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1.開業前

社会に出て7年を過ぎた春、あなたは会社で働いていて組織に縛られ自分の思い通りに仕事が進められないことに苛立ちを感じています。そして少しずつ「自分の裁量で仕事を決められる」独立を考えるようになります。それはあなただけではありません。あなたの同年代の違う人は「給料が労働時間に比べて割に合わない」と思い、「いっそのこと独立して自分で経営したほうが収入が増える」と考えます。また違う人は働く時間を自由に決められる自営業に憧れて独立を考えます。

独立を考えるきっかけは人それぞれです。そして考えること自体は自由です。しかし独立するにはお金がかかります。そう、資金です。資金がなければなにもはじまりません。何年もかけて貯めた資金は重みがあります。その重みは年数が長ければ長いほど増します。独立の意志の強さが表れるからです。しかしもし自分で貯めた資金でないならその資金は重みがありませんからすぐに飛んで行ってしまいます。資金は自分で貯めたお金に限ります。それがないならその時点で独立に失敗します。

余程多くの報酬を得ている人でなければ独立に必要な資金を全て貯めることは不可能です。ほとんどの人が自分で貯めた資金以外に開業資金を借り入れに頼ることになります。もし開業資金が全て揃うまで独立を我慢するならそれも失敗します。年数が過ぎてしまい精神的体力的にピークを越えてしまうからです。これは実年令ではありません。独立への思い入れに対する年数です。二十才代であろうが四十才代であろうが関係ありません。年数は三年くらいが限度です。

独立には自分で貯めた資金以外に借入金を得ることも必要ですが、最初に考えるのが身内からの借り入れです。例えば親であったり兄弟姉妹であったり、つまり親類にあたる人たちに借金を申し入れることになります。

ここがポイントです。親類といっても親密さはいろいろです。数年に一度会うくらいの親類から、一年に数回は必ず会う親類までいろいろのはずです。そのような関係の中で借金を申し込むのですから薄い親密さの親類に申し込めるはずはありません。とても濃い親密さの親類にお願いするに決まっています。

しかしいくら普段親しくしている親類でも借金をお願いされるのを喜ぶ人はいません。今、あなたがやろうとしていることは必ず成功するとは決まっていないからです。親しくしていられるのはあくまでお互いの利害関係がないことが前提だからです。万が一でも失敗したなら損失が自分にまで及ぶとなるとほとんどの人は腰を引きます。それが親類です。血縁関係のない友人であるなら責任を負う範囲は限られてきますが、親類であるだけに「無制限に責任を負うことになるかもしれない」という不安が沸き上がります。それだけに余計借金を引き受けることができないものです。借金を申し込むなら今までの親密さを失う覚悟を持つことが必要です。その覚悟が持てないなら申し込むべきではありません。強行するなら独立は失敗します。

仮に、運良く親類が資金を貸すことを了承してくれた、とします。しかしそれでも安心してはいけません。実際にお金を手にするまでは安心してはいけないのです。それは了承をしてから実行するまでの間に親類の心が揺れるからです。金額は十万や二十万円ではないのです。数百万円単位なのです。あなたに貸す数百万円はその親類がやっとの思いで蓄えたお金です。親類の人はラーメン店という業種について、脱サラが成功するかどうかについて、必ず調べます。知り合いの銀行の人に尋ねるかもしれません。または知り合いの知り合いがラーメン店をやっている友人に聞くかもしれません。調べれば調べるほど不安材料が多いことを知ります。

親類の人は了承したあとに日数が経てば経つほど不安が強くなってきます。そしていろいろな質問をあなたにしてきます。仮にあなたが質問に完璧に答えられたとしても不安は決してなくなることはありません。そしてついに断りの電話をしてきます。あなたはその頃は借り入れが行われることを前提に話を進めています。物件も決まりあとは保証金を入れるだけの段階かもしれません。または内装の工事がはじまっているかもしれません。そのような段階で断られてもあなたは困るだけです。親類との親密さはなくなっているでしょう。

