月刊『みすず』読書アンケート特集 執筆記事

2023年1・2月合併号 (2022年に読んだ本)

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1 平野聡『大清帝国と中華の混迷』講談社 清の形成から崩壊に至る歴史を、漢人の華夷思想と夷狄たる満州人の支配との緊張関係、またチベット仏教擁護と儒教との対立といった視点から描き出す。現在のチベットや新疆をめぐる問題の背景に、この時代に築かれた中華秩序と近代主権国家体制との間の歪みがあることも見え、現代中国を巡る問題の理解にも有益だろう。

2 ジェイソン・ブレナン『アゲインスト・デモクラシー(上下)』勁草書房 「熟議は人々を賢明にする」「平等な政治参加は個人の尊厳に必要である」等、さまざまな民主主義の擁護を、法哲学と政治科学の知見に則りながら一つずつ批判する挑戦的な書。著者の主張する「智者の統治」には賛同しないにしても、民主主義を考えるなら著者の批判に正面から向き合う必要があるだろう。

3 ジョン・ダーウィン『ティムール以後:世界帝国の興亡 1400-2000年 (上下)』国書刊行会 ヨーロッパ中心で語る世界史を退け、ヨーロッパはほとんどの時期においてイスラム圏や中国などのユーラシア大陸の勢力に対して優位を獲得できなかった、という視点から描き出す、単線的でない諸帝国の盛衰を軸にしたグローバル・ヒストリー。

4 千々和泰明『戦後日本の安全保障』中央公論新社 日本の安全保障論議は、どうにもすっきりしないことが多い。本書は、日本のさまざまな安全保障の論点において、(安全保障の議論とは独立な)そのときの日本内部の政治事情で生じた「建付け」が、その後の安全保障論議を長く縛り続けてしまう、という構造を掘り起こしていく。

5 稲葉肇『統計力学の形成』名古屋大学出版会 等重率の原理やボルツマンの原理、各種アンサンブルの使用は、統計力学の講義では天下りに習うものだが、統計力学の黎明期にはどのように正当化され、受け入れられたのだろうか。本書はギブスを中心に、統計力学の基礎付けをめぐる紆余曲折の歴史をたどる。

2022年1・2月合併号 (2021年に読んだ本)

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1 O・A・ウェスタッド『冷戦──ワールド・ヒストリー(上下)』益田実, 山本健, 小川浩之訳、岩波書店 新冷戦とも言われる現在、冷戦の歴史を振り返ることには価値があるだろう。本書は、時間軸は第一次大戦まで遡って冷戦の根を探り、空間軸は米ソ欧中だけでなく中南米やインド、アフリカなど幅広い目配りをして、冷戦の全体像を提示する。

2 ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った──世界を制するシステムの未来』西川美樹訳、みすず書房 現代の資本主義を、欧米や日本などのリベラル能力資本主義と中国などの政治的資本主義に大別し、両者とも様々な問題を抱えるが、資本主義に代わるシステムは存在しないと悲観的に論じる。共産主義を資本主義の準備と位置付ける視点やグローバルバリューチェーンによる途上国の立場の逆転など、興味深い指摘が多い。

3 佐藤達生『図説 西洋建築の歴史: 美と空間の系譜』河出書房新社 上部のものを支える柱が主役の「柱の古代」と、天井を浮かせて壁で囲う造りの「壁の中世」という対比から論じた西洋建築史。図版が豊富なので眺めるだけでも楽しめる。

4 石原比伊呂『北朝の天皇──「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中央公論新社 南朝天皇家と足利将軍家の前に霞みがちな北朝天皇家を中心に据えて、互いに正統性に疵を抱えていた足利将軍家と天皇家の間の持ちつ持たれつの関係を、鎌倉時代の両統迭立から応仁の乱あたりまで論じる。複雑なテーマだが非常に読みやすく書かれている。

5 マイケル・トマセロ『道徳の自然誌』中尾央訳 人類はいかにして複雑な道徳を獲得してきたか、という深遠な問題に対し、霊長類もある程度道徳を持つことを明らかにしつつ、二者間道徳から共同的視点へと至る人間の道徳の根源を探る。チンパンジーは同情するが公平の概念は持たないなど、なるほどと思う話も多い。

(追記:このアンケートを書き終えたタイミングで、フランク・M・スノーデン『疫病の世界史(上下)』桃井緑美子、塩原通緒訳、明石書店を読み終えた。ペスト、コレラ、結核などの伝染病を、過去の人々がどう理解したか、その対処は何をもたらしたか、そしていかに疫病は終わったか、を書き綴ったタイムリーな好著である)

2021年1・2月合併号(2020年に読んだ本)

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1 アダム・トゥーズ『暴落──金融危機は世界をどう変えたのか (上下)』江口泰子、 月沢李歌子訳、みすず書房 リーマンショックとギリシャ危機という二つの経済危機を、一つのつながりあったグローバル金融の問題として捉え、この20年の国際政治経済の展開を俯瞰する好著。その余波はウクライナ危機やイギリスのEU離脱などにまで及んでおり、現代の世界情勢理解には必読ともいえるだろう。

2 ひろさちや『はじめての仏教——その成立と発展』中央公論新社 釈尊の悟りからはじめて大乗仏教成立などの歴史に沿わせて、仏教の教義理解を立場ごとに解説する。比喩を用いた説明は初心者にも理解しやすく、また日本仏教や大乗仏教だけでなく、上座部仏教や密教などの見方も解説してくれるのもありがたい。

3 メアリー・エリス・サロッティ『1989:ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパをめぐる闘争(上下)』奥田博子訳、慶應義塾大学出版会 私が生まれた1989年にベルリンの壁は崩壊した。その後の西側に組み込まれる形での東西ドイツ統一は、今から見ると必然にも見える。だが本書は、それは決して必然ではなく、東西ドイツ併存や中立化など他の様々な可能性も当時存在しており、その中でなぜ現在の道が選ばれたかを論じる。

