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順調に進んできた五年目の秋。

あなたは店の規模を大きくすることを考えはじめます。順調とはいえ狭い店一軒の売上げではたかがしれています。儲かると言っても限界があります。席数に限りがあるのですから当然です。そこであなたは二店目を出店することにしました。

まずは人員の確保です。二店目を出店するということは一店舗は必ずあなた以外の人に任せることです。「人材」は「人財」と言われるほどですから誰でもいいというわけにはいきません。人望があり能力がありその上根性も兼ね備えていなければ店長は務まりません。

あなたはあらゆるツテを頼って店長候補を探します。

約一ヶ月後、あなたは取引先の社長から青年E君を紹介されます。肉の卸会社で働いていた青年ですが、運悪くその卸会社が倒産してしまったのでした。あなたが面接をしますと評判通りの好人物で店長候補にもってこいの人でした。すなわち人望、能力、根性を全て備えていたのです。

仕事の覚えもすばらしいものでした。元々肉の卸会社にいたのですからラーメンについての知識も充分ありました。あなたはE君が仕事をひと通りこなせるようになると二店舗目の店を絞り込みはじめることにしました。店長候補を探すのと平行して新しい店舗についてもいろいろな関係者に声をかけていたので候補地はすでに二~三ヶ所見つかっていました。

定休日にE君を同行して候補地を見て回りE君も賛成した店舗に決定しました。あなただけでなくE君も気持ちが高まっているのが伝わってきます。いろいろ考えた末、新店舗をE君に任せることにします。店舗が決まってからはE君が中心になりバイトやパートさんなどを採用し順調に準備は進められました。

二店目の開店の二日前に取引先の社長が訪ねてきました。

「E君はどうかね?」

「申し分ないです。社長のおかげですよ」

こんな会話で話も弾みあなたはこれからの自分の将来を語ったりしました。

いよいよ二店目の開店日、あなたも応援に行きます。あなたにとっては二度目の開店ですので全てスムーズに対処することができました。売れすぎて麺の在庫が切れそうになったとき、あなたは急いで自分の店から在庫を調達しました。あなたはあわてることは全くなくテキパキと処理したのです。あなたはE君に尊敬の眼差しで見られます。

開店日は問屋さんや銀行の担当者なども見学に訪れ、店の外に行列を作るお客さんを見て感心していました。特に銀行の担当者はあなたを持ち上げます。

「さすが社長、店舗を見る目がありますね」

自然とあなたの顔は緩みます。「社長…か」。あなたはまだ法人にはしていませんが、二店目を出店したのですから立派な経営者です。銀行の担当者は言いました。

「そろそろ法人化も考えたほうがいいですよ」

それから三ヶ月後。

全てが順調でした。単純に考えて売上げが二倍になったのですから儲けも二倍です。当然二店目の人件費はかさみますが仕入れの量が増えたことで単価を下げてもらったのでその分でカバーすることができたからです。あなたは年内に三店目を出店することさえ考えるようになりました。

そんな順調な日々を過ごしていたある日、営業時間が終わり後片づけをしていると電話が鳴ります。E君からです。

「ちょっと話があるので今から行ってもいいですか?」

いつもと違うE君の沈んだ声が気にはなりましたが、絶好調なあなたには大した問題には思えませんでした。

「お客さんからクレームでも受けたんだな。励ましてやらないと…」

一時間後、店に入ってきたE君は落ち込んだ表情をしています。

「すみません」と言うなり土下座をしました。

あなたは表情が固まります。E君は「退職させてほしい」と言ってきました。田舎に帰って両親の仕事の跡を継がなくてはならないそうです。もちろんあなたは説得します。あなたは「俺がE君のご両親に話をしてもよい」とさえ言いました。今、E君に辞められたら二号店は崩壊してしまいます。しかしE君は謝るばかりです。

その後、紆余曲折はありましたが、結局、あなたはE君を翻意させることはできず二週間後E君は田舎に帰って行きました。二週間という期間もあなたが拝み倒して頼んだ結果です。

あなたは死にものぐるいでE君の代わりを探しました。

しかし、僅か二週間では代わりの人も見つかるはずもなくE君が辞めたあと二号店を臨時休業することにしました。代わりの人が全く見つからなかったわけではありません。E君と同じ年令の青年が応募したこともありましたが、E君との差はあまりにもありすぎました。またE君より一回り上のある人はE君と同程度の能力はありましたが、あなたの足元を見ていたようで報酬をふっかけてきました。あなたは途方に暮れます。

二号店の臨時休業も三ヶ月目に入ると借り入れの返済に困るようになりました。二号店の出店の際、銀行から借り入れていたものです。あなたを持ち上げていた銀行の担当者はあなたに言います。

「そろそろ返済してもらわないと困ります。借りたものを返すのは社会人の基本ですから」

しかしあなたに返すあてなどあるはずもありません。銀行にとってあなたは返済する能力があって初めてお客様です。返済が滞るならあなたは銀行にとって単なる債務者です。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

ひとかどの貯金が貯まった六年目の春。

あなたは若い経営者が集う団体に誘われます。商店会の幹事が「五年も続けているんだから立派なもんだ」と言い、「是非、ウチの集まりに参加してほしい」と招待します。あなたはサラリーマンではない個人事業主としての生活にも慣れ少し息抜きがしたいと思い始めていました。あなたは集まりに出かけます。

集まりに行くと会場入口には「パーティー」と書かれていました。団体の三十周年を記念した式典のようなものです。あなたは幹事にいろいろな人を紹介されます。地域の商店会の幹部の人たちもいました。あなたは感激します。地域で偉い人たちと知り合いになれたのですから当然です。そういう人たちと話をしているだけで「自分もいっぱしの経営者になれた」気分になれました。中でもあなたと同年令に近い人たちとは話が盛り上がりました。

