アッラーの愛

【もしあなたがたが感謝するなら、

われは必ずあなたがたに(対する恩恵を)増すであろう。】   

クルアーン第14[イブラーヒーム章]7節      

                            

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

アッラーの愛 - part 1

クルアーンの中には、至高なるアッラーが、私達人間に、他の創造物とは違う、尊厳を与えてくださったことが記されている節がたくさんあります。 

そのひとつに、アッラーが、天使たちに、人間の祖先アーダム様(彼に平安あれ)にサジダ(礼拝時に額を床につける平伏の動作)をするように命じる一節があります。

 

【またわれが天使たちに、「あなたがた、アーダムにサジダしなさい。」と言った時を

思い起しなさい。その時、悪魔〔イブリース〕以外は、皆サジダしました。】

                                         聖クルアーン雌牛章 34節

 

他にも、人間の中にある魂が、アッラーご自身のルーフ(魂)から吹き込まれたものだという一節があります。

【われは、彼(人間)を(完全に)形作りました。

それからわれの霊(ルーフ)を彼に吹込んだ時、

「あなたがた(天使)は彼にサジダしなさい。」と(命じました)。】

聖クルアーン アル・ヒジュル章 29節

 

また、アッラーが、私達人間のために、この世の様々なものを創って下さり、それらをすべて人間が使いやすいように、人間の役に立つように配置してくださり、私達を他の創造物よりも優れたものにした、という一節もあります。

 

【われはアーダムの子孫を重んじて、海陸にかれらを運び、また種々の良い(暮らし向きのための)ものを支給し、またわれが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのです。】

聖クルアーン 夜の旅章 70節

 

 

【アッラーこそは、天と地を創造され、天から雨を降らせ、これによって果実を実らせられ、

あなた方のために御恵みになられる方です。また船をあなた方に操縦させ、かれの命令によって海上を航行させます。

 

また川をあなた方の用に服させられます。またかれは、太陽と月をあなた方に役立たせ、両者は飽きることなく(軌道)を廻り、また夜と昼をあなた方の用に役立たせられます。またかれはあなた方が求める、凡てのものを授けられます。

 

たとえアッラーの恩恵を数えあげても、あなた方はそれを数えられないであろう。】

聖クルアーン イブラーヒーム章 32-34節

 

これらのクルアーンの節がはっきりと現しているのは、アッラーの元での私達人間の存在が、どんなに特別なものか、ということです。アッラーが、私達人間を、どんなに特別扱いしてくださって、どんなに尊厳を与えてくださっているか、ということです。こうした、人間に与えられた尊厳や特権というのは、私達が何かをして自分で稼いだものでは全くなく、ひとえに、アッラーの寛大さゆえに、アッラーから私達に与えられたものです。

では、なぜ、アッラーは、人間をここまで特別扱いするのでしょうか?

 

例えば、父親が自分の子供を特別扱いして、その子のために役に立つ教育や、その子が喜ぶようなものを全部あげて、自分の会社を継がせようとしたら、それは、何を表していますか?その子に対する愛情でしょう。

アッラーに比べることはできませんが、アッラーが私達人間に、これらをすべて与えてくださり、特別扱いしてくださっているのは、紛れもない彼の私達への愛情を表しています。

 

アッラーは、私達人間のことをとても愛しているからこそ、その愛情の結果として、私達には、尊厳やこの世のすべてのものが与えられているものです。 つまり、この愛情は、アッラーからすべての人間に、公正に与えられている普遍の愛なのです。

 

このアッラーの私達人間に対する愛情は、人間が、様々な宗教や人種に分かれる前、またアッラーが人間に対して何かを課すよりも前に、そして宗教やイスラーム法が作られるよりもずっと前に、それらに先行して存在していました。

 

この基本的な、アッラーの人間に対する愛情は、人間が、自分に課せられた義務のことに対して努力した結果として与えられたものではなく、そういったすべてのものが存在するずっと前から、アッラーの、人間に対する愛情は、存在しました。

 

