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ラーメン店にも慣れてきた二年目の春。

あなたは経営ノウハウ本を読むようになります。店を繁盛店にするには勉強する以外に方法はない、とわかっているからです。そうした本の中で一番心に残った言葉を実行に移すことを心がけていました。

「店側のひとりよがりはなんの意味もなさない。お客様に満足を与えることを第一義に考えるべきだ」

あなたはお客様が食事中に話す会話を聞き逃さないように神経をとがらせます。またお金を払うときに何気なく言う言葉を心に留めておきます。

・丼モノがあればうれしいなぁ。

・ビールの種類を増やしてほしい。

・営業時間をもっと長くしてほしい

この三つが常連客の要望の大半でした。あなたの店はラーメン専門店ですのでラーメン以外はメニューにありませんでした。常連客が「たまには違う種類の食事もしたい」と思って当然です。ビールも好みに差があります。メーカー間の味には違いがありますし、同じメーカーであってもブランドによって味が違います。常連客は各自自分の好きな銘柄を希望しました。営業時間は今までは十一時でしたが「お風呂帰りにも寄りたい」と言っていました。仕事で遅くなって店の前を通るとき「電気が消えていると寂しい」とも言われました。

あなたは早速要望に応えようと行動を起こします。どれもそれほど難しい要望ではありませんでした。

敢えて言えば「丼モノ」を作ることでしょうか。業務用のレトルトを利用することも考えましたが、厨房の隅々まで知っている常連客には業務用とはいえレトルトを出すわけにはいきません。あなたは本で調べ勉強して親子丼とカツ丼を作れるようになりました。

あとの二つ、「ビールの種類を増やす」ことはあなたの店に卸している酒屋さんは喜んで応じてくれましたし、「営業時間の延長」は単純に自分たちの労働時間を二時間ほど増やせば済むことです。今までの労働時間が十二時間でしたので二時間増えるくらいなんともないことでした。

三つの要望を取り入れたとき常連客はとても喜びました。今まで週に一~二回の来店だった頻度も毎日と言っていいくらい来店するようになり、また飲むビールも毎回違う種類を注文するようになりました。ただし営業時間の延長はあまり効果があるとは言えませんでした。延長した営業時間に全くお客様が来ないことはなかったのですがその数はわずかなものでした。遅い時間帯の仕事帰りなので入口のところであいさつはするものの食べて行くわけではなかったからです。みな仕事で遅くなったときは会社近くの飲食店で食べていたのでした。

約三ヶ月後、定休日に畳に寝ころんでいると奥さんがあなたに話しかけます。

「最近、月末になってもお金があまり残らないのよ」

「おかしいな。売上げは落ちてるわけじゃないし、営業時間を伸ばしたんだから売上げは増えてるはずだけど」

そのときは結局理由はわかりませんでした。しかし月末に手元に残るお金が減っているのは事実です。

ある日、あなたは青色申告会から送られてくる冊子を読んでいて気になることを発見します。

「在庫はできるだけ少ないほうがよい」

あなたは常連客の要望を取り入れてから材料代が増えていることが気になっていました。そしてそのまま在庫が増えていることもわかっていました。きちんと収支計算などをしていたわけではありませんが、毎日店にいるとわかるものです。あなたはメニューの種類を増やしたことが収入を減らしている、と実感します。

約半年後のある日、朝起きると奥さんがうなっています。

「どうした?」

「なんか身体が重たい…。熱もあるみたい」

お店を休むわけにもいかずその日は薬を飲ませなんとか店に出します。しかし午後になりやはり立っていることもできなくなり医者に行くことにします。そこで医者に言われます。

「大分身体に疲れが溜まっているみたいですね。しばらく安静にしていてください」

「でも店が…」

「なにを言ってるんです。倒れたら店もなにもないじゃないですか!」

あなたは奥さんの顔を見つめます。

結局奥さんは一週間店を休むことにします。その間は親類にお願いしてなんとか店の営業を続けます。もちろん営業時間は大幅に短縮しての営業です。しかしそれでもいつまでも親類に頼ることはできません。親類とはいえ無理をお願いするのは一週間が限界です。五日目にやんわりと言われました。

