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2.開業後

あなたは首尾よく開業にこぎつけました。そう、「首尾よく」です。内装工事をしているときにちょっとした問題はありました。工事に来ている職人さんの車が邪魔だとクレームはきましたが、クレームの主に謝罪に行き音便に済ますことができました。

開店後も売上げは順調でお客様が列をなすほどでした。あなたは毎日充実した仕事をしています。

開店して三週間目の朝、あなたがお店に行くと入口の扉に悪魔の十字架がかかっています。あなたは不気味な気分にはなりましたが、単なるいたずらだろうと思いました。その日の夜、閉店をして後片づけをしていると電話がなります。

「調子に乗ってるんじゃないよ!」

電話は切れます。あなたは奥さんと二人で落ち込みます。

翌日、お昼のピークも過ぎた午後三時頃電話が鳴ります。奥さんが出ると電話の主は怒鳴ります。

「調子に乗るな!って言っただろ! 今から行くから待ってろ!」

あなたの奥さんは怯えた表情をしています。奥さんは言います。

「なんか恐い…」

あなたは奥さんをなだめます。それでも奥さんの気持ちは収まりません。開店以来、意気揚々だった二人は落ち込みます。翌日も同じ電話がかかってきます。このときは電話が鳴っても奥さんは出ずにあなたが出ます。奥さんは昨日の夜はあまり寝ることができませんでした。半分ノイローゼ状態になっています。あなたもさすがにイライラ感が募ってきています。もしチェーン店であったならあなたは本部に相談することもできます。しかし個人で開業していますので相談する相手もいません。

奥さんは店に出るのを嫌がりはじめます。あなたは奥さんをなだめすかしなんとか店には出させます。しかしここまで来るとお客さんの入り具合どころではありません。奥さんは、目つきの悪いお客様を電話の主と思うようになってきています。閉店後、あなたは奥さんを責めます。

「なんでふてくされた顔でお客さんに接するんだよ!」

奥さんは泣き叫びます。

「もうこんな仕事いやー!」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

次のケースも「首尾よく」です。

あなたは「首尾よく」開業にこぎ着けました。内装工事のときに「音がうるさい」とクレームがきましたが、なんとか穏便に済ますことができました。ただ、今回はクレームの内容が「音がうるさいので工事を中止しろ!」という要求だったので少し手間取りました。あなたはクレームの主Aさんに謝罪の意味を込めて日本酒を二本持参しました。Aさんはやはり電話の雰囲気の通り強面の五十才くらいの短髪の男性でした。対応に出てきたAさんはあなたが訪問してお酒を渡すとにこやかに受け取り「まぁ、いいから頑張って」と言います。あなたは日本酒の効果があったと喜びます。

開店一週間後、Aさんが体格のガッシリとした部下らしき男性と一緒に店に食べにきます。あなたはあいさつをします。Aさんはあたかも親しい友人であるかのように片手を上げ一番目立つ席に座ります。

Aさんの来店は週に三回くらいで、特別に問題を起こすこともなく単なる店主と親しい声の大きいお客様として振る舞っています。

ある日、柄の悪そうなお客様がラーメンに異物が入っていたと文句を言い出します。あなたはお詫びをしますが、相手は納得しません。そのときたまたまAさんが来店しあなたと柄の悪そうなお客様とのやりとりを聞いていました。柄の悪そうな男性の剣幕にあなたがたじろいでいるとAさんは男性に声をかけます。

「お兄さん、まぁここは一つ勘弁してやれや」

ドスの利いた声と鋭い目つきに気後れした男性は後ろに控える体格のよい部下のほうにチラッと目をやったあと「仕方ない」といった感じで帰っていきます。あなたはAさんにお礼を言います。Aさんがお会計のときあなたは言います。

「今日はお会計いいですよ。先ほど助けてもらいましたから…。ホントありがとうございました」

Aさんは「そんなことは気にしなくてもいいから」と言い片手を上げながら帰って行きます。

数日後、Aさんの部下が一人でやってきます。あなたは言います。

「この前はありがとうございました」

部下の人は言います。

「今日は相談があってきたんですけど」

「なんでしょう?」

「また今度この前みたいなのが来たら困ると思うんですよね。それで、社長が『おたくのお店のセキュリティを引き受ける』と言ってるんですけど…」

あなたは突然の話に驚きます。返事は後日で構わない、と言って帰って行きます。あなたは奥さんと相談します。しかし「正式に依頼する」となると報酬が必要です。結局あなたは断ることにします。

