ゾウリムシの一日
ゾウリム行動量測定アクトグラム
前回までの頁で、1)ゾウリムは、障害物に衝突したときは脱分極性膜電位を発生させて遊泳の方向を変え、天敵に襲われたときは過分極性膜電位を発生させて素速く逃ぎ、その時々の状況に巧みに反応して泳ぎ回る、2)それは、ゾウリムシの繊毛に力を発生させる動力装置のみならず外部からの信号を生物学的信号(=膜電位)に変換する仕組みも備わっているからである、3) 上記2つの行動様式は、「方向変換の頻度と速度で記述できる」と言われる動物行動の基本と言えるものである、そして4)このゾウリムの繊毛に備わった仕組みは多細胞の感覚細胞や神経に受け継がれて、過分極を発生させる仕組みは速い反応が要求される視細胞に、脱分極性膜電位を発生させる仕組みはゆっくりした反応で済む感覚細胞に進化していった、ことなどを見てきました。上記二つの情報処理を駆使してその時々の状況に応じた行動を選択する様子から、ゾウリムシは動く神経細胞と言われています。
しかし、ゾウリムシの行動に影響を与えるのは障害物や天敵だけではありません。ゾウリムシを取り巻く環境は1日24時間周期で変化しています。多細胞生物の脳のような進化した情報処理能力は持たないゾウリムシと言えども、そのような環境の中で生きていかなければなりません。そのため、単細胞でありながらゾウリムも多細胞動物と同じように体内時計を持ち、それを使って一日の最適な行動をデザインしています。
私が体内時計の研究をしようと思った当時は、体内時計で制御されて"おおよそ"24時間周期で変動する生物活性の解析が盛んに行われておりました。体内時計の本体の仕組みまだまだ謎だったので、まずは時計で動かされる“針”の動きを解析し、その針からたどって体内時計本体に近づこうと言う戦略でした。
マウスの行動量を測定するためのアクトグラムとその記録
左図)マウスの輪回し運動測定器(アクトグラム)。輪が1回転する度にチャート紙に短い縦棒が記録されるようになっています。中央)行動開始時間と終了する時間が生物時計によって制御されていることを示す図。右図)明暗サイクル及び恒暗条件に置かれたマウスの行動量のアクトグラム記録。暗期開始直後にマウスが活発に運動を始めることがよく分かります。恒暗条件下におくと活動開始時間が少しずつ早くなっています。恒暗条件におかれたマウスの生物時計の周期が24時間より短くなっているためです。体内時計によって行動が制御されていることを示しています。いわば記録されている行動は体内時計の針と言うことになります。図中の黄色矢印は再度明暗サイクルにおいた期間。東大生化学の深田教授等の論文、Mol. Cell Biol., 34, (2014)を基に改変。
当時既に、体内時計の本体は細胞レベルにあると考えられてはいました。赤潮の原因となる海生プランクトン・ゴニオラックス(渦鞭毛藻)の発光、ゾウリムシの接合のタイミング、淡水域に住む緑藻の一種のクラミドモナスの集光のタイミング、等の単細胞生物のリズム現象も多細胞生物の"おおよそ"1日周期のリズム(=サーカディアンリズム。下参照)と同じ性質を示すことが知られていたからです。
生物時計で制御される生理機能(針)のリズムに共通する3つの性質。
体内時計に制御されている生理機能のリズム現象は次のような3つの共通する性質を示します。即ち、
①外部から明暗サイクルなど外界からの時間を認識させる環境を取り除いた状態でも、おおよそ1日周期のリズムが持続する[概日性、サーカディアンリズム(circadian rhythm:ギリシャ語、circa=おおよそ、dian=1日)、概日リズム]、
②明暗サイクル等の環境要因に同調する(同調性:海外旅行をしたとき初め時差ぼけを感じても、やがて現地の昼夜リズムに同調するようになるようなこと)、
③ 生理的な許容範囲内で外界の温度が変化してもリズム周期の長さは変わらない(温度補償性)、
です。概日リズムは必ずこの3つの性質を持っています。従って、測定したリズム現象が生物時計の針であることを主張するためには、そのリズムが上記3つの性質を示すことを確かめなければなりません。
