ゾウリムシは、昼間活発に動き、夜は静かに休む。
前頁(ゾウリムシ集団の1日)で記述したように、ゾウリム行動量測定用アクトグラムで測定すると、ゾウリムシ集団がマーカーを横切る1時間当たりの数[=横切り頻度(TF)]は、昼及び主観的昼は低く、夜及び主観的夜は高くなることが分かりました。このTFは、ゾウリムシ集団を小さな穴から覗いて目の前を横切るゾウリムシの数を数えたものです。TFの変動がゾウリムのどのような生理機能の変化を示しているのかは不明です。体内時計の仕組みを明らかにするためには、TFリズムはゾウリムのどのような生理現象の変化を表しているのかを明らかにする必要があります。
前頁で記述しましたが、ゾウリムシは、頭部で何かに衝突したときは膜電位が脱分極を起こして遊泳方向を変え、後ろから天敵などに襲われたときは過分極を発生して遊泳速度を上げて大急ぎで襲われた場所から逃げること、等が電気生理学的研究によって明らかにされています。動物の行動は方向変換の頻度と移動中の速度で記述されると言われていますが、ゾウリムではこの2つ因子が、脱分極と過分極という細胞膜の電気現象に直接結びついていることになります。そこで私たちは、ゾウリム行動量測定用アクトグラムを更に活用して、ゾウリムの方向変換の頻度と遊泳速度の変化を測定することにしました。
ゾウリム行動量測定用アクトグラムは、モニターに白く光るゾウリムシの映像がモニターに貼り付けたフォトトランジスターの真下を通過する度に発生する、電気パルスを矩形パルス(Ni, Ni+1, Ni+2,・・・)に整形し、その数をパソコンで集計してTFを求めるというものでした(詳しくは前頁を参考して下さい)。これらの矩形波(Ni)の幅は、ゾウリムの映像がPCの真下をゆっくり通過すると広くなり、速く通過すると狭くなります。そのため矩形波パルスの幅から速度を求めることが可能です。また、丁度PCの真下で方向変換すると、矩形波の幅は方向変換しないで通過した場合よりも明らかに広くなります。全矩形波の数に対する明らかに広い幅の矩形波の数の比から、横切り頻度を求めることができます(図1)。
図1。行動量測定アクトグラムからゾウリムの速度と方向変換頻度の求め方。
(A)アクトグラムの電子回路図。ゾウリムシの映像がPCの真下を通過すると、(前頁図1Cに示したような)電気パルスが発生します(端子R1で記録されます。B図R1に示すような波形のパルスです)。それをCMモジュールで矩形波パルス(N1、・・Ni、・・・)に整形し、端子R2でPC(図中のC)に接続して、矩形波の数を集計し、13点移動平均したものがTFです。(B) 図AのR2端子にパルスカウンターを接続し、矩形波パルスNiの立ち下がりと立ち上がりの間でパルスカウンターのゲートを開いて1ミリ秒の基準パルスの数を加算して矩形波の幅を求めます。こうして求められたパルス幅のデータを次々にPC内に保存します。
そこで我々は、図1に示す電子回路の矩形波出力端子R2をパルスカウンターに繋いで、矩形パルス(Ni, Ni+1, Ni+2,・・・)の立ち下がりにパルスカウンターのゲートを開き(ON)、立ち上がりでゲートを閉じ(OFF)、そのON-OFFの間にパルスカウンター(図1A中のC)内で発生する基準パルス(1m秒)の数をカウントし、その数から幅を求めました。図2に、TFリズムを測定しながら、3時間毎に1時間の間カウントした基準パルスの数(=幅)及び一つのパルスと次のパルスの間にカウントされた基準パルス数(=一匹のゾウリムシがマーカーを横切った後次のゾウリムシが横切るまでの時間)の分布図の一例を示します。
図2。矩形波の測定スケジュールと幅の分布
