ゾウリムシの動力装置
動力装置と燃料の話・詳細編
その2
- 再度ダイニン・ATP複合体のダイナミックスを考える -
前ページの繊毛の動力装置と燃料の話・その1で、細胞内の「運び屋」キネシンの動力発生の様子を、必要と思われる基礎知識も記載して、あたかも目の前で起こっているように見えるように願いを込めて、描写を試みました。煎じ詰めれば、ATP加水分解が行われると、キネシンと微小管とが結合する部位が単に結合・分離(ON ・OFF)するのみであり、キネシンが前に進むのは微小管とON・OFFする部位の構造に起因する、と言うことでした。ダイニンのモーター蛋白質としての動力発生の仕組みはキネシンと同じであると言われていますので、以上のことを念頭に置き、新しく解明されたダイニンの構造を基にして、動力発生の仕組みを見直したいと思います。[前々回の頁でダイニンのモーター蛋白質としての構造を記述しましたが、頁をアップロードする直前に、Robertや昆隆英氏(大阪大学大学院理学研究科)等の論文に突き当たりました(Roberts等, Nature Reviews: Molecular Cell Biology, Vol. 14, p.713 2013)。アップロードする直前でしたので、詳しく吟味しないままにしておきましたが、ここで改めて主に上記論文を参考にして書き直しておきたいと思います。]
ダイニンの構造を見直す
新しく見つけたRoberts等の文献を主たる参考として
ダイニンは、図1Aに示すような、機能単位(ドメイン)が「尾部+リンカー+AAA1〜AAA4+ストーク+AAA5+支柱+AAA6」の順に一本鎖に連なった、分子量が50万ほど高分子です。水が豊富な生体の中では、構成原子及び水等と(原子軌道を動き回る)電子群との相互作用によって、図1Bに示すような複雑な立体構造になっています。大小2つのサブユニット(Lとsサブユニット)が蝶番のような結節点で繋がったAAAモジュール6個(AAA1〜AAA6)が、AAA1のsユニットとAAA2のLユニットと、AAA2のsとAAA3のLと、そして最後にAAA6のsユニットとAAA1のLと、一周する形で結合した頭部リング(AAA+リング)が特徴です。AAA4とAAA5の間からストークが、AAA5とAAA6の間からはそれを支える突っ張りが伸びています。ストークの先端のMTBDが微小管のチューブリン(Tb)と結合・分離を行います(キネシンではセンサーと命名された部位が微小管との結合・分離を行います)。尾部の所で繋がった2量体が形成され、リングが膝関節、MTBDが足の甲、となった左右2本足で微小管上を歩くような仕組みになっています。
図1。ダイニンの1次構造とAAA1・AAA2のATP結合による開閉の様子
A)ダイニンのアミノ酸が連なった一本鎖の模式図。 色分けされ1〜6までの番号がついているのはAAAモジュール。各モジュールは大小2つ(L及びs)のサブドメインからなり、Flexible joint(蝶番)と言われる細い部分で繋がり、両サブドメインは開いたり閉じたりします。ATPはAAA1に結合します。AAA2にはATPのアデノシン部分が結合します。3及び4にはATPを加水分解に関係する部位があると考えられています。4と5の間にストークス及びそれを支える突っ張りになる部分が、その中央部分にMTBD部位があります。B)A図の一本鎖が折りたたまれてできるダイニンの三次構造(立体構造)模式図。尾部で繋がったダイニンの2量体の片方が(他方は薄く)描かれています(AAA1のLサブドメインはリンカーに隠れています)。一本鎖の場合よりもリングとMTBD間の距離が短くなり、アロステリック部位(鍵穴)と活性部位とが近くなっているのが分かります。C)ATP結合によるAAA1とAAA2のL及びsサブドメイン(B図で点線の円で示した部分)の開閉の様子。ATPが結合していないときはATPポケットが開いていますが、ポケットにATPが入るとAAA1にPi部分がAAA2にATPアデノシン部分が結合します(図中の赤い部分がATP)。まずアデノシンが結合したAAA2の、次いで加水分解で解離したPiの作用でAAA1の電子状態が変化し、Lとsが蝶番を支点として閉じ、ATPポケットが閉じます。同時に各AAA+にも電子状態の変化が伝搬されて蝶番が閉じ、リング全体が収縮します。この時電子状態の変化がストークを介してMTBDに伝搬されて、微小管との結合がOFFの状態になり、ストークスが引っ張られてMTBDが微小管から離れます。再結合については本文を参照下さい。Nature Reviews, vol. 14 (2013), P.713-726 より改変(掲載許諾取得済み)。
