁青花宝相華唐草文壷(せいじせいかほうげからくさもんつぼ)、高18.0cm、
胴径16.8cm、朝鮮(15世紀前半)収蔵?
15世紀前期の文様は、このような蓮弁帯文など中国で好まれたものが描かれていたが、徐々に朝鮮特有の絵付けになっていった。
23ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<大井戸茶碗(銘喜左衛門)>(京都大徳寺孤篷庵(こほうあん)
?作者
?生きた年代
大井戸茶碗(銘喜左衛門)(おおいどちゃわん きざえもん)
?員数
陶器
高さ8.9cm 口径15.4cm 高台径5.5cm
朝鮮(15〜16世紀)
?出土
京都大徳寺孤篷庵(こほうあん)
● ディスクリプション
井戸茶碗は、朝鮮の李朝前期に民衆の器として各地で作られた高麗茶碗である。精緻な文様も描かれず、濃い枇杷色をした釉がかけられ、高台とその周辺には荒々しい釉のちぢれが生じている。日本では室町時代から茶人が愛用した井戸茶碗を代表するものとして広く知られるもので、素朴で大らかな野趣が詫び茶の茶碗として好まれ、天正年間から賞玩されはじめた。井戸茶碗には小井戸、青井戸、小貫入と分けられているが釉調や作行きに大きな違いはなく、井戸という名称も井戸をのぞくような趣があるので名付けられたという説がある。この茶碗は多くの茶人を巡って所持されたが、所持したものは腫物を病むという伝えがあり、最後に所持した松平不昧が伝え通りに病んだことから孤篷庵に寄進された。
(備考)
小井戸茶碗 銘老僧、高さ8.4cm口径14.4〜14.9cm高台径6.5cm、朝鮮(15〜16世紀)、大阪府、藤田美術館蔵
古田織部が所持していたと伝えるものである。小井戸は古井戸とも書かれるが、作行きはさまざまで、大井戸に対して小振りなものであったからと伝わる。
24ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
安堅(あんぎょん)<夢遊桃源図>(奈良・天理大学付属図書館)
重要文化財
安堅(あんぎょん)
?生きた年代
夢遊桃源図
?員数
絹本淡彩
38.7×106.5cm
朝鮮王朝1447年
奈良、天理大学付属図書館蔵
●ディスクリプション
朝鮮王朝時代は、文人や士大夫が描いた文人画と図画署に所属した画院者によって山水画や風俗画が制作された。そのなかでも安堅は、画院の朝鮮山水画の祖として重要視された人物である。この図は、文芸指導者である王室の安平大君が夢で見た桃源郷の風景を安堅に描かせたもので、実景がない理想の風景である。墨で描かれた険しい山々に囲まれた中にある鮮やかな桃の花が目を引くもので、山水画にみられる点景人物の描き込みをせず、夢中であることを感じさせている。しかし、実景の朝鮮の風土を感じさ、空想の世界とが交錯した無限の広がりがあり、安堅の画力を発揮した画面を実現している。安堅の初期の作品では、中国北宋絵画の郭煕の水墨山水画の影響をうけた画風であったが、のちに朝鮮独自の水墨画へと発展していった。
(備考)
伝李上佐、松下歩月図、197×82.2cm、絹本淡彩、1468年〜?、ソウル特別市、国立中央博物館蔵
李上佐も画院の山水画家として活躍した人物である。同時代の北・南宗の院体画の影響を受けた作品は、1592年の文禄の役の際にほとんど失われてしまい、現在まで伝わるものが少なく貴重なものである。
25ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鄭敾(ぜいてん)
1676〜1759年
仁王霽色図(じんおうせいしょくず)
?員数
絹本水墨
38.7×106.5cm
1751年
京畿道、湖厳美術館蔵
●ディスクリプション
鄭 は中国南宋画の山水画を学んで、風景画を得意とした朝鮮王朝後期を代表する画家である。鄭 は朝鮮の山川の風景を好み、朝鮮各地を旅して自国の半島の写生をしてまわり『真景山水』を求めた。晩年には仁王山麓で過ごして朝鮮半島の風土に即した画風を求めたが、実景の写実にとどまらない理想を宿した清新な画風を確立した。画面に描かれた岩や川の筆致は、垂直線を繰り返し描かれた特徴のある皴法で、朝鮮的な山水画の世界を創りだし、中国の山水画とは異なる朝鮮独自の画風を築いた。従来の朝鮮山水画を変えて、革命的な鄭 の影響は後世の多くの画家に及ぼし、18世紀から19世紀中頃までは朝鮮絵画史のなかで最も重要な時期であり、この鄭 の作品は彼の代表作である以上に、朝鮮山水画のなかでも優れた名品といえる。
(備考)
姜熙彦筆、仁王山図、紙本淡彩、24.6×42.6cm、1710〜64年、収蔵?¬
姜熙彦も西欧の遠近法と写実技法を連想させる作品を描いた人物である。仁王山の稜線にソウル城郭が描かれたもので、鄭 の真景山水画は多くの人物に影響を与えた。
26ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<半跏思惟菩薩像>(国立中央博物館、韓国国宝83号)
韓国国宝83号
?作者
?生きた年代
半跏思惟菩薩像
?員数
銅造鍍金
高さ 93.5cm
百済(7世紀初)
?出土
韓国国立中央博物館蔵
●ディスクリプション