(A) 矩形波の幅を測定したときのTFリズム及び測定スケジュール。日の出(L)開始1時間後から1時間測定を開始し、順次3時間毎に1時間の間を測定行いました。番号は測定順番を表します。(B)測定された矩形波幅の分布図。図中の番号は、左図の測定順番(スケジュール)を表します。1は明暗サイクル(LD)の明期開始1時間後に1時間測定した時のパルス幅の分布。3はLの真昼に対応するTFが最も小さい時間帯の分布。7はDのTFが最も高い時間帯。11は恒暗(DD)でTFが最も低い時間帯の分布。15はDDでTFが最も高い時間帯の分布。↑印は、矩形波測定中に録画した映像を目視して確認した、方向変換をしたゾウリムシ映像の矩形波の中で最も狭い幅の値を表します。矢印の右側を全て方向変換したときの幅と見なすことにしました。▼は矢印の左側(方向変換したときの値を取り除いた)の幅分布の平均値を示します。TFが低いとき▼は小さい値となり、TFが高いときは大きな値となることが分かります。(C) TVモニターに貼り付けたPT(フォトトランジスター)の真下を通り過ぎるゾウリムシ映像と次の映像が通り過ぎる間隔(NiとNi+1との間の間隔)のヒストグラム。平均値は、その時間帯で一匹のゾウリムシが他のゾウリムシと衝突するまでの時間と同じ意味になります。図中の番号は(B)と同じく測定順序を示します。ポアソン分布に似た形になっています。
図2Bは、Aに示すTF測定スケジュールで、それぞれTFがLDで最も低い値を示すとき(1)、最も高い値を示すとき(7)、DDで最も低い値を示すとき(11)及び最も高い値を示すとき(15)の矩形波(Ni)の分布です。何れも↑印(図2の図説参考)を境に2相性になっているのが分かります。↑印の左側がPCの真下を真っ直ぐ通過したパルス幅の分布、右側が方向変換をしたときのパルスの幅の分布と見なすことにしました。従って、↑印の値の左側のパルス幅の分布の平均値はその時間帯の移動速度[=V(mm/sec)]、右側に分布するパルスの数の全パルスの数に対する比はその時間帯での方向変換の頻度[=FAR(%)]と言うことが出来ます。図3に、図2に示したスケジュールに沿って得られた V(mm/sec)とFAR(%)の変化を示します。
図3。LD及びDDでのゾウリム集団の移動速度と方向変換頻度のリズム
図2で示したスケジュールに従って測定されたLD及び引き続くDDでのV(mm/sec)とFAR(%)の変動。ー●ーはV、ー○ーはFAR、そして…▲…は、録画した映像を目視して直接求めた、方向変換したゾウリム映像の数の全ゾウリム映像の数に対する比(%)。FARの変化と同じような傾向を示すことが分かります。矩形波の幅を基準パルスからゾウリムシ方向変換の頻度や速度を求める方法が妥当であることを保証するものです。
図3のVの結果から、LDのL開始直後からゾウリムは早く泳ぐようになり、昼頃にピークに達し、Dになるとゆっくり泳ぐようになります。DDでは、LDと比べれば振動幅は小さいものの、主観的昼 (SL)には速く泳ぎ、主観的夜(SD)ではゆっくり泳ぐことが分かります。この図から注目すべき点は、FARは、TFが高いとき(ゾウリムシがゆっくり泳いでいるとき)高くなりTFが低いときはFARも低くなり、FARとTFは同じような変化傾向を示ているのに対して、VはTFとは逆の関係になることです。TFが低いときは、Vが大きくなり(即ち、ゾウリムシは速く泳ぎ)、TFが高いときはVが小さくなる(即ち、ゾウリムシは遅く泳ぐ)、と言うことです。当初我々は、ゾウリムシが速く泳ぐときは目の前を横切るゾウリムシの数も多くなる筈である、と思っていました。しかしそうはなりませんでした。これは我々が、ゾウリムシの運動はブラウン運動的であると言われており、運動しているゾウリムシは均一に分布していると思い込んでいたからです。
気体分子運動論では、ブラウン粒子の速度分布は二項分布になると言われています。図2で明らかなように、確かにゾウリムシ集団の速度(Ni)の分布も二項分布にはなりました。このことからもゾウリムシの運動はブラウン運動的であると言えます。しかし、もし完全にブラウン粒子的であればゾウリムシの空間分布は均一になる筈です。ところが実験中に、ゾウリム集団は容器の中(赤外線が通過する窓周辺)に偏っている(集まっている)ことを観測しておりました。ゾウリムシ集団の運動はブラウン運動的であるがバイアスが掛かっていると言えるのではないかと思いました。そこで、気体分子運動論的にTFリズムの更なる意味付けを行うために、ゾウリムシ集団におけるバイアスの生物学的意義を考えることにしました。