後日、部下の人が返事を聞きにきます。あなたが丁寧に断ると、部下の人は「そうですか」と残念そうに帰って行きました。

数日間はなにごともなく過ぎました。

一週間後、Aさんが部下の人と来店します。しかし表情は今までと違っています。あなたが笑顔であいさつしても目を合わせません。最後まで目を合わせることはありませんでした。

三日後、Aさんが来店します。しかしその日は部下の人だけではありませんでした。見た感じが恐そうな感じの若い男性がほかに三人一緒です。いつもは頼まないビールを頼みます。いつもの部下の人があなたに近づき小声で言います。

「なにかおつまみになるものだしてよ」

こうした来店が何回か続きます。毎回複数人で来てビールを飲み本数も多くなってきます。この集団が来ているとき、ほかのお客様たちは食べ終わるとすぐに帰るようになりました。いつしか集団が来ているときはほかのお客様は来なくなってしまいました。そして一日の来店数は減少し売上げは減っていきます。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

やっとの思いで開業にこぎつけてから半年が過ぎた冬。

開業当初こそ新しいラーメン店への興味から来店するお客様も多かったのですが、三ヶ月もするとお客様もまばらになっていました。店舗近辺の住民たちが一通り食べにきた結果です。これからが本当の勝負です。あなたはいかにしてお客様に店のファンになってもらうかいつも考えています。

考えていても簡単に対策が思い浮かぶわけではありません。それでも現実問題として毎日の売上げは必要です。毎月、家賃や電気代など固定費の支払いはあるのですから…。

そんなある日、会社員時代の友人Bが食べに来てくれました。会社にいた当時、Bとはそれほど親しい間柄ではありませんでした。部署は違っていたのですが社内に一つしかない喫煙場所でたまに会うことがありそのときに競馬の話などをした程度の間柄でした。そんなBがあなたがラーメン店をはじめたという噂を聞きつけてわざわざ来店してくれたのです。あなたは笑顔で迎え、昔話に花を咲かせます。ひとしきり話し終わるとBは店内を見渡して言います。

「きついこと言うけど、あんまりお客さん入ってないですよね」

「開店一ヶ月を過ぎてからこんな感じですよ」

「そうか、大変だな。じゃ、俺知り合いをたくさん連れてくるから」

あなたは「あてにしないで待ってます」と微笑みながら送り出します。

翌週、Bは本当に知り合いを数人連れてきました。あなたはBに感激します。あなたにとって数人分の売上げがとても助かるのは間違いありませんでした。Bにしてみてもあなたに「役立てた」ことがうれしいようでした。

その後、Bはたびたび知り合いを連れて来店するようになりました。ただ気になったのはBの態度が少しずつ大きくなっていったことでした。知り合いを盛り上げようとしているようでもありましたが、少し限度を越えているようにも感じられました。大きな声で話し笑うのです。店内に響きわたるように…。Bが連れてきた知り合いが、あたかもBがこの店を支えているかのように思っても不思議ではありませんした。

Bが来店していない日の夜、レジでお金を支払った四十代のお客様があなたに言います。

「今日はいつものうるさいのいないんだ」

「はい?」

あなたは聞き返します。

「いつも声が大きくて団体で来てるのがいるじゃない」

「ああ。あの人たち私の知り合いなんですよ」

「そうか。でもあんまり感じよくないよね」

「俺の知り合いなんかこの店の味は好きだけど雰囲気が嫌だから来づらいって言ってたよ」

「もうしわけありません。今度言っておきます」

あなたは悩みます。Bが知り合いをたくさん連れて来てくれるのは感謝すべきことです。しかしそのことがお店にマイナスにも働いているのです。Bが知り合いを連れてくることが店のファンを作ることを阻害しているのです。

