今大会は新潟県で開催されました。大会前日から上越教育大学で行われた講演会に参加したこともあり、3泊4日の長旅となりました。大会前日は雨風強く、引き返す飛行機などありましたが、初日以降は晴れ間が広がり、過ごしやすいお天気でした。
天候は回復したものの、私の温感としては「結構寒い」といった感じで、思わず大会初日にも関わらず、ユニクロでコートを買いました。会場で大会会長(神村先生)に「ワークショップ漏れちゃったの?」と声を掛けられたのですが、さすがに「ユニクロでコート買ってましたテヘ」とは言えずに、お茶を濁しました。
それでは大会前日の講演会から、ふり返っていこうと思います。
■大会前日:9月28日
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上越妙高駅で食べたお昼ご飯。美味しかった。
▼講演:幸せと心配の心理学:明日から使えるテクニック(竹林先生)
幸せ(ポジティブな感情)が人の健康に影響を与えているという話から、幸せと心配ごと(ネガティブな感情)とのバランスが大事という話まで、研究をもとに紹介されていました。
「Don’t worry, Be happy」よりも、「Be worry, Be happy!」という考えの方が、臨床上では大事な視点になるのでしょう。「ネガティブと向き合う力は人生を支える土台として必要」という言葉には、なかなか力強さを感じます。
・「心配とうまくつき合う」テクニック
心配ごとを「現実的―仮説的」のいずれかに分類することは、使えそうなテクニックだと思いました。心配ごとが現実的なら問題解決をすればよいけれど、将来起こるかどうか分からない、考え続けていても何も変わらないことについては、「心配しにくい状況」を作った方が良いとのこと。行動活性化技法やマインドフルネスは、心配しにくい状況をつくる手立てとして、挙げられていました。
・「幸せを見つめて、留まり、育む」テクニック
拡張形成理論をもとに、ポジティブ感情が健康や寿命に繋がる働きについて説明されていました。しかし行動活性化等によって、ポジティブな感情を体験できても、それを台無しにする認知(Dampening)が出てくることがあるらしい。
マインドフルな状態は、Dampeningから距離を置いたり、視野を広げたりすることで、ポジティブな感情に留まりやすくする作用があるようです。そもそも知覚的な視野の広がりとポジティブ感情は相関があるようで、マインドフルな状態を作ること自体が、ポジティブ感情へ作用するような気がします。
抑うつ傾向が高い方の中には、気分が晴れ渡るような出来事を追い求めている場合があります。そういうときには、少し視野を広げてみて、ストレスフルな状況の中にあるマシな部分を探してみても、良いのかもしれません。SFAの例外探しに近いかも。
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夜は懇親会に参加したあと、田中先生(上越教育大)の車で、新潟まで送ってもらいました。ありがとうございました!
■9月29日
▼ケーススタディ2:引きこもり青年への長期にわたる関わり支援と家族教育―動機づけ面接を用いた事例研究(岡嶋先生)
本人と家族に対して、数年越しの支援を続けた結果、引きこもりと強迫症の問題が軽快していったケースでした。MIFTを用いた家族支援は、ブリーフサイコセラピー学会でも聞きましたが、改めていいなと思いました。機会があれば使ってみたいところです。
セラピストが提供した情報を、家族がうまく扱えていないというアセスメントから、情報量を絞るタイミングがあり、このあたりは、情報収集なり観察なりをしっかりする必要があるように思いました。
指定討論では杉山雅彦先生がコメントされており、とくに家族および本人の「決断」について、ディスカッションを促していました。おそらく杉山先生が求めるほど、議論は盛り上がりませんでしたが…「決断する」というのは、どういう行動で、どんなことが影響しているのか、そのあたりを掘り下げたいようでした。
実際に、当初はセラピストに対して、家族さんは過剰に「これで良いのか」を確認していたものの、セラピストが「(ブリーフの)原則」を伝えるだけに留めることで、後半では自律的に、強迫への加担を減らすことができていたように思えました。本人さんも、セラピストとメールをするだけで精一杯だったのが、自宅訪問でセラピストと一緒にERPを実践するようになっていきました。