新羅の半跏思惟菩薩像の代表作例として、国宝78号とともにこの83号の金銅があげられる。左足の膝にのせた右足に左手を添えて、右手は頬に寄せて思索する姿をしている。薄らと微笑みを浮かべた姿は全体に流麗な印象を与え、1mも満たない像ではあるが悠然とした雰囲気が漂う。この像の制作地には百済と新羅の2説がある。新羅の仏像は、6〜7世紀に造られた彫刻と鋳造は粗雑で拙いものが多いが、百済では6世紀頃に東北アジアで最も洗練された芸術が開花した時期であり、百済の説が有力とされている。この像は、日本においても京都広隆寺の木造半跏思惟菩薩像との造形の類似が指摘され、研究には欠かせない作例として注目されており、朝鮮と日本との文化交流があったことを今に伝えるものである。
(備考)
半跏思惟像、銅造鍍金、像高83.2cm、高句麗(6世紀後半)、韓国国立中央博物館蔵
金銅造思惟半跏像は三国時代に流行したもので、新羅の半跏思惟菩薩像の代表的な作例の一つである。韓国では国宝の78号に指定されている。
27ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<仏坐像>石窟庵
韓国国宝24号
?作者
?生きた年代
如来坐像
?員数
石造
像高345cm
統一新羅時代(751〜775年頃)
?出土
慶尚北道慶州
●ディスクリプション
石窟庵は、新羅の宰相を務めた金大城が父母のために建立した仏国寺と共に造られたもので、現在でも新羅時代の建築と彫刻がそのまま残る唯一の場所である。本尊の石仏は主室の要として八角の台座に降魔触地印を結んで堂々と坐している。インドのグプタ様式の影響を受けたもので、豊満な胴体に法衣を柔らかく被い、写実と理想主義の様式が反映された流麗で優れたものとなっている。また、石窟庵では理想的な空間構成をめざし、本尊の大きさを基準にして幾何学を使った尺度の基本単位があることが知られている。このことは、新羅には高度に発達した設計力と優れた建築工法があったことを物語る。石窟庵は朝鮮仏教美術で最も優れたものとして上げられるが、世界美術史上としても偉大な石仏彫刻として名声を誇るものである。
(備考)
石窟庵石窟前室、統一新羅時代(8世紀)慶尚北道慶州
前室は1962年に復元されたものである。新羅ではインドや中国のように岩山を穿つことをせずに、石材を組み合わせて人工の龕を造った。
28ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<毘廬遮那仏坐像>(桐華寺(トンファサ)毘廬庵)
?作者
?生きた年代
毘廬遮那仏坐像(びるしゃなぶつざぞう)
?員数
花崗岩
像高 129.0cm
統一新羅時代(863年頃)
?出土
慶尚北道大邸市、桐華寺毘廬庵
●ディスクリプション
統一新羅後期の新しい禅宗仏教国家の始まりを象徴するもので、8世紀中ごろから阿弥陀仏に変わって、華厳宗の本尊となる毘盧遮那仏が主流となり多くの寺院が建立された。新しい宗教思想に基づき仏像が像造された中でも、この盧舎那仏は慶尚北道中の北部地域にしか見ることのできない新しい様式を取り入れたものでもある。密教の金剛界大日如来の智拳印を結んだものを取り入れ、下半身の法衣形式、光背の化仏表現、そして台座にも七頭の獅子や突起した下請座など、特殊なところが随所にみられるものである。新たに変化が試みられたことは、新羅後期の他の石仏にも共通したことではあるが、彫刻技法においても洗礼されておらず規模も小さくなっている。9世紀以降の石仏にも新しい様式は継承されていったが、残念ながら形式化が進み量感表現や造形性が後退していくことになった。
(備考)
毘盧遮那仏坐像 花崗岩、像高103.5cm、統一新羅、766年頃、慶尚南道山清郡石南巌寺出土、韓国、山清郡内院寺蔵
法勝•法縁の二僧が故豆温哀郎のために奉安したもので、韓国に現存する最古の石像毘盧遮那仏像である。9世紀以降は盛んに造像されるようになった。
29ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<バーミヤーンの大仏>西大仏または東大仏
?作者
?生きた年代
バーミヤーン西大仏
?員数
?素材
西大仏 55m
4世紀〜5世紀
?出土
アフガニスタン、バーミヤーン
●ディスクリプション
ヒンドゥークシュ山中南側の1300mの切り立つ岩壁に、約700窟の石窟が築かれたなかにこの西大仏がある。頭部と両手を欠損しているがおそらく別造で造られたためで、右手は施無畏印、左手は衣の一端をとって、かつては金色に塗られていたとが推定されている。東方にある東大仏が釈迦とし当世世界を表し、この西方は成道した来世の弥勒仏として像造されたと考えられている。衣紋の表現は体に密着して稚拙な表現ではあるが、巨大な身体に規則正しく入念に造り込まれており、像造の技量はこの西仏の方が優れたものといえる。このような巨大な仏像はインドには見られなく、仏教文化圏の周辺地域に造られたものが多くあり、辺境であるという意識から抜け出そうとする負の潜在意識から造られたのではないかと仮説がたてられている。
(備考)
バーミヤン遺跡全景、アフガニスタン中部
東大仏と西大仏の中間あたりにH洞と名づけられた3番目に大きい仏龕がある。バーミヤン石窟は、仏塔のある東方から西に向かって開鑿されたと推測されている。
30ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<シーギリヤの壁画>
?作者
?生きた年代
天女図(シーギリヤの壁画)
?員数
テンペラ
?寸法
アヌラーダプラ時代(5世紀後半〜末頃)
?出土
シーギリヤ
●ディスクリプション
