(再掲載)

核廃絶に向けた法律構成を探る:『核不拡散から核廃絶へ:軍縮国際法において信義誠実の義務とは何か』

 第2次世界大戦後の日本において、核廃絶運動は憲法9条を守る運動とともに平和運動を推進する主要な役割を果たしてきたといえる。この両者の関係については、日本国憲法が広島・長崎への原爆投下以降に制定されたことと無縁ではあるまい。原爆投下とその惨状が戦後日本の原体験となり、両者の補完的関係を形作ったことは平和問題に取り組む多くの識者によって指摘されている。実際に、核廃絶への取り組みは市民運動レベルのみではなく、政府・自治体によってもなされてきた平和憲法の理念を正しく実践する営みとして理解できよう。

 他方において、このような土壌がありながら核兵器を廃絶に導くための具体的条件が法的見地から議論されることは少ない印象を受ける。私がメラフ・ダータン他著『地球の生き残り―解説・モデル核兵器条約』(日本評論社、2008年)の訳出作業に携わる機会を得た際に念頭にあったのは、核廃絶に関する論争の法的側面について最先端の知見を日本の読者に提供し、現状の分析のみではなく、核廃絶に向けた法的条件ないしは法律構成について、その具体的な根拠も含め精査していく作業の一助になればという思いであった。その先には、核廃絶にかかわる規範内容に対して、日本独自の立場(それは戦後一貫して平和憲法を維持してきた立場であり、実際に核爆発による被害を受けた被爆者の立場でもある)から日本のみがなし得る主張を展開し、広い意味で国際的な法規範に平和憲法の理念を取り入れていく過程にも連なっていくのである。 

 ここで紹介する『核不拡散から核廃絶へ―軍縮国際法において信義誠実の義務とは何か』(浦田賢治編著、日本評論社より2010年4月25日に刊行)もまた、このような過程の一部を担うことになると思われる。以下、全4部で構成される本書のうち、主要部分である第1部から第3部までの内容を簡潔に跡づけてみよう

 第1部では2010年5月3日よりニューヨークの国連本部で開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた課題と「核兵器全廃条約」に向けた交渉の必要性について、編著者による論考2編を含め幅広い視野からの論点が提起される。再検討会議においては、核軍縮の新たな原則と目標、さらには、その行動計画について合意されることが期待されており、実際にオバマ米大統領によるプラハ演説以降の政治過程からしても、特に核不拡散と数量的な核軍縮にかかわる合意については相当の進展があると考えられる。これに対し、第1部の各論考では、このような期待に警鐘を鳴らし、NPTの枠内に止まる合意は核廃絶に直接つながるものではないとして、むしろ核兵器全廃条約の締結交渉に向けた政治過程を生み出す契機となるのかが再検討会議を評価する上で重要であるという視点が示されている。 

 翻って、第2部は「核兵器の全面的廃絶に導く誠実な交渉」と題され、国際反核法律家協会(IALANA)とハーバード・ロー・スクール人権プログラムとの間でなされた共同プロジェクトの報告書(法的覚書)が訳出されている。 

 IALANAという団体とその活動内容については別途説明が必要だろう。IALANAは1988年に設立された国際NGOであり、IALANAが中心となって行われた核兵器の違法性に関して国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を求める国際的な運動は、これに賛同する国連加盟国を動かし、実際に1996年の勧告的意見を導き出すことに成功した。勧告的意見では、核軍縮交渉につき誠実に遂行しかつ完結させる義務があると判示されており、このICJの判断を受けて、IALANAは国際NGOのネットワークと連携して「モデル核兵器条約」を起草し、核軍縮交渉の参考に供するために各国へと普及する活動を展開した(なお、この条約案は1997年に国連文書として登録され国連加盟国に配布された)。

 ところで、現在のところ核軍縮を義務づける確固たる国際法上の根拠はNPT6条のみであるといえるが、6条は核兵器国に対し核軍縮交渉を誠実に行うことを義務づけている一方で、具体的な履行方法を明文化していないことから、その内容をめぐって核兵器国と非核兵器国との間で論争が繰り広げられてきた。これに対し、IALANAは、この誠実な交渉義務の内容に関して新たな法的指針を得るべく、ICJの勧告的意見を再度求める運動を開始することを検討しており、本報告書の見解は、その理論的バックボーンを示すものとなっている。報告書は、ICJの勧告的意見が出された背景、その内容、現在のNPTの状況等を検討し、6条の核軍縮義務を単なる交渉の義務を超えた行動の義務であると位置づけた上で、ICJに質すべき法律問題を提示しており、核廃絶の法律構成を模索する者にとって参考になるだろう。

 第3部は2009年にドイツで出版された『核軍縮の法的義務』という論集の翻訳であり、専門背景が異なる4人の論者によって、誠実な交渉義務の内容が議論される。この点で、第2部と第3部は同様のテーマ、つまり軍縮国際法における信義誠実の義務を明らかにすることを主題として扱うものであって、これは第1部で展開される主張の基礎となるものでもある。ここで述べられる内容は、たとえば国際人権法の観点から誠実な交渉義務の内容を主張するもの(ベノウネ論文)であり、またNPTは核軍縮交渉の遂行のみを義務づけているという(通説的な)法解釈とは異なる手法として、「文脈的な」アプローチを提示するもの(シェファ論文)もある。

 その中でも、モハメド・ベジャウィによる論文「国際法、信義誠実、そして核兵器の廃絶」は特に注目すべきものである。ベジャウィは、ICJが上記勧告的意見を出した際の裁判所長であり、退任後、ハーグ国際法アカデミーにおいて核兵器問題を含めた国際法の講義を行った。本論文はこれを基礎としたものであり、勧告的意見を出した際のベジャウィの見解を知ることのみならず、それ自体、一定の学術的価値を含んでいる。ベジャウィ論文は、誠実な交渉義務一般に関して国際判例を基礎にその内容を確定した上で、国連での核軍縮の実行およびNPT6条の起草過程等からNPTにおける特殊事情を抽出し、NPTにおいての誠実な交渉義務を結果の義務と実施・方法の義務という観点から捉えて自己の見解を導いており、方法論の観点からも説得力を有するものである。なお、ベジャウィの見解に対する国際法学上の問題点は本書の「解題」部分で詳細に提示されているので、あわせて参照すればより深い理解が得られるだろう。

 核廃絶に向けた法律構成を探る上で本書が取り組む課題が重要な役割を果たすことは、あるいは第3部原著の編著者ディーター・ダイスロート(ドイツ連邦行政裁判所判事)によって、より適切に示唆されているのかもしれない。彼は、原著の序文において、「何人であれ、将来の決定について、その根底をなしている基準および訴訟の範囲に関する法的問題の具体的な解明を求める者は」、さまざまな次元の間にある(1)法的文書の適切な―権威のある―使用のための「技術的な側面」および適切に関連した規範の解釈と適用のための方法、(2)従前からの法的慣行にかかわる基本原則、原理および理論の批判的抽出、(3)政治的、経済的および文化的な「受容の条件」の分析、の3点についての要因を考慮し、識別することが必要であると述べているのである。

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