映画『鱗のない魚』レビュー

投稿日: 2018/01/26 3:06:57


文 東英児

映画『鱗のない魚』は、わずかにピントをズラして撮影されている。

その影響か、陽射しが強い場面では白い膜越しに世界が見える。

淡い光の中で、一人の女性が語る。美容室を転々と変えては、その都度別な自分を演じてると。演じることで自分を偽り隠す。ピントのズレは一時の安全地帯の表現なのかもしれない。

登場する女性たちは過去に心的外傷があり、今も歪む社会を歩き、時に妄想の世界に避難する。

不意に現れる、弛んだ裸体の断片は強烈だ。女性の憎悪の対象だから、繰り返し繰り返しフラッシュバックする。

感情は自由に制御できるわけでもなく、ましてや肉体を自在にあやつれるわけではない。不自由さが生きるということだろうけど、過敏に受け止めるほど肉体と心が剥離して神経が疲弊する。誰にでも起こり得る自問自答の感覚や、こうなら良いなという理想の自分像は、いつでもこころの中で浮遊していると思っていい。

終盤、二人がすれ違うシーンでは一人の女性が初めて感情を表現する。匿名な二人がバランスを取り戻して行けるかもしれない。成長の姿に映る。