カッサパ1世が政変によりシーギリヤに城塞を築いた時に描かれたと伝わるものである。このような作業のしにくい断崖に描かれた由来は現在も明確な解釈はないが、シーギリヤロックの頂上の宮殿に住む王を神格化して、神に献花する天女として描かれたと推察されている。テンペラ技法で描かれた優美な天女たちは、漆喰を下地に、ベンガラ・黄土・緑土・煤を利用した4色で描かれ、肌の色には違いがあり、身分によって塗り分けられているのではないかと考えられている。同じ5世紀末に描かれたインドのアジャンター石窟の形式化された図様と比較すると、表情や姿勢は自然主義的に描かれシーギリヤ特有の技法で描かれている。しかし肌に変化をつけることはアジャンター石窟において早くから行われており、肉体の隈取法もインドが起源で、南インドの形姿表現に影響を受けた可能性が高い。
(備考)
守門神(蓮華手菩薩)、?員数、テンペラ、約250×188cm 、ヴァーカータカ時代(462〜500年頃)、インド、マハーラーシュトラ州、アジャンター石窟第1窟
地理的な近さからスリランカとインドは活発な交流があったと考えられる。この図も位階的な表現で菩薩が強調されて描かれている。
31ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<ボロブドール>
?作者
?生きた年代
ボロブドール
?員数
安山岩
1200×1200cm高さ 約42m
8世紀後半〜9世紀初
?出土
インドネシア、ジャワ島
●ディスクリプション
世界最大の仏教建築で、世界でも類がない異風な形態をした独特の様式をしている。上空から見ると密教の世界観を示した曼荼羅図のような建築で、もともとあった丘の上に造られたもので、120m四方の2重基壇の上に、5層の方形壇、3層の円形段があり、頂上の中心に仏塔が造られたもので、各層の回廊の全面には安山岩によって1460面にもおよぶ浮彫を施した建築形態をしている。その浮彫りは仏教の世界観を示した説話図で、インドのグプタ朝後期の彫刻様式を受継ぎ、形態の把握が的確に彫られた穏やかで丸みのある典雅な表現がなされている。また、総数504体の仏像があり、小塔の仏龕にある仏坐像は密教に影響された印相を組んでいる。造営年代は確証がないが、シャイレーンドラ王朝に造営されたと推測されており、インドネシア美術の古典期を代表するものである。
(備考)
ボロブドゥール正面、断面図
基壇を含めると9層あるボロブドゥールは、通常の建造物のような内部空間はない。1814年にイギリス人のラッフルズに発見されるまでは密林に覆われていた。
32ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アンコールワット
?作者
?生きた年代
アンコールワット
?員数
砂岩とラテライト(紅土)
東西 約1500m
南北 約1300m
中心塔高 65m
1113年〜1145年頃
?出土
カンボジア、シェムリアップ州北方約6km
● ディスクリプション
アンコール朝の第18代王スールヤヴァルマン2世によって、ヴィシュヌ神の寺院として創建されたヒンドゥー教寺院で、ヒンドゥー教の宇宙観をこの世に具現化したものと考えられてる。国王は没後にヴィシュヌ神と合体して神になると考えられ、のちに墳墓となった。単一の宗教建築としては世界最大級を誇るもので、視覚的な表現が重要視された造りになっており、回廊の配置によって1つの大きな建築物のようにみせる工夫がされ、また完璧な左右対称が追求されている。寺院全体には神話や伝説の華麗な浮彫りが施され、1700体以上にも及ぶ女神像があり、優れた測量技師と彫刻士が存在したことを察することができるクメール美術でも最高傑作といえるものである。約30年間にも及ぶ歳月をかけて建築されたことがわかっており、アンコール朝最盛期の王の権威を示していた大建築物であった。
(備考)
アンコールトム(中心寺院)、サテライト、1辺3km、12世紀末、カンボジア、シェムリアップ州北方約6km
アンコールワットの北に位置したアンコールトムは、ジャヤバルマン7世によって建てられた都城で、一辺約3,000mの城壁に囲まれた敷地内に宮殿やバイヨンなどの建物が配置されている。この時代は大乗仏教が盛んになっており仏教寺院として建てられたと考えられている。
参考文献リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)《ライオン柱頭》(アショーカ王柱柱頭)
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・山崎偪著『デザイン発見—インドの石』京都書院、1988年9月21日
(2)バールフット浮彫(インド美術館)※《仏伝:祇園布施》
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館、2000年6月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(3)バージャー石窟浮彫※《スーリヤとインドラ(?)》
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(4)ガンダーラ彫刻より:仏立像※《菩薩立像》(フランス国立ギメ東洋美術館蔵)
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・ 田辺勝美、前田耕筰編集『世界美術全集 東洋編 第15巻 中央アジア』小学館1999年3月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(5)ガンダーラ彫刻より:《苦行釈迦像》