「私、いつまで手伝えばいいのかな?」

あなたは奥さんと話し合います。

「やっぱり営業時間を延長したのが響いたんだな」

「あなたはたったの二時間と思うかもしれないけど私にとってはその二時間がすごい大変だった」

あなたは丼モノを増やしビールの種類を増やしたことが店の利益に悪影響を与えたことを話します。丼モノを作るために新たに材料を仕入れなければならなくなり、最初の頃こそ丼モノを珍しがって常連客も来てくれましたが、一ヶ月もすると元の来店頻度に戻っていました。またビールの種類が増えたことによってビール全体の在庫が増えたことが利益を減らしていたことを説明しました。ビールの種類が増えたからと言ってビールの売上げが上がったわけでもありませんでした。お客様の要望に応えることは大切だけど結局自分で自分のクビを絞めていたことになっていたのです。

結局、元の状態に戻すことにしました。奥さんも喜んで賛成してくれました。

元の状態に戻し一ヶ月を過ぎて収支を計算しますと利益率は元に戻り奥さんの体調も復調していました。しかし利益額は元に戻りませんでした。それはメニューを増やし時間を延長する以前より売上げが減ったからです。

丼モノをやめ、ビールの種類を元に戻し、営業時間も元に戻すと常連客の来店頻度が一層減っていました。営業時間にしても、延長していた時間に何度もきていたわけでもない常連客ですが、不満げです。中には「商売人としての根性がない」とまで言う人もいました。店側としては単に元に戻しただけにすぎないのですが、お客側としては不満感が強まってしまったのでした。お客様の要望に応えようとしたことが、結局はお客様に不信感を与えたことになってしまったのです。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

なんとか順調にやってこれた三年目の夏。

あなたはラーメン店主としてある程度自信もつき風格も出はじめてきました。近所でも「味のよいラーメン店」として認められるようになり評判も上々です。

開店時間に向けて仕込みをしていたある日、いかにも「気が強い」といったふうな中年の女性が訪れます。セレブふうの眼鏡の奥から鋭い目であなたを見据えながら言います。

「この店の臭いが我慢できないんですけどなんとかしてもらえない?」

質問調ではありますが、詰問です。あなたはたじろぎます。

店の裏手に住んでいる住民でした。苦情の内容は「店ができてからずっと三年間辛抱してきたが、臭くて我慢の限界だ」というものでした。あなたはひとまず話だけは聞き午後に女性のお宅に伺う約束をします。その日のお昼のピークタイムはスムーズに捌くことはできませんでした。朝の中年女性のヒステリックな物言いが頭から離れなかったからです。

午後になり約束の時間が近くなった頃、その女性が入ってきました。あなたは一番奥の席に女性を案内します。女性は強く激しい口調で話し始めます。ヒステリックさは朝のときと同様です。あなたは客席に座っているほかのお客様が気になります。セールスマンふうの男性、小さな子供連れの女性があなたたちのほうをチラチラ見ています。

このように店に文句を言ってくる人は必ず店に赴いて店内で話をしようとするものです。決して自分の家を訪問することを好みません。

「店の排気口がちょうど自分の家の居間に向いている」という主張でした。あなたは謝罪するしかありませんが、それでも相手は納得することはなく一方的にまくし立てて出ていきました。あなたは思案します。

あなたは役所へ相談に行きます。役所の方の提案で排気口の向きを変えることにします。向きだけでなく高さも伸ばします。工事費の出費は大きいですが仕方ありません。取りあえず、これで裏の住宅へ臭いはいかないはずです。

工事を終え排気口の向きと高さを改善してから二週間後、また同じ女性がやってきます。「やはり臭いがする」と言うのです。さすがにあなたは我慢ならず言い返しました。

「それ以上言うと、営業妨害で訴えますよ」

あなたの強い態度に驚いた女性は睨みつけたあと帰っていきます。

約一ヶ月後、あなたは商店街の組合の男性から噂を聞かされます。

「お宅のお店、変な材料使ってるって噂されてるよ」

あなたには悪い噂が出る心当たりがあります。あなたは自分に言い聞かせました。

「例え悪い噂があったとしても自分で自信を持って作っていれば逆境は乗り越えられる」と。 実際、客数は弱冠減っているような感じはしていましたが常連客は変わりなく来てくれていました。

ある日、仕込みをしていると電話がなります。

「保健所ですけど、今よろしいですか?」

「えっ、はい」

「実はですね。お宅の店に対して苦情がきてまして…」

あなたは「ピン!」きます。

「本日、午後に伺いたいんですけどよろしいですか?」

「わかりました」

電話を切るとあなたは奥さんに話します。奥さんは不安そうな表情をします。

保健所の係員は型どおりの視察を終えると話し始めました。

「別に問題はないようですね。私どもとしても苦情を受けてなにもしないわけにもいかなくて…」

「そうですか」

「大きな声では言えないんですけど、苦情を言う人はだいたい決まってるんです。同じ人だと私どもも対処の仕方があるんですけど今回は初めての人だったもので…。なんか最近トラブルありませんでしたか?」