借金を申し込む相手は「お金が返ってこなくても諦める余裕や度量」がある人にしかしてはいけません。もしそのような人があなたの周りにいないのにラーメン屋をはじめようと考えるならあなたは失敗します。

金融機関に借り入れを申し込むとしても同じです。あなたに資産があるなら問題はありません。しかしそうでないなら親類に借金を申し込むのと同じです。金融機関はあなたの保証人になる人を求めてきます。保証人はやはり親、兄弟姉妹にお願いすることになります。同じ結果となります。

ラーメン店で独立を考えるときあなたが独身であるならやはり失敗します。ラーメン店は人海戦術の仕事です。あなたのほかにあなたと同じくらいの強い気持ちでラーメン店を開業することを考えている生計をともにしているパートナーが必要です。そう!「生計をともにしていること」が必須の条件です。

あなたが「仲のよい友人知人と組んでもうまくいく」と考えているなら必ず失敗します。仮に「生計をともにしていないパートナー」が見つかり、しかもそのパートナーがあなたと同じくらいの資金を用意できるなら「生計をともにするパートナー」より成功する確率が高い、と考えてはいけません。利益の分配で仲違いします。たくさん儲かっているときは揉めることはありません。しかし売上げが減少し利益が減ったとき揉めます。それは突然揉めるのではありません。利益の減少とともに不満が少しずつお互いの心の中に澱となって溜まってきます。そしてなにかのきっかけで爆発します。資金は自分一人で用意するのが基本です。

どうしても生計をともにしていないパートナーと開業せざるを得ない場合、そのパートナーとの上下関係も大切な要素です。対等な立場は失敗する確率が最も高い関係です。パートナーとは開業する時点ですでに上下関係が決まっている関係がベストです。心の中に溜まる澱の量が違ってきます。例えばパートナーが学生時代の後輩ならそれまでの間に先輩に対する服従心ができあがっていますので澱はほとんど溜まりません。パートナーが「生計をともにしていない」相手なら後輩が一番理想的な相手です。しかしそれも三年が限界です。遅くとも三年の間にラーメン店という商売を企業にしていなければいけません。それができないなら次のようなことが起こります。

先輩ですから後輩にいろいろなことをやらせます。先輩は偉い立場ですから辛い面倒な仕事を後輩にやらせて自分は楽な仕事をします。例えば後輩が寸胴を洗い床を磨いているときに先輩は椅子に座って一日の売上げを計算しています。または後輩が必死に仕込みをやっている間に誰かと長電話をしています。後輩は三年間はこうした不公平感もそれまでの上下関係がありますので当然のように思い不満も感じません。ところが後輩がたまたま昔の友だちと会って今の仕事について話しているときその友だちが言います。

「おい、なんかおかしくない? おまえばっかり損してんじゃん」

友だちの何気ない言葉が後輩の心を揺さぶります。そして少しずつ澱が溜まるようになります。その時期が三年後くらいです。こうなると後輩が爆発するのは時間の問題です。

これは会社の元上司部下の関係においても同じです。会社の元上司部下の関係の場合は爆発するまでの時間がもっと短くなります。上司部下という関係は会社という多くの社員がいる組織内のことでしか通用しません。ラーメン店という小さな世界ではすぐに壊れてしまいます。息抜きする空間も時間もとれないからです。

パートナーが「生計をともにしている」相手であることは必須条件です。

「生計をともにしている」パートナーと言えば妻になります。それ以外となると一緒に生活している親、もしくは兄弟姉妹です。親をパートナーにする場合は年令が問題となります。親はあなたより二十五才くらい上の年令です。身体が続きません。もしあなたが優しい性格で親の分まで働くとしても無理があります。

先ほど「ラーメン店は人海戦術の仕事である」と書きましたが、親をパートナーにした場合は人海戦術ができなくなります。

ラーメン店が一番混雑するお昼時を想像してみましょう。いっぺんに多くのお客さんが入ってきてたくさんの人が同時に注文することなど日常茶飯事です。そのときあなたは注文をとりながら調理をしながらお会計もすることは不可能です。これらの仕事のうちいくつかはパートナーに担当してもらう必要があります。もし自分ひとりでやるなら注文を受けてからラーメンを出すまでに長い時間がかかってしまいます。それではお客様が満足するはずもありません。二度と店にはこないでしょう。あなたは親に向かって怒るはずです。

