1. 細胞の定量生物学
細胞は、さまざまな環境から「入力」となる刺激を感知し、その情報を細胞内の「システム」によって処理し、最終的に細胞の増殖や分化といった表現型を「出力」して機能を発揮しています。細胞のまわりの環境は一定ではなく常に変化しています。例えば、生体内では、細胞のまわりの環境が不均一だったり、時間的に揺らいでいたりすることもあるでしょう。そういったときにも、細胞は環境の変化に適応し、そのときどきで最適な表現型を出力することで、細胞として、もしくは個体として生存しています。
それでは細胞はどのようにして入力シグナルを情報処理しているのでしょうか。私たちは、細胞の中で起こっている化学反応の連鎖、つまり反応ネットワークがその情報処理「システム」の実体だと考えています。この細胞内で起こってる化学反応のネットワークは「細胞内シグナル伝達系」と呼ばれています。細胞内シグナル伝達系は、シグナル伝達タンパク質の相互作用(結合や解離)や触媒反応(リン酸化やユビキチン化など)といった化学反応で構成されています。ひとつひとつの反応はシンプルですが、それが組み合わさることで入力信号を効率よく伝達したり遮断したり、時には増幅したり分岐させたりといったように多様なふるまいを示し、その結果として情報が伝わるのです。
細胞内シグナル伝達系は一見すると電気回路ととてもよく似ています。電気回路は入力となるスイッチを入れると目的の出力が得られるように設計されています。電気回路を人間の思った通りに設計できるのは、その要素(抵抗やコンデンサーなど)の情報がわかっており、システムとしての振る舞いが予測・検証可能だからです。細胞内シグナル伝達系はこの数十年の研究でその構成要素はかなりわかってきましたが、それぞれの素反応の情報(電気回路でいう抵抗値や電気容量など)が正確に測定されていないために、細胞内の反応をシミュレートすることが困難です。
そこで私たちは、細胞内シグナル伝達系を構成する反応を定量的に測定する技術を開発し、細胞のなかで起こっている反応とその動作原理を定量的に理解しようと考えています。また動作原理を理解し、それを光や化合物で制御することで細胞のふるまいを操作することにも興味を持っています。将来的には、細胞のふるまいをコンピューターで予測し、癌といった疾患の制御を目指します。
具体的には、細胞周期や細胞死、細胞分化の制御にかかわる細胞内シグナル伝達系の定量解析を行っています。主に培養細胞をつかっていましたが、最近は分裂酵母をつかった解析も始めました。手法は、ライブセルイメージングにこだわります。蛍光プローブの開発や細胞内反応パラメーターの定量化技術の開発も行います。最近は光遺伝学やケミカルバイオロジーの手法を用いて、細胞を操作するにもトライしています。もちろん、一般的な分子遺伝学(DNAワークなど)、生化学(ウェスタンブロッティングなど)、細胞生物学(免疫染色など)などの手法も利用します。
Kunida, K., et al., Journal of Cell Science, 2012
上皮細胞増殖因子EGF-Ras-ERK MAPキナーゼシグナル伝達系の定量的シミュレーションモデルの構築