「裏手に住んでる人から臭いで苦情を受けました」

「ああ、そうですか。できるだけ近くの住民とはトラブルを避けてくださいね」

「はい…」

あなたは保健所の人にそう返事をしたもののどう対処していいかわかりません。その後もたびたび苦情の電話はかかってきますが、あなたは「わかりました」と言うだけです。苦情の電話の声は毎回違う人ですが、あなたは裏の住民が関係していると疑っています。しかし証拠がありません。このような状態で営業を続けているとあなたの精神状態も正常ではいられません。段々と笑顔がなくなってきました。あなたの暗い落ち込んだ雰囲気は知らず知らずにお客様に伝わります。次第に客数は減り売上げも減少します。

半年後、とうとうあなたの我慢の糸が切れてしまいます。

「こんなにまでしてラーメン店やりたくねぇや!」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

少しずつ貯金もできるようになった三年目の冬。

あなたは朝、目が覚めると奥さんがまだ起きていないのに気づきます。いつもならあなたより先に起きて朝ご飯の準備をしている奥さんがまだ隣の布団の中で横になっていました。

「どうした?」

「なんか熱があるみたい」

その日はあなたが朝ご飯の準備をして後片づけもしてなんとか奥さんを店に連れて行きます。あなたとしても奥さんを休ませたい気持ちはありますが現実問題として一人でピークタイムを捌くのは無理です。あなたは開店準備もできるだけ自分一人でやり奥さんにはできるだけ身体への負担がかからないように配慮します。営業時間が始まっても奥さんの身体の調子は芳しくなく「立っているのもやっと」という状態でした。

なんとかその日の営業を終えたあと、あなたが暖簾をしまい店内に戻ると奥さんはテーブルの上に伏していました。

「大丈夫?」

あなたの声に奥さんは返事をすることもできません。あなたは奥さんを抱きかかえるようにして家に着きます。奥さんは布団に倒れ込むようにもぐりこみます。あなたは奥さんを着替えさせ風邪薬を飲ませると、明日の両替の準備をします。いつもは両替は奥さんの役目ですが、今の奥さんにそんな余裕はありません。

準備をしながらあなたは思います。

「そう言えば一週間前から身体が重たいと言ってたな。本当は休ませてあげたいけど代わりの人なんか急に見つからないし…。後悔もある。定休日の昨日、問屋なんかに行かずに家で寝させておけばよかった…。明日大丈夫かな…」

翌朝、やはり奥さんの体調は回復していません。それでも奥さんは「休むわけにはいかないから行く」と言います。あなたは奥さんの言葉に安心しフラフラの奥さんと店に行きます。

昨日同様、開店準備はあなたがほとんどやり営業時間を迎えます。奥さんの身体の調子が昨日より悪いのは明らかでした。お昼のピークタイムを過ぎると奥さんはトイレに引きこもります。あなたは三十分経っても出てこない奥さんを心配になりトイレのドアを叩きます。

「大丈夫か?」

返事の代わりに鍵を開ける音がしました。しかしドアが開く気配はしません。少し待ったあとあなたはノブを回しゆっくりとドアを開けます。そこにはトイレの床に倒れ込んでいる奥さんがいました。

あなたはコトの重大さを感じ、すぐに奥さんを近くの診療所に連れて行きます。診療所の待合室には順番を待っている数人がいましたが、あなたは看護師さんに事情を話し順番を飛ばして診てもらうようにお願いします。

六十才くらいの白い髭を生やした先生は奥さんを診察したあとあなたに言います。

「どうしてこんなになるまでほっといたの?」

あなたは返事ができずただうつむいているだけです。先生は「近くの大学付属病院を紹介します」と言い、救急車を手配してくれました。

付属病院で検査をした結果、すぐ入院することになります。あなたは入院の準備をしながら思います。

「俺が無理をさせすぎた…」

入院一週間を過ぎたときあなたは先生に呼ばれます。

「今回入院していただいたのは検査結果が悪すぎたからですけど、大分安定してきましたので明日退院しても構いません。でも奥さんは無理をするとすぐに倒れる体質なので気をつけてください。とりあえず三ヶ月間は絶対安静にしてください。約束できますか?」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