「決断」に関する岡嶋先生のリコメントとしては、「自宅で一緒に治療をする以前に、訪問することを許してくれた時点で、すでに治療を進める決断をしていたようだった」とのこと。
人が大きく変化をする前には、こっちに進もうという「小さい決断」が、既にいくつも揃っているように思えます。それが「YESセット」と言われるものであったり、MIにおける「チェンジトーク」といわれる部分なのだと思います。
小さな変化を起こすための話術と、小さな変化へのsensitivityを高めていくことが、臨床上では必要になるのでしょう。
▼シンポジウム:職業リハビリテーションを取り巻く認知行動療法の実践~職場への定着のための支援を考える(池田浩之先生、谷口先生ほか)
精神障碍者の方が就職しようとするとき、職場に勤めることと、職場に定着すること、両方が必要になりますが、このシンポジウムでは、とくに定着支援に焦点が置かれていました。
谷口先生の話題提供では、「こころのレントゲン構築プロジェクト」の取り組みが紹介されていました。とくに強調されていたのは、医療・労働支援者・職場・当事者間の「対話」の重要性でした。現状では、当事者のいないところで職場復帰の話が決まってしまうこともあり、当事者が「自分では何も決められない」と自信をなくす要因になるとのことでした。
また、企業が支援するときに困るのは、入社当初から診断名がついている人よりも、途中から診断名がついたり、診断名はつかないけど何らかの支援を要する、といった場合が多いかも?とのことでした(まだ研究中のようです)。
(ちょっと眠くて、他の演者の御話は頭に残っておらず…)
質疑の時間がほとんど無かったので聞けませんでしたが、「企業にできる支援」には、どんなものがあるのでしょう?皆で話し合って決めればいいと思うのですが、企業への心理教育もシステムとしてあったら、企業も支援しやすいのかなと思いました。
※札幌市がこんな資料を作っていて、参考にしてます。
→『発達障がいのある人たちへの支援ポイント「虎の巻シリーズ」』(URL:http://www.city.sapporo.jp/shogaifukushi/hattatu/toranomaki.html)
ただし企業にとって「個人に支援すること」は、「個人を贔屓すること」と捉えられてしまいやすいとも感じます。実際、両者の違いを挙げろと言われても、「それは認知による」ということになるのかもしれません。
虎の巻を読んでいても思うのですが、発達障害があろうが無かろうが、指示は具体的な方が分かりやすいですし、作業の向き不向きも考慮した方が良いでしょう。支援の文脈では当然ながら「個別の支援」が強調されますが、どちらかというと「その他大勢の社員にとっても望ましい職場の在り方」を目指していけると、あるいは「支援とは全体の利益に繋がるもの」と認識できると、違ってくるのかもしれません。
そんなことを考えていた時に、“なるほど!”と思ったのが、指定討論の加藤美朗先生のコメントでした。谷口先生の発表に対して、「企業の認知変容に働きかけているところがユニーク」と表現しておられて、まさにその企業側の認知変容が、職場定着という領域では、今後必要になってくるように思いました。
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夜は、CBTセンターへ就職された料崎先生と飲んだ後、同年代のグループと合流しました。
■9月30日
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寝不足と疲れがあったのか、この日は昼にホテルに帰って、2時間ほど寝てから、午後のプログラムに参加しました。しっかり寝ないとね。
▼シンポジウム:看護師と作業療法士の共通言語としてのCBT(近藤先生、川野先生、岡本先生)
近藤先生も川野先生も、全ケースのアウトカム(!)を出されていて、素晴らしいなと思いました(それが普通なのでしょうが…)。しかも川野先生の現担当ケースは20半ばということで、ほとんど自分と変わりませんでした。自分も頑張らないと!
