一匹のゾウリムシも昼速く夜遅い
当時、我々が測定したゾウリムシ集団の行動の概日変化に対して、集団でなければ発現しないのか、個体でも発現するのか、と良く質問を受けました。集団でなければ発現しないと言うことになると、体内時計の心臓部(コア)は細胞の中にはなく、細胞間相互作用があって始めて発現する(多細胞システムでなければ発現しない)と言うことになります。そこで私たちは、単一個体の行動の一日の行動軌跡を測定するための“Bug Tracker”を開発して、ゾウリムシ単一個体の行動の概日リズムを測定することにしました。我々がゾウリムの行動に関する概日リズムを測定していた頃は、パーソナルコンピュータ(PC)が登場したころで、数ヶ月過ぎれば最新モデルとし新しく購入したものが旧式になってしまうというPC進歩の目覚ましいで時代でした。NEC PC 98シリーズのアクセサリーの進歩にも目を見張るものがありました。ビデオ画像を256x256のマトリックスデジタルデータに変換するVideo Memory Cardも登場しました。そこで我々は、登場間もないVideo Memory Cardを使用して、図1のようなゾウリムシ単一個体の一日の行動軌跡の変化を測定するための“Bug Tracker” を開発しました。共同研究者の田中館氏の力作です。
図1。Bug Trackerの構成図
IR-LIGHT:暗視野光源、CUVETTE:20℃の循環水の中に一匹のゾウリムを飼育する直径20mm深さ3mmの有蓋皿を入れた容器。FLUORESCENT LAMP:明暗サイクル用蛍光灯(1,000lux)。VIDEO CAMERA:接写用ビデオカメラ。VIDEO CONTROLLER:輝度等のビデオ信号調節機器。VIDEO MEMORY CARD:ビデオの一画面を256x256のマトリックスデーターに変換する回路基板。データーはPERSONAL COMPUTER(PC)から直接処理することが可能。VIDEO MONITOR:VIDEO CONTROLLERからの出力画像を表示するデスプレイ。COLOR DISPLAY:PCで処理されたゾウリムシの行動軌跡を表示するデスプレイ。
CUVETTEにゾウリムシ単一個体を閉じ込め、赤外暗視光内でゾウリムシを遊泳させ、それをビデオカメラで写し出します。コントロラーで画像の白黒レベル等を調整して、Video memory card に送信し、“0〜64”階調の256x256のピクセルデータ(デジタル画素データ)に変換します。各ピクセルデータには256x256のアドレス(x, y)が付きます。測定時間(2時間毎15分間)になると、1秒間隔で同一アドレスのピクセルデータ間の引き算を行います。容器の壁やゴミなど静止している画像のピクセルデータは“0”に近い値となり、動いているゾウリムシの映像部分のピクセルデータのみが有意な大きさの数値になります。その中で最も高い値を示すピクセルデータのアドレスをその瞬間のゾウリムシの位置データー(x, y)として、1秒毎にPCのメモリー領域に取り込みます。取り込まれた一連の(x, y)位置データをPCで繋ぎ合わせて行動の軌跡(足跡、FOOTPRINTS)を求めます。プリンターや X-Y プロッターで描画するとゾウリムシが容器の中で移動した時の足跡を見ることができます。その1例を図2に示します。
図2。ゾウリムシ単一個体の行動の概日変化
LDの日の出1時間後からLD(1日)とDD(1.5日)の間、2時間毎約15分間隔で測定したゾウリム単一個体の足跡。各矩形枠の左上の白丸は明期を黒丸は暗期を、右上の数字は前頁図2に示した遊泳速度と方向変換頻度の測定の順番と同じです。
図2は、元気そうなゾウリムシを一匹選んでcuvetteに閉じ込め、20°C、LD及びDDの状態下で、2時間毎に約15分間追尾した足跡の概日変化の1例です。
LDでは、日の出7時間後(枠4。我々の日常の感覚では午後1時頃に相当します)に最も長い足跡が記録されました。これに対し、真夜中1時頃(枠10)には足跡が短く、殆ど動いていない様子が描かれています。DDでもこの傾向は持続しました。主観的真昼近く(枠16)で最も長い距離を移動し、主観的真夜中付近(フレーム21番)ではジットしていることが多いようです。この結果は、ゾウリム単一個体でも、集団状態で測定されたTFリズムと同じように、昼(主観的昼)に速く真っ直ぐ泳ぎ、夜(主観的夜)では余り動かないことを示しています。間違いなく、TFリズムは元々単一固体に備わっている概日時計で制御されている個々の一個体の行動よるものである、と言うことができます。
ゾウリムは単一個体でも、日中働き生活に必要なエネルギーの素となる食物を採るために動き回り、夜は好ましいと感じるころにジッと留まるようになります。これが集団であれば、各個が少しでも快適な方へ向かって移動して行くと、多くの仲間が集まっている所にたどり着くことになります。そこでは、性的に成熟したゾウリムシであれば同じように成熟しているパートナーと出会って、接合(生殖行為)をするチャンスが多くなります。すると接合したペアは若返り、その後種で決まった数だけ細胞分裂を繰り返し(多細胞動物の体細胞と同じように)、そのクローンは成長します。(このことについては次頁で詳しく論じたいと思います)。一見無手勝流に動いているように見えるゾウリムシは、内部の(細胞の中にある)何かが命じるままに一日スケールでゾウリムとして意義ある行動をしていると言えます。24時間周期で時々刻々変化する環境の中での、個体の維持のためと種の維持のためという、動物行動の本質につながる意義です。
次の頁でゾウリムシの1日の行動の管理(24時間スケールの生活管理)と生き残り戦略としての性(一生のタイムスケールの生き方管理)との関連について少し考えてみましょう。