・ 田辺勝美、前田耕筰編集『世界美術全集 東洋編 第15巻 中央アジア』小学館
1999年3月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(6)マトゥラー彫刻より:《観音菩薩半跏思惟像》(マトゥラー出土、クロ ノス・コレクション)
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館、2000年6月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
(7)《仏坐像》(サールナート出土、サールナート考古博物館)
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・山崎偪著『デザイン発見—インドの石』京都書院、1988年9月21日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(8)《ヴィシュヌ野猪化身》(ウダヤギリ第5窟)
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・佐藤宗太郎著「エローラ石窟寺」佐鳥出版、1977年8月25日
(9)《シヴァの舞踏》(エローラ石窟)
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・佐藤宗太郎著「エローラ石窟寺」佐鳥出版、1977年8月25日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・山崎偪著『デザイン発見—インドの石』京都書院、1988年9月21日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・高田修、上野照夫著『インド美術全2巻』日本経済新聞社、昭和40年11月20日
(10)《十二臂観音菩薩立像》
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(11)《ドゥルガー像》
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
(12)《守門神(蓮華手菩薩)》(アジャンター石窟第1窟壁画)
・肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第13巻 インド(1)』小学館2000年6月20日
・山崎偪著『デザイン発見—インドの石』京都書院、1988年9月21日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
(13)ムガール系の細密画 英雄の保護《『ハムザナーマ』の挿絵》(カウンティ美術館)
・畠中光享著『インド宮廷画』京都書院、1944年2月25日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館 1999年1月10日
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・サイト『ヴィクトリア&アルバート美術館』2010年4月6日検索 http://www.vam.ac.uk/
(14)ラージプト絵画(ラジャスタニ絵画)《クリシュナとラーダ》(フィラデルフィア美術館)
・畠中光享著『インド宮廷画』京都書院、1944年2月25日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
(15)ラージプト絵画(パハリ絵画)《愛し合うクリシュナとラーダー》(リートベルク美術館)
・畠中光享著『インド宮廷画』京都書院、1944年2月25日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
・高田修、上野照夫著『インド美術全2巻』日本経済新聞社、昭和40年11月20日
(16)《安岳3号墳壁画》
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館、1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(17)《四神図》(江西大墓壁画)
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・青柳正規、東野治之他著『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
(18)高麗青磁の作例※《青磁陽刻蓮唐草文浄瓶》(根津美術館蔵)
・菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・サイト『根津美術館』2010年1月5日検索http://www.nezu-muse.or.jp/index.html
(19)《阿弥陀如来坐像》(根津美術館)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
(20)徐九方《水月観音像》(泉屋博古館)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