ATP加水分解によるダイニンの電子状態の変化と形態変化
内燃機関ではガソリンの燃焼(熱エネルギー)を基にして生み出されたピストンの上下運動が、クランプで回転運動に変換されます。ダイニンでは、ATPポケット内で加水分解で解離したPiとADPとによって誘発されるAAAリングの電子状態の変化が、(ストークを介して伝搬されて、)MTBDと微小管Bとの結合・解離を引き起こし、"-端"方向への前進運動に変換されます(キネシンでは"+端"の方向に向かいます)。ここで、ダイニンに起こっていることをあたかも目の前で起こっているように理解できることを目指し、前回のHPで詳述したキネシンのダイナミックスに重ね合わせて前々回のHP(ゾウリムシの動力装置)の図6で示したダイニンの動力学的サイクルを見直します。仁田・廣川氏等は、キネシンのADP/ATP交換過程の4つの時相[(1)加水分解直前、(2)加水分化途中Ⅰ、(3)加水分解途中Ⅱ及び(4)加水分解直後]に分けて描いています(Science, 305, 678(2004))。これらの時相はキネシンとダイニンでは厳密には一致する筈はありませんが、ATPがATPポケットへ流入して、加水分解(ATP→ADP+Pi)が起こり、ADPがATPポケットから流出するまでの間、ATP及びの分解産物(ADPとPi)との相互作用でダイニンの電子状態の変化が起こり、その都度ダイニンの構造が変化して起こる動力学過程は、大枠ではキネシンのとほぼ同じと考えられます。ATP加水過程解に伴うダイニンの動力学発生過程を、仁田・廣川氏等が行った4つの時相に沿って、解説したいと思います(図2)。
図2。ATPとの相互作用によるダイニンの動力発生サイクル 図をクリックすると大きな絵が表示されます
キネシンのADP/ATP交換サイクルを参考にした、ダイニンが微小管B上を移動する仕組みの1サイクルの概念図。(1)がATPポケットにATPが入り込んだ加水分解直前の状態、(2)加水分解途中Ⅰ、(3)加水分解途中Ⅱ、(4)加水分解直後、及び(5)加水分解が終わって次の加水分解サイクルに入る直前のダイニンが微小管のー端方向に移動した瞬間の状態。緑の角枠は、前頁図9に示した各時相毎のキネシンのセンサーと微小管との結合の様子を示します。大小2種類の黒丸枠で囲まれた図は、AAA1とAAA2の間にあるATPポケットの開閉の状態を示します。大きい黒丸枠はADPを取り巻くMg-water capの様子を示します。キネシンの場合のタイミングとこの図でのダイニンのタイミングは厳密には一致するものではありません。Nature Review Mol. Cell Biol., 14, p.713-726 (2013)を元図として改変。この図をクリックすると微小管Bとの結合の動画を見ることができます。URLは、www.sciencemag.org/cgicontent/full/ 337/6101/1532/DC1です。
(1)加水分解直前(ATPがAAA1に結合しない状態ではMTBDは微小管BのTbに堅く結合する
図2(1)の円枠内に示すように、ATPが結合していない状態では、MTBD(内のαヘリックスH1)には正電荷を帯びたアミノ酸と負電荷を帯びたアミノ酸の1組があり、丁度向かい合うTbには逆の電荷を帯びたアミノ酸の1組があって、静電的な引力が働き結合します(キネシンではこの部分は微小管センサーと呼ばれ、センサーのL11と微小管のH11*Helixが強く結合します。恐らくダイニンでも、MTBDにL11、微小管BにH11*Helixに対応するアミノ酸配列があって、互いに結合するのではないかと思われますが、小生はダイニンで直接的に言及している文献に遭遇していません。ここでは、キネシンセンサーのL11と微小管H11*Helixとの結合をイメージして話を進めます。参考までに細胞質ダイニンの構造に関する最新のレビューをご覧下さい:http://leading.lifesciencedb.jp/5-e001/)。この状態の時は、図1C及び図2(1)黒小円に示すように、AAA1のLとsを繋いでいる部位が蝶番となってATPポケットが開いた状態になります。他のAAA+モジュールでもLとsの蝶番が開き、リング全体が緩んで大きくなります。ストークが伸びてMTBDが微小管BのTbに密着し、(キネシンの場合のL11とH11*-helixの結合と同じように)堅く結合します。