しかし、動物の代表的な機能である行動のサーカデアンリズムを単細胞動物で組織的に解析する研究はありませんでした。単細胞動物では、行動と生物時計とは一つの細胞で完結しています。そこで私は、ゾウリムシの行動のサーカデアンリズムを調べることにしました。動物の行動は「方向変換の頻度と遊泳速度」と言う2つの要素で記述できると言われていますが、ゾウリムシではその2つが「細胞膜の脱分極と過分極」という細胞の電気状態と直結していることは前頁で述べたとおりです。動物行動という統合的な機能のサーカデアンリズムが、細胞内の諸々の生理機能を統括して現れる膜電位のサーカデアンリズムに置き換えて考えることができるからです。その上、複雑なことを削ぎ落として動物の1日の行動の本質的な意義を考えることができ、動物行動学的にも優れたモデルになると思いました。
まずは手始めにゾウリム集団の行動のサーカデアンリズムを測定することにしました、そのために私達(主に、私、MEの専門家である田中館氏及び工作技術の専門家の石川氏の3人)は、図1のような、接写レンズを取り付けたビデオカメラでゾウリムシの映像をモニターテレビに拡大して写し、モニターテレビのブラウン管上に取り付けたマーカーを横切る、ゾウリムシの数を測定する装置を作りました。
図1。ゾウリムの一日の行動量を測定するためのアクトグラム
A) D:ゾウリムシ培養液を入れる直径6cmの容器。外壁を温度一定の水が循環しています。IR:容器の下から照射される直径1mmの赤外光線。W: 容器の中央に取り付けたIRが通り抜ける直径5mmの窓。LT:蓋に取り付けたIRが通り抜けるガイド。最下部が窓(W)になっています。蓋をかぶせると容器のWとの間に1mmの隙間ができるようになっています。TC: 隙間を通り過ぎるゾウリムシを映すための接写レンズを取り付けたビデオカメラ。TM:モニターテレビ。BF:容器の Wに当たる直径1mmのIR がTMに映し出される映像。映像信号が白黒反転されて、BFは黒く、BFを通過するゾウリムシの影は白く、写るようになっています。PC: 4つのフォトトランジスターが真鍮でマウントされたフォトカプラー。A:白いゾウリムシの映像がフォトトランジスターの下を通過する時に、C図a/bで示すような電気パルスが発生する電子回路。C:パソコン。MC:カーブプロッター(作図用ペンレコーダー)。FL:明暗サイクルの明期の照射用蛍光灯。CL:明暗サイクルや集計したデータの印刷等を制御する時計。図B)フォトカプラー(PC)の横断面図。PT:フォトトランジスター。白く光るゾウリムシの影がこのPCの真下を通ると、回路Aで図Cに示すような電気パルスが発生するようになっています。S:モニターテレビのスクリーン。 図C)a:回路AのRC端子で記録された昼真の電気パルス群(左)。b:夜中の電気パルス群(右)。このような電気パルスを回路ADで矩形波に整形して、その数をC内のパルスカウンターで10分ごとに取り込みます。 c:TMの窓Wに写った真昼と真夜中ゾウリム集団の映像(映像信号は白黒反転していない状態)。回路ADで整形されたパルスの数を10分毎に集計し、それを1時間当たりの値に集計し直し、2時間の間に得られた13個の1時間値を平均したもの(移動平均といいます)をTF(横切り頻度)と呼ぶことにしました。例えば午前9時のTFは、8時から10時までの間に10分毎に記録されたデータの中から、まず8時0分から9時0分までのデータを加算して1時間値を求め、次に8時10分から9時10分までのデータを加算して1時間値を求め、更に8時20分から9時20分までのデータを加算して1時間値を求め、・・・・・、そして9時から10時までのデータを加算して1時間値を求めて、得られた合計13点の1時間値を平均したものを9時のTF です。 こうして求めた1時間毎のTFを MCで曲線として描いたものがTFリズムです。
この装置は、多細胞動物の行動観察などで良く使われる、設定したマーカーを横切る動物の数を測定する際に使われるアクトグラムと同じものです。そこで我々は、この装置をゾウリムシ行動量測定アクトグラムと呼ぶことにしました。図1の図説に示したように、モニターテレビに写しだされるゾウリムの白い影がフォトトランジスターの真下を通過する1時間当たりの数(図で説明したように13個の移動平均値の中央値)をその時間の横切り頻度[TF:Traverse Frequency (N/h) ]と定義し、ゾウリムの活動量の指標と見なすことにしました。
ゾウリム集団のTFリズム
