コロキウムへの参加は2回目となる。今年度も発表を見送り、悔しさを抱きながら参加していた。私にとっては、楽しく勉強するだけなく、自分の力量を思い知らされる場でもある。
■共通点
発表事例は「データに基づいて」おり、当然だが、発表者は事例を「言葉で説明」していた。ベテランの先輩諸氏は、こうした発表や参加者の発言を「正の強化」によって維持・向上しようとしていた。
この3点は、すべての発表で共通していたと思う。
■「データに基づくこと」から学んだこと
着席している時間を数えたり、話題の移り変わりを数えたり、睡眠時間を数えたり、記録方法はさまざまだが、すべての発表には何らかのデータが付随していた。「本当にそのデータで良いのか」と疑問が残る事例もあれば、必要なデータが示されていた事例もあった。
データは取れば良いというものではない。
たとえば、「勉強時間を増やそう!」というときに「正答数」を数えたとする。「勉強」という行動を「正答を書き込むこと」と定義した場合には、それでよいかもしれない。しかし「むつかしい問題を頑張って考えた」とか、「間違っている箇所を見つけて直した」とか、そういった行動を「勉強」と定義した場合、それは「正答数」には反映されない。
学び:「どんなことが測れると良いのかを考える」
必要なデータが明確であれば、十分なアセスメントができていると言えるだろうし、逆もまた然り。どんなことが測れると良いかという視点は、アセスメントに欠かせない視点だろう。
■「言葉で説明すること」から学んだこと
「事例がよく分からない」と考えながら、自分のメモを見て、ふと思ったことがある。「私は発表者の言葉を使いすぎている」。発表者の言葉はもちろん、その発表者を抜きには存在しない。裏を返せば、「その人にとっては意味のある言葉だが、ほかの人にとっては、あまり意味のない言葉」かもしれない。
学び:「面接を理解するときは、クライアントがしたことと、援助者がしたことを、そのまま並べていく」
事例を理解していくときに、「意図ないし言葉による説明」は不要である。面接を良くするときには必要だが、理解する上では必要ない。「面接を理解しよう」とする行動と、「面接を良くしよう」とする行動は、別々のものである。映像や逐語、模擬面接の利点は、発表者の言葉を排して理解できることが挙げられる。
■「正の強化」から学んだこと
「研修会への参加回数」と「CBTの技術力」はそれなりに比例するだろう。しかしその曲線は人によって異なるだろう。そして参加しているときの行動も、同じように異なる。データの話に戻るが、この「参加回数」というデータが反映していない要素がある。
研修会は参加すれば良いというものではない。
単純なことだけど、より良い指標は「発言した回数」だと思う。小グループの望ましい側面は、発言する機会を参加者に平等に与えることにあると思う。発言の先に本質的な議論があるわけだが、それを求めても仕方ない。
学び:「研修の場では、発言していくこと」
コロキウムの最中は、この考えをもとに、若手の発言を促すような試みも行った。座席の真後ろにいた方とお喋りをすることも、発言を促すという、私なりの工夫であった。
■コロキウム参加後の1週間で取り組んだこと
1.データをとること
データをまったくとっていなかった事例では、「どんなことが測れると良いか」を考え、その考えをクライアントに伝えて、記録をお願いした。すでに記録をとっていた事例でも、同じように考え、必要な部分が測れるように記録を調整した。記録の意味を伝えたり、その感想を聞いたり、記録を継続する意思を確認するような会話を、意識して行った。
2.事例を理解すること
「面接を良くしよう」とする考えに気づくようにした。気づいたときは、できるだけ事実に目を向けて、「面接を理解しよう」とする考えを心がけた。これはしばらく練習が必要だと感じる。
3.看護師さんを学会に誘うこと
これまで周囲の看護師さんを学会に誘うことはなかったが、この1週間の内に、1人誘ってみた。今後のCBTの発展を考えると、看護師さんの勧誘は重要だと思う。一応、発言を促すことの一環。
■今後に向けて
3日間でやれることに取り組み、その後の1週間でやれることにも取り組んだ。そして次年度は発表したいと思う。
3月21日
佐藤裕樹