(7)

順調に営業を続けていた七年目の終わり。

ある日、店舗管理をしている不動産会社から連絡があります。契約は四年ごとの更新ですので「更新の手続きをしたい」とのことでした。契約更新は2度目です。

管理会社の社員が訪ねてきました。世間話などからはじまり現在の商売状況などを話し、更新の話に移ります。更新料として管理会社が一ヶ月分徴収することに不満はありましたが、前回の更新のときも同じでしたし通常の世間常識の範囲内だと思いあなたは了承します。そして家賃について交渉をはじめたときあなたは驚きます。今までより三万円も高い金額を提示してきたうえに保証金の償却分の供出を求めてきたのです。前回の更新時にはなかっただけにあなたは「納得できない」と憤慨します。

元々あなたは今の管理会社にいい感じを持っていませんでした。社員の態度が高飛車な雰囲気がしていたからです。最初の契約をする際に躊躇する気持ちはありましたが、家賃が相場より坪単位で数千円安かったことと、店舗を借りるという経験が初めてだったので不動産会社に気後れしていたこともあり最終的に契約することに決めたのでした。

そのような管理会社でしたので内装工事についてもいろいろと注文をつけられました。決して店子の立場に立って考えているとは思えませんでした。様々な制約がありあなたの思い通りの設計にはできなかったのです。しかし内装業者へ手付金も払い契約書にもサインを済ましていましたので引き返すわけにはいかなかったのです。

開業して三年目に台風の影響で雨が店内に漏ってきたときも対応は満足できるものではありませんでした。店内に雨が染み込み壁にシミができたとき、原因が雨漏りなので「大家さんの責任範囲」と思い修理費を求めました。しかし、納得できる説明もなく「認められない」の一言で済まされたのです。商売をはじめてまだ三年目だったあなたは抗議することもできず諦めることしかできなかったのです。

今までとなにも変わっていないのに関わらず保証金の補填と家賃の三万円もの値上げに納得できなかったあなたはサインをしませんでした。商売をはじめて七年を過ぎていたあなたはしぶとさを身につけていたのです。あなたは管理会社ではなく直接大家さんと交渉することにします。

大家さんはこの一帯の地主で貸しビルをいくつか持っていました。あなたは大家さんに電話をします。しかし賃貸業に精通している大家さんは「管理会社に任せている」の一点張りでにべもありません。

契約期限が近づいてきたある日、管理会社の社員がやってきます。あなたは決して折れません。もし折れたなら償却金の補填分と家賃の増額を受け入れなければならないからです。あなたは社員を追い返しました。ここまでくると感情論になっていました。あなたは意地でも自分の考えを通そうとします。

翌日、管理会社の上司から電話が入ります。

「あなたがそういう態度に出るなら私どものほうとしてもそれなりの対処をしますから」

あなたは少し不安を覚えます。しかしそれ以来管理会社からはなんの連絡もありませんでした。あなたは不安が和らぎます。

契約満期日を過ぎた翌日、あなたは店に行って衝撃を受けます。店の入口に大きな文字で

「出入り禁止」と書いた紙が貼ってあったからです。あなたは急いで管理会社に電話をします。上司は言います。

「管理会社として当然の権利を取らせていただきました」

あなたは愕然とします。法律的にはあなたは店子としての権利を守られているでしょう。仮に裁判を起こしたなら勝てるかもしれません。しかし時間と費用を考えたとき裁判を起こすことは現実的ではありません。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

ラーメン店の店主として威厳が出始めた九年目の初夏。

あなたたち夫婦が夜遅く帰宅すると、小学五年生の娘が一人でテレビを見ていました。奥さんが「お兄ちゃんは?」と聞くと視線を画面に向けたまま「まだ帰ってきてない」と答えます。時間は深夜の0時を過ぎています。奥さんは不安げな顔になりあなたは不満げな表情になります。あなたは娘に言います。

「もう寝なさい」

しばらくすると中学生の息子が帰ってきました。あなたたちに声をかけることもなく玄関からそのまま自分の部屋に入っていきました。あなたが追いかけようとすると奥さんが止めます。あなたの表情に怒りが出ていたからです。

「あとで私が言っておくから」

次の日、午後の仕込みをやっていると奥さんが言います。

「最近、帰りが遅いんだって」

奥さんは娘から聞いた最近の息子の様子を話しました。あなたは少し前に息子が髪の毛を染めたことが気にはなっていました。あなたは奥さんと話し合います。

「今度の休みの日に注意しよう」

休みの日、テレビを見ながら食事をしたあとあなたが話しかけるタイミングを計っていると息子はすぐに自分の部屋に行ってしまいました。約三十分後、あなたは息子の部屋に行きます。