(2)加水分解途中Ⅰ(ATPのAAA1への結合がMTBDのTbからの乖離を誘引する)
ATPは通常ADPと比較すると繊毛内に高濃度で存在します。開いているATPポケットに入り込むと、まず加水分解する前のATPの、Pi部分がAAA1のL部分に、アデニン部分がAAA2のL部位に結合してAAA1とAAA2を引っ張り、ATPポケットが閉まります(図1C、図2(2)黒小円)。同時にATPが結合したことによってAAA1及びAAA2の電子状態が変化します。この変化は他のAAA+モジュールに及び、各モジュール間のポケットが閉じる結果、頭部リングが縮小してストークが引っ張られます。電子状態の変化は、ストーク内のαヘリックスやラセン間の水素結合にも影響を与え、ストーク自体も縮みます。一方、ATPがAAA1及びAAA2にしっかりと定着した後で、(AAA1のATPaseで)ATP加水分解が開始されます(細胞質ダイニンではAAA1,AAA3及びAAA4の3カ所にATPase部位を持っていることが明らかにされているとのことです。上記URLをご参考下さい。ここでは詳細にはこだわらないで話を進めます)。加水分解で解離したPiは、AAA1やAAA2の電子状態を大きく変化させます。その変化は、AAAリング全体、更にアロステリック効果でMTBDにも及び、MTBDとTb(のキネシンのL11と微小管H11*Helixに相当する部分)の解離を促進すると考えられます。
[キネシンではこの段階でPiがポケットから流出すると記述されています。本来解離したPiは、AAA1と共有結合してAAA1(やAAA2)の電子状態を大幅に変化させ、それが引き金となってダイニンの構造を大幅に変化させるという、重要な役割を果たしていることが考えられます。ただしそのことを正しく理解するためには少々厄介な問題があります。ダイニンの電子を強力に引き込んだ後、もし何もなければ、PiはAAA1と共有結合してそのままの状態になっている筈だからです。そのことに関しては、私は次のように考えています。Mgの役割を考慮することです。Mgは狭いATPポケット内でPiに衝突します。するとPiは2価の電子供与体であるMgと共有結合して、ダイニンは一旦AAA1との結合を解消します。その後(Piとの相互作用で電子状態が変わった)Mgが水分子とwater capを形成する(=水和)ようになるので、PiはMgと共有結合を解消し、無機PiとなってATPポケットから流出すると言うことです。しかし、PiがMgと共有結合してダイニンから解離すると、ダイニンの電子状態は元に戻ってしまうのではないかと言うことが考えられます。これに関しては、Mg-water cap に取り囲まれたADPがPiの代役をする(Piが吸い取ったダイニンの電子群を引き継ぐ)のではないかと考えています。あくまでも想像の域は出ませんが。]
(3)加水分解途中Ⅱ(Piによる電子状態の変化で時間をかけてリンカーが折れ曲がる)
更にMTBDはTbからの遊離が進行し、宙ぶらりんの状態になります。解離したPiによる電子状態の変化で、頭部リングを跨いでいる(AAA1に固定点を持っている)リンカーが折れ曲がり(巨大部分であるため構造変化には時間が掛かります)、(リンカーと尾部のつなぎ目部分である)ネックがAAA4からAAA3に移動します。丁度ブドウ粒を摘むと中身が弾け出るように、頭部リングのAAA4及びAAA5が摘まみ出され、ストークが突き出されます。この時ストークの先端にある(Tbから遊離している)MTBDは、(リニアカーが電荷の反発力で浮上して線路を滑るように、)Tbを滑るように移動し、微小管Bの“ー”方向(繊毛の付け根の方)へ突き出され、ユラユラと揺動しています。[MTBDが微小管Bの“ー”方向へ突き出されることは、MTBDが次のステップで一歩前にあるTbの部位に素速く結合することができ、繊毛の素速い動きを可能にするものであると思います。キネシンにはないAAAリングの機能的な利点の一つであると言えると思います。]この頃、Mgの水和によるMg-water cap 形成がさらに進行します。