その日は三次会までつき合い帰宅したのは朝方の三時です。あなたは興奮した気持ちのまま寝床につきます。

翌日、あなたはパーティーでの出来事を奥さんに話します。奥さんはあまりうれしそうではなく上の空で話を聞いていました。あなたは「自分が夜遅くまで飲みに行っていたことに怒っているのだろう」と思っていました。

パーティーから一週間後、パーティーで特に親しくなったFさんから電話があります。

「確か、明日休業日でしたよね。ゴルフに行きませんか?」

あなたは三次会で「ゴルフはやったことがないんです」と話していました。それを聞いてFさんはあなたに「ゴルフを教える」と約束していたのです。あなたはまさか本当に教えてくれるとは思っていませんでした。しかも「道具も一式くれる」というものでした。あなたは奥さんの横顔をチラッと見ます。そして答えます。

「ありがとうございます。お願いします」

生まれて初めてのゴルフは楽しいものでした。あなたは手取り足取り教えてくれるFさんに感謝します。次回までに近くの練習場に通うことを約束しました。

あなたは週に二~三日、店の営業時間前に練習場に通うようになりました。奥さんはあまりいい顔をしませんでしたが、「商店会の偉い人とつき合ってるといろんなことで得だから」と説き伏せていました。

それからはたまにFさんから電話があり練習の成果などを話していました。あなたは営業時間中も調理器具をゴルフクラブに見立て素振りなどをするようになります。前回ゴルフに行ってから三週間後、Fさんから誘われます。あなたはもちろん行きます。

その日のゴルフも楽しいものでした。その日はFさんのほかにFさんの友人二人もいました。二人ともパーティー会場で見かけた顔です。皆、楽しく愉快な人たちでした。あなたのゴルフの腕前も、練習した甲斐があったようでFさんたちから絶賛されます。

上機嫌で帰宅すると奥さんが晩ご飯の後片づけをしています。あなたは奥さんにゴルフ場でのことを話します。

「あの人たちすごいよな。俺と大して年令も変わらないのにすごい遊んでるんだ」

「へぇ、でも遊ぶって言っても仕事もしてるんでしょ」

「みんな偉い人だから仕事は部下に任せてるらしいよ」

それからはゴルフに行く回数も増え、段々と仕事にも影響が出始めます。奥さんは苛立ちながらあなたに言います。

「最近、商店会の人たちと出歩きすぎじゃない? もう少しお店のことも考えてほしい」

しかしあなたは取り合いません。

「あの人たちとつき合ってると仕事に役に立つ情報が得られるんだよ」

あなたは新しいゴルフクラブを買います。それだけではありません。ゴルフ以外の趣味でもFさんたちと合わせるようになります。あなたはFさんたちと一緒にいることが楽しくてやめられなくなっていました。

数ヶ月後、あなたがFさんとの麻雀を終え帰宅すると家の電気が点いていません。不審に思いながら部屋に入るとテーブルの上に手紙が置いてあります。

あなたへ。

あなたは昔のあなたではなくなってしまいました。私が何度もお願いしたにもかかわらずあなたは昔のあなたに戻ってくれませんでした。私たちは少し距離を置いたほうがいいと思います。

あなたはFさんとつき合うことが楽しくて仕方ないようですが、あなたとFさんたちとは元々住んでいる世界が違うのです。

私は商店会のFさんたちとは違うグループの方から忠告を受けていました。商店会にもいろいろな人たちがいるようでFさんたちはその中でも特別な人たちのようです。地元の資産家の息子さんたちだそうです。つまり私たちのように必死に働いて店を切り盛りする必要もない人たちなのです。

あなたは「気がついている」のか「いない」のかわかりませんが、今の店の状況はあまりよくありません。簡単に言うと儲かっていないのです。いつからかあなたは店の売上げ金からお金を取るようになりましたね。確かに次の日も売上げがありますからすぐには困りません。でも月末に家賃やガス代、電気代を支払うとほとんどお金が残らないのです。去年くらいの売上げがあったときは大丈夫ですが、あなたがFさんたちと出歩くようになってからお客さんも減ってきていました。二人で一生懸命貯めた貯金も段々と減っていくばかりです。

それから…。

これから言うことはあなたを傷つけるかもしれません。いえ傷つけるでしょう。それを覚悟して言います。

「愛が冷めた」かもしれない…。ごめんなさい。自分でも自分の気持ちがわからないところがあります。あなたと結婚して十年が過ぎました。結婚当初は本当に幸せでした。でも三年を過ぎた頃から「なんか違うな」と思い始めていました。そんな気持ちのときにあなたが「ラーメン屋さんをやりたい」と言い出しました。そのとき私は期待をした部分もあったんです。もしかしたらラーメン屋さんをはじめることで「私たちの関係が深まるのではないか」と思ったんですね。二人で力を合わせて目標に向かうことで二人の距離が縮まるような気がしたんです。

でも違いました。一緒に働いていても忙しすぎて心は離ればなれになったように思います。私が突然いなくなってあなたは驚いているでしょう。あなたにとっては「突然」かもしれませんが、私の中では決して「突然」ではありません。ゆっくりと潮が満ちるように決めたことなのです。どうか理解してくれることを願っています。

今の私は、先ほども書きましたように「自分の気持ちがわからない」状態です。あなたを嫌いになったわけでもありません。ただ、しばらく一人になって考える時間がほしいと思っています。

最後に、私がいなくなることで店の営業に影響を与えることをお許しください。

本当にごめんなさい。

あなたは手紙を読み終わると力無く時計に目をやります。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

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