「なんでちゃんとできないんだよ!」

パートナーが親より若い兄弟姉妹なら人海戦術はできます。しかしラーメン店を開業するという強い意志があるかどうかが問題です。ラーメン店は時間に縛られる仕事です。自分の自由な時間が少なくなることは必ずストレスの原因になります。もしかすると「少なくなる」だけでは済まず「なくなる」可能性もあります。強い意志がないなら若い男性女性には苦痛となることは容易に想像できるはずです。

もし強い意志があったとしても問題はあります。それは結婚です。結婚した時点で「生計をともにした」パートナーではなくなるのです。もし兄弟であれば一家を支えるだけの収入が必要となります。そうなると先ほど書きました「友人・知人」と同じ結果となります。姉妹であればパートさんと同じ就業条件となります。パートさんは家庭の都合を優先させます。店で働ける時間は少なくなりパートナーに相応しい働きを求めることはできません。

もしかしたら兄弟姉妹は結婚をしないかもしれません。それでもうまく行くとは限りません。あなたが兄弟姉妹をパートナーにすることによって、あなたは兄弟姉妹の将来を狭めてしまうのです。奪ってしまうのです。彼らにラーメン店以外の世界を知らないまま年をとらせてしまうのです。兄弟姉妹はある年令に達したとき必ず考え込みます。

「私の人生ってなんだったのだろう…」

あなたが強引に彼らが抱くこの思いを抑えつけるなら必ず店は破綻します。抑えつけないなら彼らの中に澱が溜まります。最終的には爆発します。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

あなたが既婚者でそのうえ奥さんが健康で働き者だったとします。これでやっと第一段階はクリアできます。あなたは奥さんを説得しなければなりません。

奥さんにも二通りのタイプがいます。

(A)夫がサラリーマンをやめることをそれほど真剣に考えていないタイプ、と

(B)毎月決まった給料が入らなくなることに不安感を持つタイプ

です。

(A)のタイプの奥さんは説得するほどの努力も必要なくあなたの意見に賛成してくれるでしょう。ある意味うれしいことです。しかしこういったタイプの奥さんは社会の厳しさを実感していないケースがほとんどです。いざ始めたあとから「こんなはずではなかった」と思い始めます。夫がサラリーマン時代は家の中で仕事の話などする必要がありませんでしたから家ではくつろぐことができました。事業主になるとそうはいきません。家で食事をとっているときでも仕事の延長となります。テレビを見ているときでも仕事の話をしなければならなくなります。

せっかくの休業日も結局買い出しに行ったりして仕事絡みとなります。奥さんは友だちと遊ぶこともできなくなってきます。息が詰まります。

奥さんと働いているあなたは奥さんの仕事ぶりに満足はしないはずです。あなたの考えている仕事観とは相容れない仕事のやり方をすることもあるはずです。家で食事をしているとき、休業日にゆっくりしているときあなたは奥さんに文句を言うはずです。必ずあなたは言います。あなたは強い決意でラーメン店を繁盛させようとしているのですから…。

奥さんは我慢、辛抱を強いられます。それが奥さんをイライラさせます。夫婦喧嘩が始まります。口をきかなくなるでしょう。

夫婦喧嘩はどこの家庭でもあります。夫がサラリーマンであるなら夫婦喧嘩をしても翌朝が来ると夫は会社に行きます。夫婦は日中の間は顔を合わせることもありません。この間にお互い冷静になることもあるでしょうし、夫は会社帰りに同僚と遊んだりして気分転換をはかることもできます。これは奥さんも同様です。夫のいない間に友だちに愚痴ったり、またはテレビの人生相談を聞いて反省することもあるでしょう。夫がサラリーマンである場合はこのようにして夫婦喧嘩は収まるものです。例え日数がかかることがあるにしても…。