「最近、どうだ?」

あなたはできるだけ冷静に落ち着いて話すように心がけていました。しかしゲームに夢中になっている息子はあなたの顔を一回も見ることはなくあなたの質問に曖昧な返事をするだけでした。あなたはつい苛立ち気味に強い口調で言ってしまいます。

「もうちょっとしっかりしろ!」

居間に戻ると奥さんが言います。

「どうして怒ったの?」

あなたが息子に注意をしてからも息子の行状は変わりませんでした。あなたは少しずつ息子と距離を置くようになります。どう対処していいかわからなかったこともありますが、それ以前にラーメン店のことで忙しかったからです。正直に言うと「そこまで面倒見切れない」とさえ思っていました。あなたは一日十四時間ずっと働きづめで疲れ切っていたからです。それでも一応息子のことを奥さんには聞いていました。

「どうしてる?」

奥さんはあなたには言いませんでしたが、内心ではとても心配していました。最初はあなたを避けていただけの息子でしたが、最近では奥さんをも避けはじめていたからです。奥さんも仕事で疲れていました。店と家事を両方こなすのはとても疲れるものです。わざわざあなたに相談してあなたが苛つくのを見たくない気持ちもありました。あなたと奥さんは自然と息子の話をしなくなってしまいました。あなたたちはよく言い合いました。

「親はなくとも子は育つ…」

ある日、店の閉店時間が近づいた頃、電話がかかってきます。あなたは不審に思います。今までにこんな時間に電話がかかってきたことがないからです。奥さんが出ます。

「えっ、警察?」

息子が補導されたのでした。あなたと奥さんはすぐに店を閉め急いで警察に出向きます。息子はあなたを見つけてもふてくされたままでした。悪びれた様子も見せずポケットに手を突っ込んだ態度を変えませんでした。

あなたは警察から注意を受け息子を連れて帰ります。家に着くまで息子は一言もしゃべりませんでした。あなたは家に着くなり怒りを爆発させます。

「なんで父さんの気持ちがわからないんだ!」

息子はふてくされたまま返事をしません。あなたは怒りが納まりません。今まで我慢していた息子への気持ちをストレートにぶつけてしまいました。息子の両肩を揺すり感情を剥き出しにして怒鳴りました。それは息子を傷つけるに充分な侮蔑の言葉の連続でした。あなたは怒ることによってさらに怒りが増幅される状態です。しばらくすると奥さんが止めに入りました。

「あなたもういいでしょ」

奥さんの言葉にあなたは冷静さを取り戻します。すると自分自身の不甲斐なさが情けなくなってきました。そう、感情に任せて思いの丈を息子にぶつけている自分の姿にです。あなたは口をつぐみます。

