沖縄映画研究会 第1回研究発表会 報告書

投稿日: 2017/09/14 22:09:35

開催日時 • 2017年9月9日13時~17時

開催場所 • てんぶす那覇3階 会議室②+ギャラリー

参加人数 • 40名

(総評)

当初は20名程度の参加を想定していたが、新聞各社に報道してもらったこともあって参加希望者が増えたため、急遽会場を拡大して対応することになった。参加者の顔ぶれは上映活動グループ、映画監督、研究者、映画ファン、テレビディレクター、映画専攻の学生、演劇関係者、フィルム修復会社など多様で、当会のめざす沖縄映画をめぐる幅広い連携の第一歩となった。

また当日は新たに入会していただいた方も多く、現時点での会員数は36名(うち賛助会員1社)となっている。ただし運営面ではスタッフの人数が少なく、準備不足とあいまって至らない点が多かった。今後は運営スタッフも募りながら、会員から出た要望にもできるだけ応えていきたい。

(会場入り口)
(準備風景)


(会場入り口) (準備風景)

13:00- 開会のあいさつ 沖縄映画研究会代表・世良利和

13:10- 研究発表 ①「沖縄映画、ジャンルとして」 藤城孝輔(字幕翻訳家、映画学博士)

沖縄映画とは何かという問いをめぐる批評家の言説を整理した上で、主に新聞などに表れた「沖縄映画」という言葉の使われ方・意味を分析し、この言葉が1980年代の終わりから使われてきたこと、「沖縄を舞台とする映画/沖縄出身者が作った映画」という二重性を持つことなどを確認した。またクロード・ガニオン監督『カラカラ』(2012)の予告編の比較分析により、予告編の日本版では沖縄が持つ癒しの島としての観光イメージに重点が置かれていることを明らかにした。

13:35- 研究発表 ② 「ハリウッド初沖縄ロケ映画『戦場よ永遠に』」 名嘉山リサ(沖縄高専准教授)

フィル・カールソン監督『戦場よ永遠に』(1960)は、サイパン戦で多くの日本兵・日本人を救った米海兵隊員の実話を映画化した作品だ。戦闘場面などの撮影は米軍統治時代の沖縄で行われており、初めて沖縄ロケが行われたハリウッド映画となった。本発表では米国公文書館の資料や新聞報道、現地関係者の日記などを分析しつつ、在沖海兵隊、国場組、応募したエキストラ、地元自治体などによるロケ協力の様子やその影響について明らかにした。

14:00- 研究発表 ③「金城哲夫の『吉屋チルー物語』」 世良利和(映画批評家、芸術学博士)

『吉屋チルー物語』(1963)は、若き金城哲夫が円谷プロで活躍する以前に沖縄で手がけた自主制作映画だ。本発表ではその製作の背景を探り、特に沖縄芝居の平良良勝との関係に注目した。また本作の制作時期については、哲夫の自筆台本などを踏まえながら1961年から63年にかけて断続的に行われた可能性を指摘した。現在、本作のポジプリントは修復およびデジタル化されている最中であり、シネスコに近いサイズのより鮮明な映像が新たな発見につながるであろう。

研究発表①
研究発表②


研究発表① (宮平貴子提供) 研究発表②(平良竜次提供)

14:25- 短編上映 『わたしの宝もの』 (宮平貴子監督、2016年)

14:45- 宮平貴子監督を迎えての質疑応答

『わたしの宝もの』は沖縄県フィルムツーリズム推進事業で公募制作された短編。上映後は制作にあたっての制約についての質問が出たほか、宮平監督からはちょっとした制作裏話や主演した子役たちについての紹介があった。また監督自身が立ち上げて第4回を迎える「こども国際映画祭in沖縄(KIFFO)」の上映作品の予告編も上映された。

『わたしの宝もの』の上映
上映後の質疑応答


『わたしの宝もの』上映 上映後の質疑応答

15:15-17:00 参加者全員による交流会、活動紹介ほか

研究発表・映画上映後のフリートークでは、沖縄県内で活動する自主上映グループからの告知やシネマラボ突貫小僧による映画館跡地巡りの案内があった。また『戦場よ永遠に』を取り上げた名嘉山リサ氏の研究発表について、同作に少年役でエキストラ出演した名桜大学名誉教授・仲地清先生よりコメントも頂戴した。

18:00- 懇親会(会場は栄町の「いまきの芽」)

場所を移して行われた懇親会には12名が参加して親睦を深めるとともに、初対面同士の間でも活発に情報の交換が行われた。