全体的に共通していたのが、「1人でCBTをやるのは困難」ということでした(たぶん)。治療において本人の協力はもちろんのこと、家族、医師、担当看護師、ベテランの看護師、コメディカルなどの協力を得ることも、CBTの実践には欠かせません。
※そういえば、私は出ていませんが、宮先生の講演の紹介文にも、環境の一部である周囲の支援を得ることは、CBTを実践する上で不可欠と書いてありました。
▼小講演:認知行動療法はスポーツ領域においてどのように活かせるか(栗林先生)
スポーツ業界という特殊な環境についての紹介と、よくある問題が架空事例として紹介されていました。競技生活が私生活よりも重視されていることが特徴の1つとされていましたが、仕事と私生活の比率の偏りは、スポーツ業界に限らないんじゃないかな、とも思いました。
それよりむしろ、競技生活の特色とは、その生活の一部が私生活をも構成している点にあるのではないでしょうか。両者がはっきり区別しにくいところに、競技者の苦労が垣間見えてくるように思います。
そんな些末な意見はコメントするまでも無いかなと、他の方のコメントを聞いていると、「スポーツにおける鉄欠乏性貧血の問題を見逃すな」というお医者さんのコメントがあり、ハッとさせられました。何はともあれ、「診断」というのは大事ですよね。
※鉄欠乏性貧血について
→『鉄欠乏性貧血の原因は何?どんな症状が現れる?』(URL:http://www.hinketu.sakura.ne.jp/b-1-1.html)
▼ワークショップ10:正しい認知行動療法実践のための正しい医学的診断(稲垣先生)
診断は大事ということで、稲垣先生のワークショップに参加しました。「診断とは何か」という御話から、実際に診断をつけるグループワークまで行いました。「診断」という言葉自体、どうやら法律的にきっちり線引きされている行為では無いようです。話題の公認心理師においては、広義の診断は、むしろ業務の一部に掛かるとのことでした。
“まずは実際にやってみよう”ということで、グループワークでは事例の概要から想定される診断名と、そのあと診断名を絞っていくための3つの質問を考えました。人の意見を聞いていて思ったのは、「少ない情報からそんなに想定できるのはすごいなぁ」ということ。きちんと「記述精神病理学」を勉強し直さないといけないですね。
質問の仕方については、「検査前確率と検査後確率の差」を想定することが重要で、実際の文言については、SCID、MINI、PARS、CAARSなどが参考になるようです。「質問の結果を想定しているかどうかが重要」と強調されていました。
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夜は昨日のメンバー+αで飲み会をしました。北海道の太田先生が終了間際に来られて、御話しできて楽しかったです。VAPEを1回吸わせてもらいましたが、煙がモクモク出てきて、甘い香りが広がるのが、不思議な感じでした。タバコに対する代替行動の形成に、一役買うのかもしれません。
■10月1日
▼ワークショップ15:マインドフルネス・アプローチ(熊野先生ほか)
10月に院内でマインドフルネスの研修を担当することもあり、このワークショップに参加してみました。リラックスした状態をうながす上で、身体的なアプローチをするのがリラクセーションで、心理的なアプローチをするのがマインドフルネスと考えると整理しやすい、とのことでした(たぶん)。
そのほか、「無常、苦、無我の洞察」といった仏教的な考えも紹介されていました。ふと、マインドフルネスというのは「心がまえ」なのではないかと思いました。周囲に大きく開かれた心がまえが「在ること」が大事なのであって、マインドフルネス・アプローチで言われていることを「正しく実践」することでは無いような気がしました。
実際に、瞑想を中心とした集団療法の紹介では、「瞑想が上手くできたかどうか」なんてことはどうでもよくて、むしろできたかどうかを気にしているのは囚われの状態なのであって、その瞑想中に何が思い浮かんできたのか気づくことが大事、と言っていたように思います(たぶん)。
■感想
よくある疑問として、「自分はCBTをできているのだろうか?」という疑問があります。尺度を使って「らしさ」を評定することもできますし、「その人の認知による」と答えることもできます。
一方で、日本語を話していても、「果たして日本語を話せているだろうか?」と疑問に思うことはありません。365日使っているのだから当然です。その考えでいくと、CBTも毎日使っていれば、「そんなの使えて当然」になるかもしれません。
今回のテーマは“援助職の共通言語として”のCBTということでしたが、言語として使えるようになるには、それこそ「毎日使っていくこと」が大事になりそうです。クライアントに対しても、セラピスト自身に対しても、ABAを使ってみたり、毎日記録をとってみたり、思考記録を書いたり、いろいろやってみて、それを他の人と共有して…と繰り返していると、きっとCBTが使えるようになるのでしょう。
私も毎日CBTを使って、少しでも共通言語として上手く使えるように、精進します。
平成29年10月5日
佐藤裕樹