アッラーがご自身で人間を創造し、ご自身の手で形作って、ご自分の魂をその中に吹き込まれ、ご自分の天使たちに、彼に尊厳を与えるためにサジダするよう命じ、人間の役に立つよう、この世のすべてのものを人間にとって使いやすいようにお創りになられた、これらすべてのことは、アッラーの、人間に対する深い愛情を証明するに充分です。

 

アッラーが、私達のことを、ずっと以前から、愛してくださっていることを、私達は、何もしなくても、ただ、人間として生まれてきたというだけで、アッラーにそのままの状態で愛されているということを、クルアーンのこれらの節は、物語っています。アッラーは、クルアーンの中で、繰り返しこう伝えています。 

【アッラーはあなたがたを愛でられ、あなたがたの罪を赦されます。】

聖クルアーン イムラーン家章 31節

 

アッラーのすべての人間に対する、この愛情は、公正に降り注がれています。しかし、この愛を受けて生まれてくる人間達は、アーダム様(彼に平安あれ)以来、いろいろな宗教を持ち、様々なグループとなり、考え方も行動も、多様に分かれました。ある者は、アッラーの遣わした使徒たちを信じ、アッラーから下された啓典を守り、イスラーム法に従って生きていますが、他の者は、真の信仰を知りながらも拒否し、アッラーの存在を知りながらも認めることを拒否し、高慢になってしまった者もいます。

 

それは、アーダム様(彼に平安あれ)が、天国から地上に降ろされた時に、すでにアッラーによって約束され、クルアーンにこうある通りです。

 

【われは言いました。「あなた方は皆ここから落ちて行きなさい。

やがてあなた方に必ずわれの導きが恵まれるでしょう。そしてわれの導きに従う者は、

恐れもなく、憂いもないでしょう。だが信仰を拒否し、われの印を嘘呼ばわりする者は、

業火の住人であって、永遠にその中に住むでしょう。」】

聖クルアーン 雌牛章 38-39節

 

また、アッラーはアーダム様(彼に平安あれ)とハウワー様に向ってこう言われました。

 

【「もしあなたがたにわれから導きが下れば、誰でもわが導きに従う者は迷うことなく、また不幸に陥らないでしょう。だが誰でもわが訓戒に背を向ける者は、生活が窮屈になり、また審判の日には盲目で甦らされるでしょう。」】

 

聖クルアーン ターハ章 123-124節

 

アーダム様(彼に平安あれ)が地上に降ろされ、人類の歴史が始まった太古の昔から、この世界にはこの普遍の法則があり、それは幾度も預言者たち(彼らに平安あれ)を通じて人間に伝え続けられました。導きに従う者には、この世とあの世で幸せになり、何も心配することはなく、導きに背き悪の道を選んだ者は、この世でもあの世でも大変な状態に陥ってしまう、という法則です。

 

導きに従う者に、アッラーはその深い愛情を、さらに倍増してお与えくださいます。

これは、最初に説明した、アッラーからの根本的な普遍の愛情とは異なる種類の、人間が「獲得する愛情」です。そして、反対に、導きに背を向ける者には、せっかくアッラーが降り注いでくださっている深い愛情の上にある、「獲得する愛情」が減ってしまう、という結果になります。

 

つまり、人間にとって、この世の人生で一番重要なこと、というのは、アッラーが特別にお与えくださった愛情を、保ちつづけるよう、自分のできる限りがんばること、です。

 

アッラーのご命令に従えば従うほど、アッラーは、その深い愛情を、さらに増して限りなく寛大に、お与えくださり、導きに背けば背くほど、アッラーの愛情は、普遍の愛情は残ったままで、獲得する愛情が減り、少なくなってしまいます。

 

アッラーが自分のことをどのくらい愛しているか?を知るには、自分が何をしているか?を見なさい、という言葉があります。アッラーの導きに従って、イスラームに従おうと思っていたり、義務の行いをしていたり、例えば、ラマダーン月に断食をしたり、礼拝をしたり、また、禁止事項を遠ざけて、例えば、親に反抗したり、人を傷つけることをしないように注意しているとしたら、それは、そのまま、アッラーがあなたのことが大好きだ!!という証拠です。

自分がどれだけ、導きに従っているか?を見ることで、アッラーの自分への愛情を測ることができます。

 

一体アッラーは、お嫌いな人に、自分に向って話しかける礼拝をさせるでしょうか?