気体分子の平均自由行路、粒子密度及び衝突断面積の関係
気体分子運動論では、単位体積[P(m-3)]当たりの粒子が他の粒子と衝突するまでに移動した距離の平均値[=平均自由行路、mean free path(=lm)]及び粒子が衝突する時の有効断面積[cross section、S(m2)半径 r の均一な粒子のSは、4πr2 (Wikipedia・平均自由行程等をご覧下さい。)]の間には、
lm=(S x P)-1
と言う関係が成り立つと言われています(下図)。
速度Vで移動する粒子の平均自由行路(lm)は、粒子の大きさが大きくなる程(=衝突断面積が大きく成る程)、そして進行方向の密度が多くなる程(=衝突する可能性のある粒子の数が多くなる程)、短くなる、即ち、衝突断面積(S)及び粒子密度(P)に反比例することになり、
lm ∝ (P x S)-1
の関係が成り立つことになります。従って、
P∝ (lm x S)-1
となります。www.nucleng.kyotou.ac.jpを原図として改変。
我々は、モニターテレビに映るゾウリムの行動をブラウン運動と見立てて、上記枠内の式を使って、観察窓近辺の密度の変化を調べることにしました。図2の実験で示した3時間毎に1時間と言うスケジュールに沿って測定した、ゾウリムの移動速度の1時間平均値(=V)に、フォトトランジスターの真下を一匹のゾウリムの映像が通過した後に次のゾウリムの映像が通過するまでの平均の時間(図2Cに示したヒストグラムで求められるパルスNiとNi+1の間の時間 tの平均値)を掛けた値、即ち、
lm=V x t
は、単位時間内でゾウリムが真っ直ぐ泳いだ平均距離になります。気体分子運動論での平均自由行路に例えることができます。すると、
P=(S x lm)-1
の関係式から、平均自由行路lmから単位体積内のゾウリムの密度Pを求めることができます。Sは、不変量であり、ここではPの相対的な変化を比較することが目的ですから、機械的に1cm2とします。こうして得られた定性的なPの変化をlmの変化と共に図4に示します。
図4。ゾウリムシの平均自由行路と観測窓付近の密度の概日変化
横軸は測定スケジュール。縦軸 lmはゾウリムが真直ぐ泳いだ距離平均の(平均自由行路: ー●ー)。 P(x103cells/cm3) はフォトトランジスタ周辺(測定窓近辺)の単位体積(=1cm3)当たりのゾウリム映像の密度 (ー○ー) 。挿入小グラフは、方向変換頻度FARとゾウリム映像が真っ直ぐ泳いだ平均の時間tの逆数との関係を示します。図からtが大きい時(=真っ直ぐ泳いでいる時間が長い時)FARは小さく、tが小さい時(=盛んに方向変換をしている時)はFARは大きい、ことが分かります。
図4は、lm はLDで光が当たると急速に増大することを示しています。ゾウリムは光が当たると真っ直ぐ速く泳ぎだすということです。真昼に最大に達し、以後次第に減少していきます(ゾウリムシにはクラミドモナスのような光受容器はありません。細胞内に光に間接的に反応する機能があり、それを介して繊毛打が制御されると考えられます)。この変化はDDでも振幅は小さくなりますが持続して見られます。主観的真昼に最大となり、主観的真夜中に最小となります。
一方、Pの変化はlm の変化と丁度逆になっています。真昼及び主観的真昼に最も小さくなり、真夜中及主観的真夜中に最も大きくなります。ゾウリムシは昼及び主観的昼に真っ直ぐ速く泳ぐようになるため、観測窓W周辺から拡散して容器内を広範囲にわたって泳ぐようになります。W付近のゾウリムシの数は少なくなり、昼TFが低くなります。真昼を過ぎると、ゾウリムシは、次第に速度を下げ且つ方向変換の頻度を上げながら、付近に集まるようになります。ゾウリムは好ましくない方向へ向かった瞬間方向を変え、好ましい方向に向いたとき速度を下げるので、結果的に多くのゾウリムシが好ましい場所に集まるようになります[ゾウリムシのこのような行動はタキシス(taxis=走性)と言います。 下の挿入枠を参照下さい]。