しかしラーメン店を営業している場合はそうはいきません。喧嘩をしていてもラーメン店という同じ仕事場で顔を合わせ一緒に働かなければならないのです。サラリーマンのように気分転換をはかる時間もないのです。ときによっては一緒に働いていることによって喧嘩が深く長くなることもあります。仲直りをする機会を逸してしまいます。それが高じるといつしか心は離れ離婚さえ考えることもあります。

ここまでくるとラーメン店の業績にも影響がでます。お店の雰囲気は働いている人の雰囲気がそのまま出るものです。お客様は不審に感じ満足しないまま帰ることになります。売上げは徐々に落ちてきます。固定費をまかなうことさえできないほど売上げが落ちたとき夫婦は初めて話し合います。

「このままじゃ、俺たちダメになるよな」

もしかすると仲直りはするかもしれません。しかしラーメン店を続けることには二人とも抵抗があるでしょう。

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

(B)のタイプの奥さんの場合は説得するのに容易ではありません。ほとんどの奥さんが言います。

「私は商売人と結婚したつもりはない。あなたがサラリーマンだから結婚したのだ」と。

あなたは奥さんをあの手この手で説得するはずです。なぜならあなたの心はもうラーメン店の店主になることで占められているのですから。一国一城の主になることしか頭に浮かんでこないのですから。

あなたはなかなか「OK」を出さない奥さんに頑張ってねばり強く説得します。それでも奥さんは反対します。

ある日、あなたは会社でミスをして元気をなくして晩ご飯を食べています。その様子を奥さんは食器の後片づけをしながら背中越しに見ています。

数週間後、あなたは寝言で「ラーメン一丁…」と言うでしょう。たまたま目が覚め水を飲みに行って戻ってきた奥さんはその寝言を聞いてしまいます。翌日、奥さんは晩ご飯を食べているあなたに向かって言います。

「あなた、そこまで思ってるならいいわよ」

こうやってあなたはラーメン店を開業することができます。

(B)のタイプの奥さんは一端決定すると一生懸命サポートしてくれます。元来、ものごとを冷静に判断するタイプですからいろいろな面で一緒に考えてくれ行動してくれます。もしかするとあなたより一生懸命ラーメン店について勉強するかもしれません。そうなるとあなたより積極的になります。

ここまできたら開業するまでは安泰です。あなたには力強いパートナーがいるのですから開業に向かってスムーズに進むでしょう。ところが…。

この(B)タイプの奥さんは(A)タイプの奥さんのようにラーメン店を開業することを軽く考えていたわけではありません。ですから、例え夫婦喧嘩をしても「早く仲直りする必要性」をわかっていますし収めるコツをわきまえてもいるものです。ラーメン店で独立することについて勉強さえしているのですから夫婦喧嘩ごときで失敗することはありません。

開業して半年を過ぎた頃、お店の売上げは一度下がります。そしてなかなか思うように売上げは上がりません。すると今後のやり方について二人で話し合います。(A)タイプの奥さんなら経営について真剣に考えませんので問題は起きません。しかし(B)タイプの奥さんのようにラーメン店経営について勉強をして真剣に考えている奥さんのケースでは対立が起きます

あなたと奥さんの間に経営についての意見の相違が対立の原因です。この対立は単純な夫婦喧嘩とは異なり奥が深い種類の対立です。単なる夫婦喧嘩なら奥さんは収めることができますが、原因が経営の問題ですので奥さんも安易に収めることができません。経営の問題ですから二人の間には険悪な雰囲気が生まれます。(A)タイプ奥さんのときと同じように険悪な雰囲気はお客様に伝わります。

ある日の営業時間を終えたとき看板の電気を消し暖簾をしまいながら奥さんはあなたに言うでしょう。

「ちょっと話があるの」

店を閉めたあとの店内であなたは奥さんとテーブルを挟んで向かい合います。

「お店に店長は二人はいらないわ。私やめようと思う」

あなたは驚きます。なんとか翻意させようと説得します。それに対して奥さんは反論し、あなたと言い合いになります。そして最後に言います。

「私はやりたくなかったのにあなたが『どうしてもやりたい』って言うから…」

あなたはこうやってラーメン店に失敗します。

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