悩んだ末にあなたはBにそれとなく伝えることにしました。

二日後、Bがやはり複数人でやってきました。最近は飲んだあとに来ることが多くその日も飲んでいました。いつものように大声で話し始めるとあなたはBに近づき言います。

「B、もう少し小さめの声でお願いね」

あなたの声にBの周りの人が白けるのがわかりました。するとBが言います。

「なに言ってんだよ。いつも俺、食べに来てるじゃん」

口調はおちゃらけたふうですが、目が据わっているのがわかります。

「そうだよな。いつも食べにきてもらってるよな。でももう少し小さな声で…。悪い」

Bは連れに向かって言います。

「もう帰ろ! こんな店いてもつまんないしさ」

結局、お会計のときもBは笑顔を見せることもなく帰って行きました。

翌日、あなたはBに電話をします。

「昨日は悪かった」

「ホント、失礼な話だよな。俺、みんなの前で恥じかかされたよ」

「ごめん。ただ違うお客様からちょっと言われちゃってさ」

この一言がBの怒りに火をつけてしまいます。

「なんだよ。俺よりほかのお客のほうが大切なのかよ」

「いや、そう意味じゃなくて。俺、Bにはホントに感謝してるよ」

「別に感謝されなくてもいいけど。俺は俺なりにおまえに少しでも役立てばいいと思ってたんだよ」

「それはよくわかる」

「じゃ、あんなこと言うなよ」

あなたは自分が折れるしかない、と思います。取りあえず、あなたがひたすら謝ることでその場を納め電話を切りました。

数日後、Bが硬い表情をして一人でやってきます。あなたは調理が終わるとすぐにBの席に駆け寄り謝ります。

「この前はごめん」

Bは返事をしません。あなたは仕方なく厨房に戻ります。

ほかのお客様が誰もいなくなったときあなたは再びBの席に行きます。

「本当にごめん」

「俺はね、おまえのことを思って店に来てたんだよ。別にここの店の味が特別好きってわけでもないんだ」

あなたはこらえます。

「だいたい、おまえが『お客さんが少ない』って言ったのがはじまりだろ」

「そうだけど…」

「俺が知り合いを連れて来なかったらこの店、とうの昔に潰れてたんじゃない」

この言葉にはあなたもさすがに反論します。

「ちょっとB、それは言い過ぎだろ」

「俺は事実を言ったまでだよ。違うか?」

売り言葉に買い言葉です。あなたとBは強い口調で言い争います。ついにあなたは言ってしまいます。

「ふざけんな! おまえのおかげで俺は店を続けられてるんじゃないだよ。そんなふうに思われてる店なんか続けてても意味ねぇや。こんな店やめてやる!」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

開業して一年を過ぎようとしていた春。

あなたはラーメン業にも少し馴れ落ち着きはじめています。

夜八時頃に一人の中年男性が来店します。最近、よく見かける方で入店の際は軽くあいさつをする程度になっていました。ここまでの関係になると注文の仕方も決まってきます。

「いつものお願いします」

「いつもの」という言葉は常連である証拠です。普段は食べ終わったあと新聞、雑誌などを二十分ほど読んでから帰ります。しかしその日は新聞、雑誌を読むふうでもなく普段と違っていました。「話しかけてほしい」そんな雰囲気がありました。あなたはほかにお客様がいなかったこともあり話しかけます。

「いつもありがとうございます」

それから世間話がはじまり男性も気持ちよさそうに会話を楽しんだあと帰りました。会話の中で男性の名前がCさんであることもわかりました。次からはお客様のいない、もしくは少ないときは必ず会話をするようになります。男性の話し声は優しい響きでほかのお客様にも不快感を与える感じではありません。あなたは少しずつ心を許していました。

そんな関係になった一ヶ月後、男性は世間話をしたあと改まった感じであなたに言います。

「ちょっと、明日までに三万円必要なんだけど貸してもらえないかなぁ」

あなたは返事に窮しますが、常連客であることや感じのいいタイプであること、そして「明後日には返す」ということで貸してしまいます。金額も微妙な額でした。これが十万円という金額であれば断れるのですが、三万円という金額はガードを低くする金額です。

二日後、Cさんはきちんとお金を返済してくれました。しかもお礼にといつもより豪華にお金を使ってくれました。

それからしばらくは普通の常連客として、と言うよりは、お金を貸したことがある仲ですから常連客以上のお客様として接していました。実際、来店頻度も多く食べる金額も高いものでした。

一ヶ月後、

「大将、またお金貸してもらえないかな。来月お金が入るんだけど明後日までに十万円足りないんだよね」

あなたは「十万円」という金額にやはり躊躇います。しかし前回と違ってCさんとのつき合いが深くなっていました。一度、飲みに行ったこともあります。心の中の「躊躇い」を隠して言います。

「今日は無理だけど明日でいい?」

「もちろん。悪いねぇ」

次の日、あなたが封筒に入れたお金を渡すときCさんは「これ以上ない」という笑顔であなたにお礼を言います。

「必ず、来月返しますから。ホントにありがとう」

お金を借りたあともCさんは普段どおり食事に来ています。あなたはある意味安心です。翌月Cさんは約束どおり返済してくれました。Cさんとの仲はより一層親しく深くなっていきます。

