虚構としての『ハクソー・リッジ』

投稿日: 2017/08/09 3:08:32


文 世良利和

ネタバレありの問答無用!

メル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』(2016)の日本封切りは、「慰霊の日」の翌日というタイミングだった。また沖縄戦が描かれるにもかかわらず、ポスター(上画像を参照)を含めた予告宣伝はほとんどそのことに触れなかった。こうした宣伝・公開戦略については賛否両論あったが、そもそもギブソン監督は「沖縄」にまったく興味を示していない。

この映画の主人公は、沖縄戦の活躍で名誉勲章を授与されたデズモンド・ドスという実在の人物だ。ドスは信仰上の理由で武器を持つことを拒み、丸腰の衛生兵として沖縄に派遣される。そして浦添丘陵一帯をめぐる激しい攻防戦の中で、負傷した多くの仲間を運び、ロープで崖下に降ろして救出した。1995年に沖縄を再訪したドスは『琉球新報』の記者からインタビューを受け、自身もこの戦闘で負傷して5年半の入院を余儀なくされ、PTSD症状に悩まされた、と語っていた。

映画の冒頭で「真実の物語」と謳われていたと思うが、もちろんその「真実」はいくつもの「虚構」によって支えられている。戦闘場面のロケはオーストラリアで行われており、映像から沖縄らしさを感じることはできない。なぜか太り気味の日本兵が目立ち、しかもエキストラの多くは顔つきから判断して中国系だろう。ドスたちが登る絶壁の誇張された描写や戦闘の位置関係にも疑問が残る。

またドスは沖縄の前にグアム島やレイテ島での戦闘に参加し、勲章を授与されているが、映画はそのことに触れていない。では一体なぜ沖縄戦のみが描かれたのか。それはおそらく「ありったけの地獄を集めた」沖縄戦をリアルに描くことが、ドスを引き立てる格好の背景となるからだ。ギブソン監督にとって、沖縄はそれ以上の意味は持っていない。

そしてもう一つ忘れてはならないのは、ドスが志願兵であり、決して反戦主義者ではない点だ。自分では一人の敵も殺さないが、仲間が武器を使うこと、敵を殺すことは非難しないし、自分自身も仲間の武器によって守られている。そこにこの映画の最大の「虚構」がある。

本作はアメリカ側から見た英雄譚であり、突撃してくる日本兵は不気味なエイリアンと同じく恐怖と憎悪の対象でしかない。これは先住民の残忍さを描く西部劇やジョン・ウェインの反共プロパガンダ映画『グリーン・ベレー』(1968)などと同じだ。さらに言えば、本作は米軍統治下の沖縄でロケが行われた『戦場よ永遠に』(1960)とよく似た構造をしている。半世紀以上前の映画だが、興味がおありの方はこちらもぜひご覧いただきたい。

画像出典:映画『ハクソー・リッジ』公式 on Twitter