上述した通り、測定する生物機能のリズムがサーカデアンリズムであると主張するためには、上記した共通する3つの基本的な性質を確認しなければなりません。そこでゾウリムシの行動量の指標としてのTFリズムについて、上記3つの基本的な性質を示すかどうかを調べました。初めに概日性について調べてみました。ゾウリムが入った溶液を20℃で培養し、2日間12時間明12時間暗(LD 12:12)の明暗サイクルに曝し、3日目にLに相当する時間帯での照明を停止し、恒暗の状態(DD)にしてTFリズムを測定しました。すると、図2に示すようなTFのリズムが得られました。
図2。明暗サイクル及び恒暗条件でのTFリズム
20℃で培養したゾウリムシの明暗サイクル(LD)及び恒暗(DD)にして記録されたTFリズム。グラフの縦軸はTFの値(x103cells/hr)、横軸は測定時間です。横軸上の黒い帯は暗期(D)を、白い部分は明期(L:1000 lux)を表します。初めの2日間は、Lを12時間Dを12時間の状態(LD12:12)におき、3日目から明記に相当する時間帯でも点灯せず、恒暗(DD)の状態においてTFを測定しました。
TFは、LDではLで低くなり真昼で最低値になり、Dで高くなり真夜中で最高値を示しました。3日目からDDにすると、LDでのLに対応する時間(主観的昼と言います)ではTFは低くなり、LDのDに対応する時間(主観的夜)では高くなる、LDの場合と同じような周期的変動が記録されました。その周期はほぼ24時間でした。
次に、同調性について調べました。 LDで測定を開始し2日目から昼と夜を反転させ、DLにしてTFを測定しました。ゾウリムシを地球の反対側に旅行させたことと同じです。図3はそのグラフです。DDにして初めの2日間は乱れていますが、3日目辺りから、Lで低くDで高いというLDを反転する前と同じ明暗サイクルに同調したリズムに戻って行く様子が見られました。アメリカなど日本から時差が大きい国に海外旅行したときに、現地についた直後の数日間時差ボケを感じながら少しずつ現地の時間に適応した生活ができるようになりますが、ゾウリムもDLに反転した直後直ちにDLサイクルに同調するのではなく、時差ボケ(ゾウリムの時差ボケとはどのようなものか分かりませんが)の様な変動を示し、その後ゆっくりとDLサイクルに同調するようになりました。これは、ゾウリムシの TFのリズムが体内時計で24時間周期のリズムとして制御されていることの証の1つです。TFリズムは体内時計に制御されているために、新しい明暗サイクルに直ちには同調せず、同調するまでに時間が掛かります。体内時計自体が新しい明暗サイクルにゆっくりと同調するようになるからです。
図3。海外旅行中のゾウリムシのTFリズムの同調性。
温度20℃で、数日間日本時間のLDサイクル下で測定した後、Dを12時間続けてLDサイクルを逆転させて測定したゾウリムの集団のTFリズム。飛行機のイラストは、イラスト工房(WWWD6.biglobe.ne.jp)より。
次に温度補償性について調べました。図4に、一定温度25℃(最上段)、15℃(真中)及び15℃から25℃に温度ジャンプを与えた状態(最下段)で記録したTFリズムを示します。
図4。TFリズムの温度補償性。
LD(12:12)及びDDで測定したゾウリム集団のTFリズム。上段は25℃でのTFリズム、中段は15℃でのTFリズム、最下段は印の所で15℃から25℃へ温度ジャンプを与えて測定したTFリズム。
25℃でも15℃でも、TFリズムの周期は余り変わらないのが分かります。また、15℃から25℃に温度を変化させても、周期に大きな変化はありませんでした。 15℃の時のTFリズムの周期と25℃の時の周期の比、Q10(温度差が10 ℃ある状態で測定した2つのTFリズム周期の長さの比)〜0.98 でした。一般の化学反応では Q10〜2程度です。ゾウリムシのTFリズム周期は殆ど温度の影響を受けず、TFリズムは単なる生化学反応だけで説明できないことを示しています。
以上の結果から、ゾウリムシの集団の行動をアクトグラムで計って得られるTFリズムにも、
① 外界の温度や光条件を一定にしても、およそ24時間周期のリズムが記録される、
② 明暗サイクルを反転しても、数日間の変動期を経て、元の明暗サイクルとの関係を回復する、
③ リズムの周期は、温度を変えても変わらない、
という、生物のサーカデアンリズム一般に共通する性質が備わっていることが確認されました。
上記3つのサーカデアンリズムに共通する特徴のうちの③の「温度が変わってもリズム周期の長さが変わらない」と言うことが、単なる生化学反応とは異なった生物に特有のリズム現象と言えるものであると思います。地球には赤道もあり、北極や南極と言った極寒の地もあります。しかし、気温はどうであれ、24時間という1日のサイクルを共有した生活をしています。地球上で活きる上で、基本的な生理機能は24時間サイクルに適応しなければならないのはどこで活きていようが同じ筈です。