その後もお金の貸し借りはたまに起こるようになりますが、Cさんは必ず返済していましたので不安になることはありませんでした。反対に自分が「Cさんの友人として役に立っていることがうれしい」とさえ思うようになっていました。

ある日、Cさんが沈んだ顔で来店します。あなたは尋ねます。

「今日は元気ないですね?」

「ちょっとねぇ」

「どうしたんですか?」

「実はさ、仕事が壁につきあたっちゃって…」

Cさんはそう言うと食べ終わったラーメンのスープをレンゲですすります。あなたは元気づけようと言います。

「仕事って壁がありますよね」

Cさんが顔を上げ上目遣いに言葉を選びながらあなたに言います。

「大将、二百万円貸してもらえないかぁ?」

あなたは金額の大きさに驚きます。そして返事をする代わりに奥さんのほうを見ます。奥さんは、あなたがCさんと親しくなりすぎるのをあまり快くは思っていませんでした。Cさんも奥さんのほうをチラッと見てあなたに続けます。

「大将、必ず返すから。今までだってちゃんと返したし…」

「金額が金額なのでちょっと考えさせてもらえますか?」

その日の夜、あなたは奥さんと言い争いになります。二百万円という金額はあなたと奥さんが必死に一年間働いて貯めた通帳の金額と同額です。奥さんは絶対反対です。あなたは友情と一家の大黒柱としての立場との間で悩みます。結局、奥さんの必死の形相が功を奏しあなたは奥さんの意見に従うことにします。

次の日、Cさんが食べ終わった頃を見計らってあなたは話しかけます。奥さんは厨房の奥に引っ込みました。

「昨日の話なんですけど…」

「貸してもらえるの?」

「いや、それがなんですけど。うちもちょっと苦しくて…」

Cさんの機嫌が悪くなったのがあからさまにわかりました。あなたは謝ります。

「すみません、役に立てなくて…」

「なんだひどいよなぁ。これまでずっと親友だと思って食べに来てたのに…」

あなたは返事ができません。

「もうちょっと考えてみてよ」

厨房の奥から奥さんがあなたを見つめているのがわかります。

「やっぱり無理です。すみません」

「なんだよ!」

Cさんは投げやりな態度でお金を払うと出ていってしまいました。

奥さんが厨房から出てくると言います。

「よかった。ちゃんと断れて」

翌日も翌々日もCさんは来店しませんでした。あなたはCさんのことが気にかかり心配します。しかし奥さんは逆に安心したようです。

三日目、Cさんが友だちらしき人を連れてやってきました。連れの人もCさんと同じくらいの年令の人です。あなたはできるだけ笑顔であいさつをします。しかしCさんはそれに応えることはなくいつもとは違うテーブル席に座ります。

あなたは店内にいつもと違った緊張感を感じます。

ほかにもお客様が数人いて普段より店内は混んでいました。あなたはできるだけCさんたちのことは気にしないように調理をしています。奥さんが近寄ってきて囁きます。

「ラーメン持って行ったとき私のこと睨み付けるような目をしてた」

あなたはうなずきます。しばらくしてCさんの連れがあなたを大声で呼びます。

「ちょっと、大将」

あなたが駆け寄ると連れの人は店内中に聞こえるように言います。

「このスープなんか変な味がするんだけど…」

「えっ?」

あなたはスープの味を確認します。

「当店の味ですけど…」

「ええっ! これで普通なの?」

「はい…」

Cさんは何も言わずただあなたを見ているだけです。二人は食べ残したままお金を放り投げるようにテーブルに置くと帰って行きました。

その日はなんとも重い気分で店を終了します。奥さんが言います。

「Cさん、ひどいね」

「そうだよなぁ」

あなたたちはそれ以上会話はなく帰宅します。

次の日、Cさんがまた来店します。また昨日とは違う連れの人を連れて…。昨日と同様、無愛想な表情で席に着きました。あなたと奥さんに緊張感が走ります。二人が予想したとおり連れの人があなたを呼びました。

「チャーシュー、なんかおかしくない?」

あなたは昨日と同じ会話を繰り返します。Cさんの態度も昨日と同じです。

Cさんの知り合いを連れての来店はその後も続きました。

あなたと奥さんの忍耐も限界に近づいた頃、奥さんが布団の中から涙声であなたに言います。

「どうしてCさんと仲良くなったの?」

その後、奥さんはストレスの限界を越えてしまいます。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

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