2 プレゼンテーションと大人の談論会 記録

79回生の高木さんから克明な記録を投稿していただけましたので、当日参加できなかった方のために転載させていただきます。

諏訪清陵高校同窓会 平成23年度定期総会・談論会

2011年6月25日(土)15:00~17:15 紅や

『大人の』談論会

テーマ『諏訪力』世界を変える僕らの原点 ~縄文から清陵教育まで~

1) 78回生 学年幹事長 足立孝幸氏

大人の談論会、一年かけたシンポジウム。プレゼンテーションと談論会の二部構成。

談論会は拍手喝采、罵詈雑言ご自由に。登壇降壇は速やかに。本日だけは、たぎる情熱にフタをすることなく、我かく言わん!

2) プレゼンテーションⅠ 高見俊樹氏 78回生 地歴部考古班OB

・清陵の校地に大ダッショ遺跡(おおだっしょいせき)あり。僕らの足元にも縄文があった。有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)が出土。これは酒を入れた皮袋を模したもの。お祭りのニオイ。神の器かもしれない。

有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)

本物は諏訪市博物館にあります。

・二葉の校地には穴場遺跡がある。ここから出土する石棒と石皿が向き合っている。石棒は男性器、石皿は子宮の象徴。この石棒側からは動物質の脂を注ぎ、石皿側からは植物質の油を真ん中にあった木製の祭り柱に注ぎこんで、焚き上げた。この焚き上げが、死と再生の儀式だった。詳しくはビッグコミック連載中の「宗像教授異考録」にあり。

・おんばしらの土着性 おんばしらは世界とつながっている。ネパールの女神インドラ・ジャトラ。ヤギのいけにえ。ベトナムでも供儀で水牛を殺す。諏訪社の御頭祭しかり。

3) プレゼンテーションⅡ 石埜穂高氏 78回生

・茅野市高部のミシャグジ総本社。今井野菊さんの研究。ち*こ石がご神体。お地蔵さんは、石棒が混淆したもの。その証拠に地蔵には、首がなくてもよい。

・奈良の仏像は一木づくり。接木をしない。鑿の目(なため)をわざと残し表現する。ご神木から仏師が掘り出すものが仏像。大黒天はミシャグジ、ち*こ石である。

・ミシャグジを受ける器が大祝であり、女犯をしていない少年を大祝につけた。12月22日に鶏頭社の例祭がある。大祝の役割は、天皇の大嘗祭に同じ。ただ二つの生き神が、天皇と大祝だった。泉野の穴倉では、へびとの冬ごもり。ミシャグジの体内から生まれてくる。

・宿神(しゅくじん)は芸能のカミサマ。差別との関連もあり。下鴨神社の蹴鞠、能のシテ、一寸法師や桃太郎伝説もミシャグジから派生したのではないか。

・山梨須玉町の顔面取手付土器は、出産シーンを表現している。土器はまさに子宮であることが判る。この顔は、縄文のビーナスにそっくり。つまりミシャグジ。ウーパー・ルーパーやキティに似ている。子供の目が離れているのが、日本の特徴。

・オタク絵が大ヒットゲームになっている。諏訪社の絵馬を見てください。東方風神録の主人公である洩矢諏訪子は、深く研究されている。

・日本はロボットも生き物にしてしまう。その根源はアニミズム。典型は車のお払い。日本のものづくりは、ミシャグジの力です。壊れたはやぶさに、30日間祈り続けるのは日本だけ。

・井の中の蛙力 僕らは清陵時代天下を取ったように語り合った。三澤教育。ところがセンター試験で大海へ投げ込まれ、分を知らされてしまう。大海のクラゲ社会へ入ってしまった。

・土人の誇り-御柱で死人が出たときに2ちゃんねるで「トンデモナイ土人祭り」と揶揄された。それに諏訪の若者が「俺たち土人だもん」と平然と応えた。自然神の手ごたえ、御柱を曳けばわかる。