[ATPとAAA1及びAAA2との結合で起こった電子状態の変化がリンカーの固定点に達するには少なくても3つの経路が考えられます。①隣接するリンカーへの直接経路、②リングを一周する経路(AAA1→AAA2→AAA3→AAA4→AAA5→AAA6→AAA1・リンカー固定点 )及び③ストーク・MTBD・支柱を介する経路[AAA1→AAA2→AAA3→AAA4→ストーク(上向αヘリックス)→MTBD→ストーク(下向αヘリックス)→AAA5・支柱→AAA6→AAA1・リンカー固定点]です。それぞれの経路で掛かる時間が異なり、恐らく何段かのステップを経てリンカーが折れ曲がることが考えられます。リンカーの折れ曲がりにはAAA2が、真っ直ぐになる時にはAAA5が関与することなども報告されています。]
(4)加水分解直後(Mg-water capがADPを包み込み、ATPポケットの中に閉じ込めている)
MTBDはたまたま接近した特定のTbの部位に弱く接触します。MTBDがTb(キネシンのL12と微小管の紐状のE-hookの場合ように)に結合して、ユラユラしながらTbの次に結合すべき部位を探すようになります。この間、ADPがATPポケットから流出しないように、完全にMg-water capで包み込まれるようになります。一回のATP加水分解によるダイニンでの動力発生過程が完了する前に、ADPがポケットから流出し、次のATPが流入して次のサイクルの動力学発生過程が始まってしまわないように時間稼ぎをする効果があると考えられます。
(5)加水分解直後と次のサイクルの加水分解直前の間(リンカーによる力発生過程)
(キネシンのL11に対応する配列が微小管BのH11*Helixに対応する配列を探し当てると、)MTBDはTbへ強く結合し、結合したことによる電子状態の変化がAAA1やAAA2に伝達されて、Mg-water cap が崩壊します。するとADPがAAA1から放出され、ATPポケットから流出します。同時に、AAAリングの電子状態が初期状態(加水分解直前)に回帰します。すると、リンカーのネックがAAA4に戻って真っ直ぐな形状に戻り、同時にストークも縮まって、(堅固に結合したMTBD・Tb部位が不動の支点となって、)AAAリングをグイッと引き寄せます。すると尾部を介して微小管Aが“-”方向に引き寄せることになります。これで(1)の状態に戻り、次のサイクルの(1)→(5)の過程が開始されます。
以上が、ATPの加水分解をエネルギーとしてダイニンが線毛を動かす源としての化学力学的サイクルの(生物物理学的場に立ち、電子状態の変化に主眼をおいた)説明です。このダイニンの化学力学的サイクルは、ATPが供給される限り何時間でも持続します。骨格筋(アクトミオシン系)が神経から刺激があった時だけ収縮するのに対し、ゾウリムなどの単細胞動物は繊毛を動かしながら何時間でも“無心”に遊泳することができるのはこのためです。
前頁の冒頭に書きましたが、多くの教科書には、ATPは生命活動にとっての貨幣のようなものでる、と言われてきました。しかし私自身は、長い間ATPの加水分解と蛋白質の活性化の関係について具体的なイメージが湧かないままでした。自分なりに納得がいくように纏めました。煎じ詰めれば、加水分解されたPiとADPが蛋白質の電子状態を変化させ、それが基になって蛋白質が変化する、それが生物活性の源である、と言うことです。ゾウリムシの行動について、その源の機構について簡単に纏めるつもりで、繊毛の分子生物学的研究に関する最新事情を調べたところ、当時は思いもよらなかった、繊毛の多彩な機能やモーター蛋白としてのダイニンの構造が太古の昔から殆ど変わらないで人体の中でも機能していることなどを知りました。それは真核細胞が誕生して以来進化の時間軸上で繊毛が重要な役割を果たしてきたことを意味するものであり、つい深みに填まってしまいました。