今回の例は病気ですが、どちらかが交通事故など思いも寄らぬ怪我を負って身体的精神的な理由で店に出られなくなり廃業に追い込まれることもあります。

借入金の返済が終わって心の余裕ができた四年目の春。

あなたは奥さんに楽をさせたいと思い、パートさんを雇用することを考えます。求人広告に掲載するにはお金がかかりますのであなたは店頭に貼り紙を出します。すると張り出して一週間目に五十才くらいの女性Dさんが応募してきました。

あなたは応募があったことがうれしい心境です。面接をするとそれほど悪い性格でもなさそうです。さらに「ひとり暮らしなので日曜日も出勤できる」ということが決定打となります。あなたは「是非、お願いします」と採用することにしました。

初めての出勤日、Dさんは遅刻してきました。Dさんの住居は店からそう遠くない場所ですのであなたは理由を尋ねます。しかし要領を得ない返事しかしません。あなたはちょっと怒りを覚えましたが、初日ですので我慢します。

初日ですので仕事をいろいろと教えたのですが、なかなか覚えられません。「覚えられない」というより「覚えよう」という態度が見られませんでした。仕事に対する積極性がないのです。

あなたはその日の夜、奥さんに相談します。いくらパートとは言えやはり仕事です。それなりに責任感を持って一生懸命に働いてくれる人を雇用したいと考えています。あなたは採用を取り消すことを決めました。

翌日、Dさんはまた遅刻してきました。あなたは彼女をテーブルの椅子に座らせ告げます。

「申し訳ないけど、ウチとは合わないみたいなので採用を取り消させてください」

彼女はうつむいたまま返事をしません。あなたは一日分の給料を入れた封筒を渡し引き取ってもらいます。

Dさんが帰ったあと奥さんと今後について話し合いました。「やっぱり他人を雇うのはやめよう」と決め奥さんも納得しました。あなたは奥さんに「頑張ってもらう」ことにしました。

それから五日後、電話が鳴ります。あなたが出るとすぐ切れます。五分後、また電話が鳴ります。あなたが出るとすぐ切れます。無言電話です。あなたは奥さんに言います。

「なんか不気味だよな」

「他人に恨まれるようなことなんかしてないのにね」

その後無言電話は一日に三回はかかってくるようになりました。毎日です。無言電話がくるようになってから十日目、奥さんは言います。

「もしかしたらDさんじゃないかしら」

あなたは「まさか…」と思いながら、電話を見つめます。その日の夜、寝る前に考えます。

「無言電話がかかってくるようになったのはDさんをクビにしてからだなぁ。やっぱり彼女かも…。それまで無言電話なんかなかったんだから…。彼女に違いない」

翌日、あなたは無言電話がかかってくると、切られる前に口早く怒鳴ります。

「いいかげんにしろ! あんたDさんだろ!」

電話はすぐに切れました。しかしあなたの怒鳴り声はDさんに聞こえたはずです。

あなたが電話の相手に怒鳴ってから一週間はなにごともなく過ぎました。あなたは奥さんと笑い合います。

「やっぱりきつく言うときは言わないとダメだよな」

「そうね。あなたたくましい!(笑)」

笑い声が終わった頃に電話が鳴ります。奥さんが出るとこう言われます。

「あんたのダンナいる?」

男性の低く重たい声に奥さんは不安そうな顔であなたに受話器を渡します。あなたが出ると相手は恐怖感を感じさせる声で話します。

「あんたかい? 俺の知り合いをクビにしたのは」

閉店時間を過ぎた頃、いかにもそのスジと見える三人連れが来ました。勢いよくドアを開けると店内を見渡しあなたに向かって歩いて来ます。

「あんた俺の知り合いに恥をかかせたろ」

三人の後ろにはDさんが立っていました。あなたは恐怖心はありましたが、それでも気丈に答えます。

「辞めてもらったのは確かですけど恥はかかせていません」

「こらぁ、なんだと! 辞めさせたのが恥をかかせたことなんだよ」

「そんなこと言われても…」

「Dさんは傷ついたんだよ。わかってんだろな。誠意を見せろ、誠意を」

ここから先はBさんと同じような経緯となります。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

えっ? 警察に届ければいいって?

甘い! 運よくよっぽど親切な警察官に出会わなければ…、警察は直接被害が出ないことには行動は起こしてくれません。

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