そのため、多くの生き物は様々な状況にこの24時間周
期で時を刻む体内時計を上手に利用しています。例えば、渡り鳥は、太陽をコンパスにして飛んで行く方向を決めていますが、太陽の位置は時々刻々変動します。そのため渡り鳥は、体内時計を参照して飛んで行く先の角度を修正しています。一日飛んでいる間に、場所によっては温度が大きく変わることがあります。明け方と真昼でも大きく温度が変わります。その度に時計の進む速さが変わっていたのでは、目指す方向を見失ってしまいます。 また、ミツバチは自分が発見した新しい蜜源を仲間に教える時、巣箱からみた蜜源の場所がある方向と太陽の角度を体内時計で修正して教えていることは有名な話です。巣箱に帰ってきた発見者ミツバチは、狭い巣箱の中で、一定方向に真っ直ぐ飛んでは元の位置に戻り、また同じ方向に向けて飛び出すと言う動作を繰り返します。この真っ直ぐ飛んでいるときの方向と地軸に対する角度が、巣箱の出入り口から見た蜜源がある場所と太陽との角度を示しているとのことです。戻るときの飛跡は右であったり左であったりで、全体では8の字のよ
うに見えます。それを見ていた生徒のミツバチは、発見ミツバチの後にくっ付いて飛び回り、何回か繰り返した後「分かった」とばかりに、巣箱を飛び立って迷わず教えられた蜜源に到着します。これをミツバチの収穫ダンスといいます。太陽をコンパスにしていますが、太陽の位置が時々刻々変わりますので、発見者ミツバチは体内時計で修正しながら仲間に伝達し、生徒のミツバチも太陽との角度を修正しながら教わった蜜源に一目散に飛んでいきます。当然、巣箱を出てから方々を飛び回っているときに、大きく温度が違っているところを通ることがあります。それでも温度に惑わされずに仲間に正しい蜜源の方向を教えることができます。巣箱から蜜源までの距離は、発見者バチが収穫ダンスをしている時の速さで分かるそうです。遠いところは速度が遅く、近いところは速く踊ります。生徒ミツバチは発見者ミツバチの後ろに従って飛び回っている内に、距離の見当を付け、また時々発見者の体を触っては密の種類(花の種類)も知るそうです。
[このミツバチの収穫ダンスを詳しく1冊の本にまとめた、オーストラシア人のカール・フォン・フリッシュは、1973年に、ニコラス・ティンバーゲンやコンラート・ローレンツとともに、ノーベル医学生理学賞を受賞しました。このことが契機になって我が国でも動物行動学の特定研究が発足しました。このノーベル賞が決まったとき、私は正直、なぜ医学生理学賞なのかと訝しい思いがしましたが、その後人類最後の知的フロンテアとしての脳科学(ブレインサイエンス)に関係することになってから、動物の行動を観察することが脳科学の研究に如何に重要であるかを思い知ることになりました。図は原宿スイーツコロンバンのHP:http://harajukuhoney.blog33.fc2.com/blog-entry-68.htmlより]。
このように、外界の温度が著しく変わっても周期の速さが変わらないことが、サーカデアンリズムを制御しているコアが体内時計(=生物時計)と命名された理由です。地球上で生活する生物は、体内に持っている時計が示す時刻を地球の自転でアジャストしながら正確なものにして、なすべき生理機能をなすべき時刻に発現させて、安全で無駄のない1日を設計して過ごしている訳です。
我々が測定したTFのサーカデアンリズムは集団の状態で測定したものです。ゾウリムシ集団の1日の行動を小さな穴から覗いて目の前を通り過ぎてゆくゾウリムシの数をカウントしたに過ぎません。その数が、昼間及び主観的昼間に少なく、夜及び主観的夜に多くなった、と言うことです。こ
の数の変化がゾウリムシどんな生理機能と関連しているのかは分かりません。研究をしている時の学会発表などで、しばしばTFリズムは集団状態でのみ発現するリズムではないのか、単一個体のリズムを反映したものではないのではないか、と言われることがありました。無論、体内時計で制御されていることは間違いありません。そこで我々は、次ページで述べる2つの方法で、TFリズムは間違いなく単一個体の行動のリズムに基づいたものであることを明らかにしました。次頁ではそれを説明したいと思います。