家の中に沈黙が流れます。

しばらくすると奥さんが口を開きました。

「さ、もう寝ましょ」

奥さんは息子に自分の部屋に行くように促しました。息子が立ち上がり部屋に向かおうとした背中にあなたは抑えた声で言います。

「あんまり甘ったれてちゃダメだぞ」

それを聞いた息子は振り返り淡々とした声で言い返します。

「小さい頃から甘えたことなんかないよ」

奥さんがすぐに言います。

「いいからすぐに寝なさい」

あなたは息子に向かって言います。

「なに言ってんだ!」

息子は両手を握りしめあなたをのぞき込むようにして声を荒げます。

「いったいいつ僕が甘えた? ええ?!」

あなたは息子の体格が大きくなっていることに気がつきます。息子は続けます。

「ねぇ、父さん! 僕、いったいいつ甘えた? 小さい頃からいつも我慢ばっかりしてきたんだよ!」

あなたは息子の顔を見つめます。息子の目に涙が溜まっていくのがわかりました。息子は感情を抑えきれない、といった感じで続けます。

「小さい頃、友だちは親と遊びに行っても僕は連れて行ってもらえなかったよ。それでも僕文句言ったことないでしょ!」

あなたはちょっと戸惑いながら答えます。

「そりゃ、仕事なんだから仕方ないだろ」

あなたは自然とうつむいてしまいました。

「仕事って言っても少しくらい遊んでくれたっていいじゃない。少しは子供の気持ちもわかってよ」

「そんなこと言ったって父さんたちが稼がなきゃ生活できないんだぞ」

息子は涙声になっていました。

「そんなことわかってるよ。そうじゃなくて子供の気持ちをもっとわかってって言ってるんだよ。親だったらもっと親らしくしてよ!」

あなたは言葉が出てきませんした。

翌日、あなたは家を出る前に奥さんに言います。

「あいつ、どうして親の気持ちわからないのかな」

警察に補導された日以来、あなたは息子と全く話をしなくなりました。

そんな状態が続いたある日、仕事を終え帰宅すると玄関に靴がたくさん並んでいました。時間は深夜の一時です。あなたは真っ先に息子の部屋に向かいます。ドアを開けると息子と友だちらしき少年が数人いました。しかも煙草を吸っていたのです。あなたは怒鳴ります。

「おまえらなにやってんだ! 出て行けー!」

少年らはあなたの怒鳴り声にも悪びれたようすもなくなんの言葉も発せず部屋を出ます。少年らを見送った息子をあなたは睨み付けます。息子は視線を合わせずそのまま部屋に入りました。あなたは奥さんに言います。

「あいつ、いったいどういうつもりなんだ…」

いつものように朝の仕込みをしていた日、あなたは奥さんの態度が普段と違っているのを感じます。しばらくは気にしないようにしていましたが、やはり気になって仕方ありません。

「なんかあるのか?」

奥さんは迷った顔をしたあとあなたに話します。

奥さんの話では、息子が昼間友だちを家に引き入れている、ということでした。前にあなたが友だちを怒鳴ってからあなたたちが帰宅する時間に友だちがいることはありませんでした。しかしあなたたちが帰る時間まで息子の部屋に入り浸っているのでした。娘も迷惑しているようでした。あなたは奥さんに言います。

「今度の休みの日にビシッと言わないとだめだな…」

その日、仕事を終え家に着き玄関ドアを開けると息子が出かけようとしていました。あなたは聞きます。

「こんな時間にどこ行くんだ?」

息子は返事をせずに外に出ようとしました。あなたは息子の腕を掴みます。息子はあなたの手を振り払います。あなたは怒りが爆発しました。あなたは息子のあとを追いかけます。

息子が向かっている先には一目で暴走族とわかるバイク数台がエンジン音を轟かせていました。あなたは息子に追いつき後ろから羽交い締めにします。息子は抵抗しながらあなたに叫びます。

「ほっといてくれよー!」

あなたと体格的に変わらなくなっている息子を抑えつけるのは容易ではありません。持てる力を全部出しきって抑えつけようとしました。バイクの空ぶかしエンジン音が何度か大きくなっています。息子の肘があなたの顔面に当たりました。それでもあなたは両手を放しませんでした。あなたたちのもみ合うようすを眺めていたバイクは走り去ってしまいました。息子はあとを追おうと身体をよじらせます。あなたは息子の身体を力任せに塀に押しつけ、胸ぐらを掴み叫びます。

「いいかげんにしろー!」

あなたは拳を振り上げ殴ろうとして息子の涙に気がつきます。あなたの身体は固まります。奥さんが走ってきました。あなたは奥さんの顔を見ます。

「あなた、もういいでしょ」

「いったいなんなんだよ」

息子がつぶやくように言いました。あなたは黙って立っているだけです。

「今頃になってなんで僕に構うんだよ」

あなたは小さな声で答えます。

「俺の息子だからだよ」

息子は少し驚いたような表情をしました。しばらくの沈黙のあと息子はひとり言のように語りかけます。

「ねぇ、僕が小学校のときいじめられてたの知ってた? みんなからラーメン屋の息子ってからかわれてたの知ってた? 僕がたまに学校さぼって遠くからお店見てたの知ってた?」

あなたはうつむいたままです。奥さんが言います。

「ごめんなさい…」

「中学に入っても一緒でさ、同じ小学校から来た奴らがみんなに言いふらしてさ。そんでみんなから無視されるようになって…。そんとき僕が友だちになれたのはあいつらしかいなかったんだ」

あなたは身体の力が抜けていくのがわかりました。

「父さん。どうして今頃『俺の息子』なんて言うのさ。もっと前に言って欲しかったよ」

息子の声が段々大きくなってきました。

「父さん! どうして僕が小さかったときもっと僕のほうを見てくれなかったんだよー!」

あなたは膝から崩れ落ちます。

「俺は親として失格だな…」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

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