(21)その他、日本にある高麗仏画から選択可《楊柳観音》(大徳寺)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
(22)《青花白磁梅竹文壷》(大阪市東洋陶磁美術館)
・菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第11巻 朝鮮王朝』小学館 2001年12月1日
・屋秦弘編集『韓国美術3 李朝美術』講談社、1987年4月27日
・サイト『大阪市立東洋陶磁美術館HP』2010年1月4日検索 http://www.moco.or.jp/products/product.php
(23)《大井戸茶碗(銘 喜左衛門)》(京都・大徳寺孤篷庵)
・菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第11巻 朝鮮王朝』小学館2001年12月1日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・大本山大徳寺発行『京都・紫野 大本山大徳寺』平成20年10月
(24)安堅《夢遊桃源図》(奈良・天理大学付属図書館)
・屋秦弘編集『韓国美術3 李朝美術』講談社、1987年4月27日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(25)鄭敾《仁王霽色図》(湖厳美術館)
・屋秦弘編集『韓国美術3 李朝美術』講談社、1987年4月27日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(26)《半跏思惟菩薩像》(国立中央博物館、韓国国宝83号)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(27)《仏坐像》(石窟庵)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・青柳正規、東野治之他著『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・黄壽永編集、大西修也訳『石窟庵』河出書房新社、1991年1月25日
(28)《毘廬舎那仏坐像》(桐華寺毘廬庵)
・秦弘燮編集『韓国美術2 新羅・高麗美術』講談社、1987年1月26日
・青柳正規、東野治之他著『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日
・ 菊竹淳一、吉田宏志編『世界美術全集 東洋編 第10巻 高句麗・百済・新羅・高麗』小学館1998年7月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(29)《バーミヤーンの大仏》西大仏
・ 田辺勝美、前田耕筰編集『世界美術全集 東洋編 第15巻 中央アジア』小学館 1999年3月20日
・吉良文男著『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年4月20日
・青柳正規、東野治之他著『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
(30)《シーギリヤの壁画》
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・ 肥塚隆、宮治昭編集『世界美術全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館1999年1月10日
・ ヴィディア・デヘージア著(宮治明、平岡三保子訳)『岩波 世界の美術 インド美術』岩波書店、2007年5月16日
・山本智教著『インド美術史大観[本文編]』毎日新聞社、平成2年12月10日
・山本智教著『インド美術史大観[写真編]』毎日新聞社、平成2年12月10日
・サイト『ユネスコ』HP 2010年5月6日検索http://whc.unesco.org/en/list/202/gallery/
(31)《ボロブドール》
・田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』、ナツメ出版社、2007年5月10日
・田枝幹宏、伊東照司著『とんぼの本 ボロブドール遺跡めぐり』新潮社1997年4月30日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・吉村作治著『東南アジアの華 アンコール・ボロブドゥール』平凡社。1999年12月8日
(32)《アンコール・ワット》
・吉村作治著『東南アジアの華 アンコール・ボロブドゥール』平凡社。1999年12月8日
・ 岸田順一監修『すぐわかる東洋の美術 絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術』東京美術、平成15年11月20日
・田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』、ナツメ出版社、2007年5月10日
・前田耕作監修『カラー版東洋美術史』美術出版社、2008年7月5日
・藤岡通夫、恒成一訓著『アンコール•ワット』毎日新聞社、昭和45年11月30日
・サイト「カンボジア政府観光局」2010年4月29日検索 http://www.angkorholiday.org/