4 末近浩太『中東政治入門』筑摩書房 中東について通時的あるいは地域別に論じる本は多いが、本書は中東情勢の「なぜ」に答えるための分析枠組を与える本である。民族や宗教による決定論を退け、君主制・共和制の違いや形式的議会の有無による権威主義体制の安定性の比較や、産油量と経済発展の関係の考察など、政治科学と地域研究の架橋を試みる。

5 マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』柴田裕之訳、早川書房 色認識や両眼視、錯視などの視覚の機能の存在理由について、大胆な仮説を立てて理解しようとする野心的な本。特に錐体細胞の反応率から霊長類の体毛の有無まで様々な傍証を用いて、ヒトの色認識は肌の色のわずかな変化を識別でき、それは他者の心を読むために発達したのだろう、と議論する部分は面白い。


2020年1・2月合併号(2019年に読んだ本)

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1 ダニエル・デネット『心の進化を解明する──バクテリアからバッハへ』木島泰三訳、青土社 細胞の集まりである脳はいかにして意識を持つようになったのか、いかなる進化的な過程がそれを実現させたのか。心の哲学の泰斗である著者が、「理解力なき有能性」「ミーム」「ダーウィン空間」などの概念を用い、心が進化の過程でいかに生まれたのかという大問題に対し一貫した説明を与えていく。

2 アレクサンダー・トドロフ『第一印象の科学──なぜヒトは顔に惑わされてしまうのか?』作田由衣子監修、中里京子訳、みすず書房 初対面の人と会ったときに誰もが抱く「第一印象」。本書は、人はあるタイプの顔に特定の印象を抱きがちであること、そしてそれにもかかわらず、顔から抱く印象とその人の実際の性格・思考とはほとんど結びついていないことを、臨床実験の結果から示していく。

3 ユージン・ローガン『アラブ500年史(上下): オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで』白須英子訳、白水社 現代アラブ情勢の混迷を理解するためにも、その辿ってきた歴史を理解することは欠かせない。本書はヨーロッパによる植民地支配以降の話を中心に、さまざまな支配者に振り回されてきたアラブの人々の歴史を描き出す。なお本書邦訳は2013年出版だが、著者が現在のアラブ情勢に何を語るかも気になるところである。

4 中北浩爾『自公政権とは何か』筑摩書房 なぜ自公政権はかくも長続きするのか。本書は「連立政権」という点に着目する。特に従来「議会内の多数派形成」の観点で語られがちな連立政権に対し、著者は「選挙協力」という点に注目し、なぜ細川連立政権や民主党政権は短命に終わり、それに対しなぜ自公政権は長続きしているのか、を考察していく。

5 ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』東郷えりか訳、河出書房新社 ほとんどの人類が滅亡した後、いかにして文明を再興させるか、というSF的舞台設定で、衣類をどうやって作るか、燃料はどう入手するか、手術に必要な道具は何か、住居をどう建てるかなど、普段は気にも留めない身近なものたちの背後にある科学を存分に見せてくれる一冊。

(注記:『みすず』掲載の1の書評文では「理解力なき有能性」を「理解力なき有用性」と誤記していたので、そこを修正しました)

2019年1・2月合併号(2018年に読んだ本)

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1 ロバート・ゴードン『アメリカ経済 成長の終焉(上下)』高遠裕子・山岡由美訳、日経BP社 つい150年前のアメリカは、今の我々の想像を絶する世界だった。上下水道も電気もなく、食事は塩漬け肉とイモの単調な食事。娯楽も交通手段も通信手段もまともな医療もない。こうした不衛生で危険で単調な状況が大激変した1870-1970を筆者は「特別な世紀」と名付け、ただ一度しか訪れないその時代の経済成長・社会変化の急激さと、それと比べた現代のIT革命などの影響の小ささを、色々な側面から見せてくれる。

2 ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?──本音と誤解の心理学』波多野理彩子訳、早川書房 夫婦など「気持ちが通じ合っているはず」の人を対象としたさまざまな臨床実験を元に、人はある程度は他人の気持ちは読めるが、その度合いをはるかに上回って「自分の気持ちは相手に分かってもらえる/自分は相手の気持ちが読めている」と誤認していることを教えてくれる一冊。

3 平川新『戦国日本と大航海時代――秀吉・家康・政宗の外交戦略』中央公論新社 こちらは一転して日本史を扱った新書。従来「老いた秀吉の愚行」と語られることの多い朝鮮出兵や伴天連追放令、そして家康の禁教や鎖国策などについて、スペインやポルトガルの「布教と一体化した植民地支配戦略」への対抗策という新しい視点からその意味合いを考え直す。

4 清水真人『平成デモクラシー史』筑摩書房 平成も終わる今、平成の日本政治史を振り返ることには意味があるだろう。新書ながら400p超ある本書は、90年代の政治改革から現在までを振り返り、今の安倍一強の状況を一連の政治制度改革への「過剰適応」と見ている。なお関連書として、中央と地方の選挙制度の不整合が自民党優位の維持に寄与していると分析する砂原庸介『分裂と統合の日本政治』千倉書房も面白い。

5 ブライアン・クリスチャン、トム・グリフィス『アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール』田沢恭子訳、早川書房 書名はいかにも自己啓発書だが、中身はなかなかコアな計算機科学がベース。過学習と正則化の話題から「考えすぎても却ってよくないこともある」という教訓を引き出したり、キャッシュの問題を忘却曲線とつなげたりと、話題の調理の仕方が非常にうまい。