では、礼拝をしたことがある方は、アッラーに愛されている、ということです。

またアッラーは、お嫌いな人に自分の家であるモスクに入らせるでしょうか?

では、アッラーの家であるモスクに入ったことがある人は、アッラーに愛されている、ということです。

私達は、自分が何をしているか?を見ることで、アッラーの愛情がどれだけ自分に降り注いでいるか、を確認することができます。

 

 

では、導きに従って、アッラーに背かず、悪いことをしない人だけに、アッラーはその愛を与えられるのでしょうか?

答えは、そうではありません。なぜならば、アッラーは、クルアーンの中で、こう仰っています。

【誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛でられます。】 聖クルアーン 雌牛章 222節

ここで使われている、アラビア語【 التَّوَّابِين】(タウワービーナ)というのは、ただ、「悔悟しアッラーに帰る者」、という意味ではありません。「繰り返し、何度も何度も悔悟して、何度も何度もアッラーに帰る者」、という意味です。 

では、何度も何度も悔悟するためには、何が必要でしょうか?

 

何度も何度も帰るためには、何度も何度も、 間違え、背き、アッラーから遠ざかることが必須です。

つまり、アッラーは、私たちが悪いことを何度行ってしまっても、その度に、アッラーに帰って、罪を認めて、もう二度としない、と決意し悔悟すれば、その人のことを大変愛している、ということです。

アッラーの愛は、決して、間違いを犯さない者だけに注がれるわけではないのです。

アッラーはとても寛大なお方です。

 

私達が、何度間違えても、アッラーに背いても、人間が人間である限り、基本的な愛情は残ったままで、しかも、「獲得する愛情」ですら、最悪の状況からであっても、アッラーに帰りさえすれば、アッラーはその大きな愛で、間違いを犯した私達を包み込み、どんなに大きな間違いであっても、私達を手放しで受け入れてくださり、これまでしたことを全部許してくださり、大喜びで迎え入れてくださいます。

 

ただひとえに、悔悟すること、間違えるたびに、アッラーに帰る事、これだけです。

もちろん、そのチャンスは一度きりのものではありません。何度も何度も繰り返し間違えてしまっても、その度に、繰り返してアッラーに帰る者を、アッラーはとても愛していらっしゃると、クルアーンの中でおっしゃり、彼らに、天国も約束してくださっています。

 

【主を畏れる者には、楽園が近づいてきます、直ぐ近くに。

これは悔悟して常に(アッラーに)帰り

(主の掟を)守る凡ての者のために約束されていたものであり、目に見えない慈悲深き御方を

畏れ、心の底から悔悟して(主に)帰った者たちのため(のものです)。

「安んじてそれに入れ。これは永遠の日である。」かれらのためにはそこに、欲しいものは

何でもあり、またわが許からもっと追加があるでしょう。】 聖クルアーン カーフ章31-35節

 

この一節の「悔悟して常にアッラーに帰る者」というアラビア語も、【أَوَّابٍ】(アウワービン)となっており、それはただ、「帰る者」ではなく、「何度も何度も繰り返し帰る者」という意味です。

 

つまり、何度も何度も間違えてしまう私達人間を、アッラーは、本当に心配してくださり、その深い愛情で愛してくださり、たくさん間違える私達のために、天国をも用意してくださっている、ということです。アルハムドゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)。

 

寛大なアッラーの寛大さが、さらに増す、このラマダーン月に、たくさん悔悟をして、アッラーのところへ帰って、アッラーの大好きな人たちの中に入れてもらいましょう。そこから、また、アッラーとの新たな関係を作りましょう。アッラーの私達への深い愛情、大きな愛に応えるように、日々を過ごしましょう。

みなさんに、アッラーの祝福がたくさんありますように。

参照:ムハンマド・サイード・ラマダーン・ブーティー先生著「クルアーンの中の愛」

  

以上が 講義第一回目のレジュメです。みなさん、いかがでしたでしょうか。

 

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