・青森ねぶたは、坂上田村麻呂が最高賞になっている。アテルイが最高賞ではない。

・Feel the Roots 60人のデザイナーが賛同してくれた。

・我々はエジプト、ローマ、ギリシアと言った一神教にコンプレックスを抱いていないか。熊野では、神道と修験道と高野山(仏教)が共存している。

・宿神とはズクではないか。ズクの六千年史。

・産業遺跡は、集中化均一化から分散化多様化へと進んだ。モダン社会からポストモダン社会へ。製糸業から精密工業へ転換できたのも、ズクがあったればこそ。諏訪では、汐や天然ガスを利用していた。諏訪を中心に考えよう。

・三澤勝衛は「井の中の蛙主義の人間教育」を実践した。在野の研究者だった。ローカルスタンダードは、御柱のやり方に同じ。

・郷土愛とリーダーシップ。諏訪清陵大学をめざして欲しい。教育科学省を諏訪に持って来てはどうだろうか。文句はこのあとお受けします。

4) 談論会

・井の中の蛙力、諏訪清陵大学に大賛成。

・プレゼンテーションに感銘した。中高一貫には反対。併設中学と新設高校のコンプレックスがいまだに残っている。

・教育というサービス業は、親のニーズに応えるべきだ。私立学校は、百年の中高一貫の伝統を持っている。私たちは実績のあるものを信じる。

・中高一貫校で働いている。賛成だ。同じ教職の兄は、清陵のよさが失われると反対している。三十年論争している。東京に出ると深志は知っていても、清陵は知らない。

・清陵は旧制中学の伝統にぶらさがっているのみで、受験指導をしてくれない。

・生徒にコンプレックスをもたせるかどうかは、教師の腕次第だ。

・OBが応援しなかったら、清陵はつぶれてしまう。

・2クラス80人の中学生が入ると、確実にレベルが下がります。その時にこそ、地元のOBの力が大切です。

・諏訪からの流出は、甲陵へ娘を進学させた折のこと。親とすると、井の中の蛙にしたくなかった。清陵は一浪にして大学へ進学するという、娘は現役で合格したかったので甲陵へ進んで東大へ合格した。清陵は、勉強することを評価しない。

甲陵なら素直に勉強できる。勉強も部活も尊敬されていた。単に進学の結果ではなく、骨の太い人間をつくって欲しい。学ぶということに大きな希望をもってやること。真理を見つけることの芽をみつけて。

・「先輩、オッス!」コンパは中学生に悪影響だからと無くされてしまはないか心配だ。しかし平成26年の中高一貫からは逃げられない。学友会でも中高一貫対策委員会を立ち上げる。「こういう中学部にしてください」という要望書をあげていく。この中高一貫は、清陵が大きく変わる唯一最大のチャンスだと思う。甘えているのを一掃する最大のチャンスだ。3年生の想いを伝えていくので、応援よろしく。

・51回生だ。毎年クラス替えがあったが、心をひとつにしてやっている。清陵に遅れて入ったから引け目を感じるなんて何を言っているんですか。後輩には、大海を知った上で、井の中の蛙になって欲しい。卒業式の談論会に出た。僕は時計の組立工になる。人生はマラソンだ。50歳、60歳になってどうなるか。

・諏訪は2400社の中小企業が支えている。それなりきの技術をもっている。30年後に、その事業を受け継いでいく人材をどう育てるのか。国を憂うるリーダーを、清陵の中高一貫で育てて欲しい。点数ではない、ゴールは先をみよ。志あるリーダーをしっかり育てて欲しい、賛成派であります。

・中高一貫の反対には二点あり。ひとつは、中学から受験をさせるかということ。もうひとつは、エリート教育だ。

・教育には平等性と卓越性があり、中高一貫はひとりの教員の能力を卓越性に向けよということ。世の中には、視野のひろいリーダーが必要である、骨太のリーダーをつくる、理念はこの一点だ。

・県の高校改革には、単位制、総合学科、商業の基幹校など様々あり、中高一貫もこの高校再編のひとつ。

・私立の中高一貫とはちがい、4年間で全授業を前取りしようとか、ある大学へ入るための講座とは一線を画していく。

・3.11以後の日本は、変えていかなければならない。よい大学に入ったからといってシアワセはない。乗り越えていくたくましさや地域の連帯こそ大切にして欲しい。たかがこの程度のことでガタガタするな。恵まれた諏訪に帰ってくる企業をなくさないように。