ゾウリムシの行動様式
原生物の行動は移動速度と方向変換によって調節されることは前に記述した通りです。その様式には、刺激源に対して直線的な行動を示す走性(taxis)と、刺激源の方向に対して方向性がない無定位運動性(kinesis)とがあります。Taxisには、ミドリムシ(ユーグレナ)が光の近くに来ると速度を下げて、“飛んで火に入る夏の虫”のように光に吸い寄せられる(正の)光走性など、刺激源の種類に応じて様々な様式があります。刺激源の名前を意味する接頭辞をつける、例えば化学薬品が刺激源の場合はchemotaxes、食料の場合trophotaxes、音に対してphonotaxis、などがあります。これに対して、ゾウリムの行動は、移動速度及び方向変換の頻度をランダムに変えながら刺激源に近づいたり遠ざかったりする試行錯誤的なkinesisと言われます。刺激源の強さに比例して直進の速度を変える(直進を意味する“ortho”を冠した)
orthokinesisと方向変換の頻度を変える(傾きを意味する“klino”を冠した)klinokinesisとがあります。本HP「時間軸上における繊毛の意義」頁に記載したよに、ゾウリムは、通常左螺旋を描きながら前に進む運動をしていますが、ディディニウム(didinium、別名シオカメウズムシ)などの天敵に襲われた時、ゾウリムは、急に遊泳速度を上げて逃げようとします。障害物にぶつかった時には、まず後退し、暫くしてから異なる方向へ再び前進運動を開始します。この2つは膜電位の変化と直結しており、orthokinesisでは膜電位が過分に、klinokinesisは脱分極になることが電気生理学的研究で詳しく調べられていることは上記頁で記載した通りです。まさにゾウリムシは動物の基本的な行動を細胞レベル(=分子レベル)で考える上での格好なモデル動物と言えます。
窓付近はゾウリムシが好ましいと感じる場所のようですが、赤外光線が好ましいのか、赤外光線が当たって暖かくなっている所が好ましいのか、窓の上蓋と下蓋で挟まれた狭いところが好ましいのか、は良く分かりません。何れにしても、ゾウリムはLDでもDDでも夜間の時間帯にW周辺に多く集まって生活します。そして、陽が射すと一斉に速く泳ぎだし、広範囲を泳ぎ回るようになります。広範囲を泳ぎ回って乏しい餌を必死(?)に掻き集めているのでしょう。ゾウリムシでさえも「働かざる者食うべからず」と言うことから逃れられません。一方ゾウリムシが夜間集団を形成すると言うことは、動物の群れの原始的な形態であると言えます。Wikipediaによると、群れは集団という数で自然淘汰圧に対抗する生存戦略の一つ(一匹では直ぐに食べられてしまいますが、集まることで天敵を寄せ付けない抑止効果)であり、性的パートナーと出会う生殖の面でも有利となる、と言うことです。
図5。ゾウリムシとムクドリ集団の昼と夜の様子。
(上)ゾウリムシ集団の昼(L)と夜(D)の様子。昼は均一に分布し、夜は赤外線(IR)に照射されるwindowの回りに集まっている。(下)ムクドリ集団の昼と夜の様子(インターネット無料サイトにアップロードされている写真を一部変更)。どちらも、昼は広範囲を動き回り、夜は好ましい所(ねぐら)に集まってくる様子を示しています。
このようなゾウリムの一日の行動は、図に示すようなムクドリの集団行動に例えられます(図5)。ムクドリ集団は、夜が明けると一斉に寝座ねぐらから飛び立って一日餌を求めて広範囲を飛び回り、夜になると寝座ねぐらに集まってきて皆で仲良く集団で夜を過ごします。このような集団行動は、24時間周期で自転する地球環境の中で、体内時計を使って毎日の行動を設計しているからです。ただゾウリムシの場合は、積極的に集団を作ろうとしている訳ではなく、個々のゾウリムシが好ましいと感じるところに留まった結果、夕方から夜にかけて集団になると言うことです。動物の本能として脳に機能的に備わった“群れ”のような積極的な行動ではありません。